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家族でも 話し合わなきゃ 分かりません【母娘編】

突然ですが、(主に女性の方、)
パパっ子ですか?お母さんと仲良しですか?

私は圧倒的パパ寄り…いえ、母が嫌いでした。苦手なんてもんじゃない。
よその友達みたいな母娘とかとっても羨ましかったです。

父は普通に好きですが、ファザコンだから母が嫌いだったとかではありません。父の話はまたの機会に。

今回はいつも以上の長編、同世代のみなさまの共感を呼べるか?
または娘との関係性にお悩みのマダムにご参照頂けましたら幸いです。

私と母については
「同じ日本語で意志疎通できてますかね?」
と思っていた時期が本当に長く、
また、母も私について同じように思っていたことだと思います。

母を相手に私は、長らく人格を否定するような表現で、
わざわざ傷つけるような言い方をして攻撃してきたので、
その点は申し訳ないと思ってます。

ただ、それは母のナチュラル男尊女卑に対する復讐でした(だから良いってことじゃないけど)。

母が私を「もう子供じゃない」と認めてまともに向き合うようになるまで、
母親の方でも「私が育てたんだから同じ常識を共有してるはず」とか思っていたのだろうな…と感じた節が多々あるのです。

思い込みの強い母VS癇癪持ちの娘による娘ガチ切れバトルは、
なんと15年近く続きました。もはや娘はアラサーなっていました。

私が一番最初に傷つき悔しい思いをし、母に復讐心を募らせはじめたのは、些細なきっかけでした。

私は中高とも毎日「お弁当箱を自分で洗わないと翌日のお弁当抜き」と宣告されていたのに対し、
弟は「もー、自分で出しなさいって言ってるでしょ」とブツブツ言いつつ部屋まで弁当箱を取りに行ってもらえて、
下手したら(?)「お姉ちゃん一緒に洗っといてあげてくれる?」というサービス付き。ということがありました。

私も弟は可愛いし母を憎んでいるわけでもなかったので、洗ってやったりしていました。

※ここでは、毎日お弁当作ってくれるお母さんで良かったありがとう、という感謝はいったん置いておかせて頂きます。

ある日、ふと疑問に思って
「なぜ弟はお弁当箱を自分で洗わなくても叱らないの?何もできない男になっちゃうからお母さんが言ってやんないと」
という趣旨のことを尋ねました。

すると母は、
「弟は遅くまで塾(※)で疲れているじゃない」
(※超難関私立高校を目指すクラスのセレクションに合格し、近隣の塾ではなく、遠方の本部校へ通い、遅くまで頑張っていました)

はい?私さっきまでバレエの舞台前のレッスンで、弟より遅く帰ってきたところですけど?

ビックリして問い返すと、

「弟は勉強、お姉ちゃんのは趣味だから」と回答が返ってきました。

えええーーー?!何それ?!勉強と自分の弁当箱なんか関係ある?!
トウシューズで足のマメ潰しまくってクタクタで帰ってきてるのに!
そら趣味だけど!バレエで食べていけるレベルじゃないけど!

そこで母のとどめ
「男の子とお姉ちゃんは違うでしょ」

違  わ  ね  ぇ e e e e e eeee e!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
\(#^o^)/ガッッシャーン◆

こういう時、私が癇癪を起こして物に当たるとそこは父にフツーーーに怒られました。
むしろそのせいで私が怒っている内容がうやむやになっていました(自業自得)

その記憶が一番鮮明なのですが、
そこら辺から「お母さんは女なのに自ら男女差別する!そういうとこ大嫌い!」という私の反抗期が果てしなく続きました。

社会で一番身近な母親から天然男女差別を受ける度に腹を立て、
「今私は傷ついた!絶対にお母さんも傷つける!」
という謎の復讐心も募らせました(いちいちその場でバトッてたので警察のお世話にはなりませんでしたが…)。

