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読書とインプット

最近、「インプット」が疎かになっている。

noteを始めて、もう一ヶ月近く経過する。幸せなことに愛された作品も、思うよりも愛されなかったものもある。どれも愛しきわが子である。
これも幸運なことであるが、毎日投稿することができている。思ったこと、感じたことを書いたといえばそれまでだが、思ったよりも「アウトプット」することができる自分に驚いた。大きな発見だった。

そこで、冒頭の話に戻る。
自分が創作する「アウトプット」はできている。だが、「インプット」はどうだろうか?減っている気がする。いや、確実に減っている。
たくさんの方のnote記事は読んでいる。お気に入りの記事がたくさんできた。短歌にも興味が出てきた。つくづく始めてよかった、note。

僕の言う「インプット」は、書籍からのインプットである。
もともと読書家であった。今もやめたわけではないのだが、読書量が減っている。
僕は、2015年から読書感想文を書いている。誰に見せるわけでもないので、自分の私生活と重ねた感想が多い。それを今年は、3作品分しか書いていない。つまり、3冊しか読了していないのだ。
衝撃だった。真冬に盛岡市民が冷麺を食べているのを見たときと同じくらい、いや、初恋の女の子に「声が嫌い」と言われたときくらい衝撃だった。

なぜだろう。思い返してみた。原因はいくつかあった。
まず一つ目。
将棋の定跡書を読みふけっていたこと。おそらく、一番大きな理由だろう。
これについては、強くなるために必要なので仕方がない。そして、定跡書の感想を綴るわけにもいかない。「4七銀は予想外」とか書いてどうすんだ、という話である。
次に二つ目。
推し活である。
年甲斐もなくアイドルにはまっている。具体的にいうと日向坂46にはまっている。気がつくと彼女たちの情報をチェックしている。その時間で本が読めるのは確かだ。
だが、日向坂46は僕の生きる希望に等しい。つらくても、彼女たちの輝きでどうにか生きている。そうなると、さまざまな情報のチェックは、必要なのだ。かわいい。

ここまで振り返ると、上記の理由は仕方ないものである(個人的に)。
ならば、僕は読書をあきらめるのか。
そうではない、三つ目の理由が、読書量を回復させる鍵になる。
その理由。それは、飲酒(正確にはその後)である。

最近になって、再び飲酒の習慣がついた。これが非常によろしくない。
僕は酒を飲むと、とにかくニュースを見る。延々とネットニュースを見る。47都道府県のローカルニュースを全てチェックし始める。あの時間が無駄そのものだ、と気付いたのだ。
ちなみに最近はビール派だが、昔はテキーラとかジンとか、あの手のきつい酒をストレートで飲んでいた。つぶれたことはあまりない。(意図せず)安定剤と一緒に飲んで、えらいことになったのは内緒である。その話は、いずれ書く。
時間とは、有限のものである。
本を読みたいのなら、飲酒後のローカルニュースをやめねばならぬ。というか、やめたい。別に楽しくもないのだから。

ちなみに、普段は時代小説やミステリを読むことが多い。エッセイは三十路を過ぎてからはまった。一番縁遠いのが恋愛小説で、数えるほどしか読んでいない。とはいえ、自他共に認める「雑食」だ。
時代小説は葉室麟さん、田牧大和さん、畠中恵さんのものが好きだ。他にもたくさん気に入っているものはある。ありすぎて書けない。きっと羅列していくうちに、その感動を思い返して、泣く。
エッセイはくどうれいんさんのものをよく読む。あと、いとうあさこさんのエッセイも好きだ。あさこさん、頑張っているさまも、考え方も、とても素敵だと思う。れいんさんのような素敵な短歌を作ってみたい。
いつかは森見登美彦さんのような小説を書いてみたい。というか森見登美彦さんになりたかった。

インプットのための時間を作ろう。インプットを増やすきっかけが見つかったのだから。アウトプットする場がここにある以上、活字に触れる機会は多いほうがいい。作品の質はあげたほうがいい。向上心はまだ残っている。ないのは思いやりだけだ。昔、好きになった人に「人間性良くしたほうがいいよ。」とまで言われたことがある。どうしたらよかったのか、未だにわかっていない。

今日は、眠る前に本を読もう。
読みかけの時代小説を傍らに置いて、そう思っている。

余談であるが、この記事を書いている間ずっと、キーボードの「a」がうまく反応してくれなかった。この間は「v」が反応しなかった。いつか書けなくなりそうでドキドキしている。
まあ、新しいPC買えよ、って話である。



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