見出し画像

せめてお名前を

地元は、ものすごい田舎である。
おそらく人口よりも野生生物のほうが多い。そんな田舎で起こりうる不測の事態の話をしたい。
名づけて「これ誰が置いてった問題」である。


その事案は、収穫期が終わったあたりに発生する。
先に説明しておくと、我が家は非農家であるが、近隣のほとんどは農家である。
お中元などを贈ったとしよう。そのお返しに野菜が届くことになる。物価高の今、信じられないくらいありがたいお返しである。
うちに誰かが在宅している場合は、何の問題もない。挨拶を交わして、お礼をする。ご近所のコミュニケーションの典型例だ。
問題は、我が家が全員不在のときだ。

以前、家族でどこかに行った帰り。玄関の前に野菜が積まれていた。
置手紙の一枚もない。家の電話にも、携帯電話にも、何の連絡もない。
そう、これが「これ誰が置いてった問題」である。
近隣の皆様が、無言のうちに玄関に野菜を置いていく。信じられないくらい嬉しい置き土産ではあるが、対応に苦慮することになる。

まずは、袋や箱から出して中身を見る。
この時点で誰が置いていったかが判明する場合もある。それは、近隣の農家さんの中で特定のご家庭しか作っていない作物がある場合だ。その場合はここで解決!となる。
問題は、複数の農家さんが作っている作物だった場合だ。その場合は組み合わせで判断することになる。
「これとこれなら、○○さんだな」「××が入っているからおそらく◎◎さん」といった具合だ。
そうして、ドキドキしながら贈り主であろう人に電話をする。ここでコツがある。決してこちらから切り出してはならない。話をして、万が一その方からの野菜ではなかった場合、ものすごく気まずいからだ。他の用事で電話をしたと装う。そうすれば、向こうから切り出してくれる。違った場合も、角が立たない。

だが、更なるハードモードがある。
複数の農家さんが偶然同じ日に置いていった場合だ。これが一番しんどい。
まず、どこからどこまでが一軒の農家さんからの贈り物か、判断するところから始まる。至難の業だ。小分けになっていればいいのだが、小分けが複数ある他に夕顔が丸々一個置かれていたりすると、どちらからの夕顔だ!?となる。
それが終わってから、前述の判別方法で贈り主の特定をする。そうして、帰宅後の作業が終わるのだ。


誰からのものか。そう悩むことはたしかに大変だが、野菜をいただけるってよく考えると、いや考えなくても、ものすごくありがたい。野菜が買えなくて困ることさえあるのに、もらえるなんて…。
今年は枝豆やピーマンをほぼ買っていない。恵まれているなあと痛感する。
そして、我が田舎では、こうした玄関先のプレゼントを盗んでいく人間もいない。それも、よく考えると幸せなことだ。野生動物に食べられたことがないのは、…たまたまかもしれない。
だが、ひとつ言わせてほしい。
せめて、せめて、名字だけでもメモ書きして置いていってほしい。
お願いだ、せめてお名前を

と、タイトル回収して終える。野菜って、おいしいよね!

いただいたサポートは、通院費と岩手紹介記事のための費用に使わせていただきます。すごく、すごーくありがたいです。よろしくお願いします。