この中高生の頃は親の時代背景なんて想像できなかったのですが、
ここでうちの母はどんな時代背景を生きた女性なのかをご紹介しておきますと…。

うちの両親は戦後生まれの団塊世代で、当時は珍しくなかったお見合い婚。

高度経済成長期に青春時代を過ごし、新婚時代はバブル真っただ中。

終身雇用は伝説じゃなくリアリティ、
男女雇用機会均等法の施行は初産(私)より後。

生涯働く女性は一次産業や自営以外ではまだ珍しく、専業主婦が圧倒的多数で、『腰掛けOL』だの『お茶汲みOL』だの『寿退職』だのというコンプライアンス室まっ青のワードが当たり前に存在し、
既婚男性の給与にだけ「家族手当・子供手当て」があったりした時代です。

良くも悪くも『生き方のガイドライン』が世の中に表層化していた時代。

そんな時代に短大を卒業して家業手伝いをしていた箱入り娘の母は、
大手メーカーの営業で転勤族の夫(私の父)と
お見合いし、箱入り主婦になったのでした。

この時代にも恋愛結婚をなさったご夫妻はいらっしゃると思うのですが、
うちの母は本人に聞く限り大人しく内向的で、
二人の姉と同じくお年頃になればお見合いがやって来るものと決まっており、
男の人と"遊ぶ"なんて下品、と思っていた女性だったようです。
実際わりと「良いとこのお嬢さん」です。

そう、この表現したら怒られるかもしれませんが、THE昭和の女。
対する私は、しっかりした記憶があるのはバブル崩壊後。

まず、母娘なんだから時代背景が違いすぎるのは当たり前なのですが、
ここからは時代背景関係なしに母娘の性格もご紹介します。

・フットワークが軽い私vsおうち大好き母
・友達が多く遊ぶ約束の多い私
    vs友達が多すぎると自分のペースが乱れて嫌な母
・何でも自分で決めたい私vs親(結婚したら夫)の意見に従う母
・メジャーマイナーではなく好き嫌いで決めたい私vs
 『普通こうでしょ』に安心感を得る母
・恋愛に関して肉食の私vs純潔を貫いて結婚した母
・自分の生活費を自分で稼ぎたい私vs
   男を支える専業主婦こそ女の幸せと信じて疑わない母

「VS」だったらまっだまだあります(笑)

そう、つまり『家族なんだから分かるでしょ!』というユルフワ概念では
決して解り合えるわけがない、ほぼ真逆の信念、思想の持ち主同士な上に、
お互い生まれた時代がそっちで良かったね、という組み合わせの母娘なのでした。

まじで、この『メジャーに従う』母が、競争心の強いVERY妻じゃなくて本当に良かったです。VERY妻になりたかった母だったら絶対に姉弟ともにまた違う被害を被ってた気がする。

とにかくめげない母で良かった…と思うぐらい(私が)モラハラ発言で攻撃してきたと思うし、
いや、むしろちょっぴりメゲてくれた方がお互い話し合える日が早かったのでは?と思うぐらい攻撃が効きませんでした。
(そして人前で癇癪を起こし母を怒鳴るという自己羞恥プレイな攻撃をしはじめ、悪循環に陥っていく…)

こちらは当時はその癇癪爆発をケンカだと思っていましたが、
母に「あんなものはケンカじゃない、一方的に怒りだすから相手にしてない」と言われ、
「ふざけんな、人が何か怒ってんのに聞いてないんか!!」とまた大炎上。
(※母は人をイラつかせる奇跡のような天然ボケエピソードも事欠きませんので、いちいちイライラしていました、今は笑えますけど)

反抗期らしい年齢の間は
「何でお母さんは分かってくれないのっ?弟ばっかり贔屓して!」
と、ぎゃーーーッと歯向かっていましたが、
社会人になってくると
「は?ビックリ。どんな封建制度よ。今西暦20●●年だから。」
「パートもしたことないくせに私の転職に口出さないで」
とねじ伏せて黙らせるという手法で反抗していました(モラハラ彼氏の手法…)。

