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僕の好きなクリエーター019リドリースコット

ブレードランナー(アンドロイドは電気羊の夢を見るか?)


さて、僕はSF映画が大好き。 そのなかでも、SF映画は見た事も聞いた事も無い世界観が有れば有るほど強烈に面白がってしまう。 

SF映画の中ではもっとも印象に残ったのは実はエイリアンだったりして。これは後で気が付いたのだけど、監督はブレードランナーと同じリドリースコット監督。けれどエイリアンはSFというよりホラー要素がかなり入っているので、純粋なSFとしてはエイリアンは除外したい。したがって、純粋にSF映画の中で印象に残った映画は、もうダントツでブレードランナーである。 

この映画の原作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 というフリップ K ディックと言う人の小説が原作で、舞台は2019年のサンフランシスコである。主演ハリソンフォード。今は2021年であるからブレードランナーの未来はもうすぎてしまった。

イメージを確立させたシドニード

この映画の舞台背景デザインを担当したのがシドミードで、シドミードといえばアメリカのデトロイトにあるカーデザイン会社のオーナーである。

フォードのデザインを手がけていた会社で、この人は、カーデザインなどよりも映画などのコンセプトデザインの方がもしかして成功しているのでは無いだろうか?

まあ、世の中には気でも狂っているのではないかと思うほど化け物みたいに絵がうまい人がいる。シドミードもその一人だとぼくはおもう。この人は車一つデザインするにしても、背景からイメージしていき、世界観を作り上げてから それからその世界観に合う車のデザインを考えたりする。(勝手な推測ですけど)

ブレードランナーでもメカニックデザインを担当しているが、まずは、みごとにブレードランナーの世界観を描いている。

ブレードランナーの未来図は明るい未来ではなく、異様に暗い未来である。映画の中で最初から最後まで酸性の雨がずっと降り続けている。だから、街の中に雨よけのフードをかぶった人間や、発光している傘を描いたり、舞台がサンフランシスコのはずなのに香港のような看板に漢字でネオンサインが描かれていたりする。

夜の空に巨大な日本の芸者広告映を移すスクリーンのある飛行船がゆっくりと進み、日本のどどいつと三味線のうなり声が町中に異様に鳴り響く。 

そんな異様な未来。背景から考え、それに溶け込む様なパトーカーのデザインという風に、映画全体の未来感から色々なデザインの形をイメージして行く。だからシドミードはいつも背景つきの絵を描く。決して単体でメカニックだけをデザインしているとは思えない。

興味のある人はいくつかのカットイラストがあるのでシドニードでインターネット検索したら映画の絵コンテ画像が見ることが出来る。この人の絵コンテの凄さが解ると思う。シドミードの起用でブレードランナーの映画全体の世界観が統一されたものになっている。 

ブレードランナーストーリー

映画のストーリーはレプリカントと言われる遺伝子工学によって生み出された人間そっくりなアンドロイドが、奴隷のように宇宙開拓地で働かせられていた それを不満とし、レプリカントは逃亡する。タイレル社は反乱を恐れレプリカントの寿命を制限していた。レプリカントは、自分達を造ったタイレル社という企業を憎み、寿命を伸ばせと注文を付ける計画を立てる。

と言う話で、その逃げ出したレプリカント6体を処刑する役割にブレードランナーという警察組織が構成されている。そのブレードランナーが派遣したデッカードという男がレプリカントを追い込み次々に処刑するのだが その役に主演のハリソンフォードが起用されている。 ちなみにレプリカントの首領的存在のロイパティー役はルトガー・ハウアーであった。

原作はアンドロイドは電気羊の夢を見るか?というフリップ K ディック原作だが、ほとんどストーリーは映画ブレードランナーとは変わってしまっている。

リドリースコットという監督の何がすごいのか?

僕にとっては、映画自体が哲学的に何か言いたいとか、ストーリーがどうだとか、この映画についてはそんな事はどうでもいい。 もちろんレプリカントと人間の間に繰り広げられる生と死と愛のドラマも興味深いが、とにかくこの映画の醍醐味は、シドミードの描く暗く異様な未来世界観をリドリースコットがどう映像化するか?にあると言える。とどのつまり、この世界観自体に興味ない人はいったいこの映画の何が面白いのか全く解らない無いだろう。

主人公であるデッカード役のハリソンフォード、そして、原作を書いたフリップ K ディック、彼ら自身も この映画の良さがわからない人たちで、二人ともこの映画が大嫌い。ハリソンフォードに至っては撮影が終わるまで監督のやり方が気に食わず、終始ご機嫌斜めだったらしい。

それもそのはず、このリドリースコットっていう監督は映像派と言われる監督で、原作のおもしろさや、俳優の演技をまるで信用していない。その時その時の映像にただひたすらクリエイティブな情熱を捧げる監督だからだ。

ハリソンフォード、そして、フリップ K ディック、お二方とも、俳優の演技や原作を信用しないそんな監督の映画の撮り方が気に入らなかったらしい。が、実はそれこそがこのリドリースコットのもっとも凄い才能だと僕は思うのであった。

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