その黙らせた時の、悲しそうな恨めしそうな顔がまた…腹立つったら…
私傷ついたみたいな顔して…こっちも傷ついてるから。
(どこまでも、自分は分かってほしいのに相手を分かろうとしない母娘)

私がフェミニストで自分の自由と権利に固執するのは、
元々の性格にプラスして、母への対抗なのかもしれないなぁと思います。

母と私が全くお互いを理解しようとしていない象徴的な会話がいくつかあります。

【お互い理解できていないトークその①】
まず社会人2年目、趣味のために転職して地方に住む、実家を出て一人暮らしをする。と私が両親に報告すると、母は泣きながら
「何でそんなこと勝手に決めたの?家を出ていくなんて…それで、いつ帰って来る気なの?」と言いました。
私は頭にハテナをいっぱい飛ばしながら答えました。
「え?あの…だから、住むから、次帰ってくるとしたら…お盆の帰省?」
「えっ?また実家に住むかって話?それは帰らないんじゃない?社会人だし???」
「確かに相談はしてないけど、今報告してるよね?」
「自分の貯金とお給料で独立するのですけど、何か問題あります?」
「お母さん、私のこといつか嫁に行くと思ってるよね?まさか婿取りしてほしいの?違うよね、家はいつか出ていくって思ってるでしょ?仕事で独立してもいいよね?」
「就職するのに、”いつ帰ってくる”とかないよね。会社なんだからたぶん長く勤めてお給料上がったらそのままいるよね。地方で結婚する可能性すらあるよね」

↑この会話すら、「うーん…"10年前"だなぁ。長く勤めようとしてる…」と思えて笑えますが。

母「そんな、女の子なのに仕事を辞めないの…?」
私「………?女の子だと仕事を辞めるの????」
母「だってお嫁に行くって今言ったでしょ?」
私「お嫁と退職って関係ある?」
母「そりゃそうでしょ」
私「なんで?」
母「何でって…仕事と家事の両立は大変でしょう?」
私「辞めたくないよ?仕事続ける前提で結婚するよ?私、お母さんみたいな人に育てられた、家事もできない男は絶っっ対に夫に選ばないよ?子守りがいないと飯も食えない男なんていらないよ?」
(わざわざ当てこする)
母「そんなこと言ったって…それに、親が近くにいなくて子供産むのは大変なのよ?」
(形勢不利になると論点ずれる)
私「お母さんだって、転勤族の嫁だったから親が近くにいなくて産んだじゃん。私の時はばあちゃん(実母)来てくれてたんでしょ?弟の時はばあちゃん(姑)来てくれてたじゃん、お父さんの子守りしに(笑)私覚えてるよ。」
母「だから大変だったのよ」
私「とにかく、私は70歳ぐらいまでは社会と繋がって稼いでいたいから、仕事を辞める選択肢は論外です。という訳で、盆と正月には帰省します」
母「お嫁に行くなら良いけど、こんなに早く出ていくなんて…まだ教えてないことがいっぱいあるのに」
私「は?お母さんから教わることって何?」
母「家事で教えたいことがいっぱいあるの。」
私「は?お母さんに教わることって何?(2回目) たぶん私の方が洗濯上手だし、料理も上手だよ?全部弟に教えれば?アイツお母さんのせいで何にもできないんだから」
(以下だんだん私がキレて脱線し、母は泣く)

いかがでしょう、割と象徴的な会話じゃないでしょうか。
伝わりますでしょうか、私たちの相互理解のなさが。
母にとっては『当然』『普通』を娘にガンガンぶっ壊されるショック、
娘にとっては母の望むの生き方じゃないからっていきなり泣かれるショック。
お互いショックを受けています(笑)

【お互い理解できてないトーク②】
「お母さんたちがいつかボケたりしたら、面倒見てくれないと困るのよ」
「えーっ?介護担当にするために子供を産んだの?ねぇゴメンお母さん、悪いけど私の人生はあなた専用の人生じゃないの。できれば、ボケない工夫をしてほしい。介護で仕事やめる自信ない。私たちの世代はそっちの世代に年金を取られてて、お母さんはもうすぐ高い年金入ってくるんだから、自分で施設を探してほしい。だいたい自分は数か月だけ実家を手伝っただけなのに、我が子にはそれを求めるの?しかもまた弟には言わずに私に言う。お母さん理論でいうと長男あっちですけど?」

さすがにこの会話は、父に『お母さんもお母さんだし、のべもそういう言い方をするもんじゃない』と叱られました。
そうですね…母の方は依存体質が怖いし、私の方は血も涙もない…。
いや介護を求めるなら確かにこれからちょっと考えるけど、
何かこの母の言い方というか前提が正直イヤでした。

これらの会話の時、私は本当にビックリしたんですが、
子供反抗期の頃から散々「今は平成だ」「今は西暦200●年だ」と言ってきたつもりだったのに、マジで聞き流されてきたんだなと。

自分はわざわざ次男を選んで結婚した(姑と同居しない核家族を選んだ)と言っていたくせに、
子に求めるはなぜか実家(大家族)の協力体制な古き良き時代。

これは、きちんと話し合わねば!ケンカふっかけてる場合じゃねぇ!

ついにこのことを理解し、私は危機感を抱きました。
何と今まで、『何でコイツ(母)分かんないのかな』VS『いつかこの子も分かってくれるはず』ベースの自分の主張を繰り返してきたことか。お互い。

話し合わないと分からない!これはじっくりと聞いてもらうしかない。
母は、自分の苦労をいつかこの子(私)も分かってくれるはずだと思ってる!
私と母が違う人間であることを分からせないと…!

…と、母だけが分かってないような書き方をしましたが、
私もこの時初めて気付いたように思います。

家族でも、話し合わなきゃわからない

無言の期待を一生され続けるのはまっぴらですし、
そもそも母は自分が夫・娘・息子それぞれに『家族なんだから当然でしょ?』の期待をしていることに無自覚です。

そして、無自覚とは言え依存度の高い母に一生期待させ続けて、
一生裏切り(じゃないんだけど)続けるのはさすがに可哀想だなと思うようになりました。
こっちが気付いたのだから、こっちが言うしかありません。

それから私は、何年かかけて母といろんな話をしました。
まず『分かってくれない』という己の主張を反省し、
主に、母の話を聞いてみることにしたのです。

父とお見合いする前にどんな人とお見合いをしたのか、
なぜ父と結婚しようと思ったのか、
母の実家の祖父や祖母(母の両親)とはどんな関係だったのか、
伯父や伯母との兄妹関係はどんな風だったのか。
子供の頃はどんな女学生だったのか、
祖母(姑)とはどんな仲なのか。

父(夫)とは全然ケンカしないけどどう思ってるのか、
私は父がニュースを見ながら男尊女卑発言をする時に許せなくて大喧嘩するけど、それを黙って聞いてるときどんな思いでいるのか。

自分1人で出掛けたり、友達と遊びに行ったりするのを見たことがないけど飽きないのか。
友達とはどんなコミュニケーションを取るのか。
お母さんの趣味って何なのか。

聞けば聞くほど
「だめだ…友達になれない…」(←?)
「カオス!子育てが趣味な人だもう二人とも社会人なのに…!」
「本当に同じ時計で生きているのか?!」
「正直、孫(産んだら)近づけたくねぇ~!」
「依存度…!重い!ずっしり来る…!お父さんお願い長生きして…!」
と、お前それでも世話になった娘か?!というひどい感想ばかり湧きましたが、
とにかく『母がどんな人なのか?』『なぜ意味のわからない質問を私に投げつけるのか?』『なぜ息子の方を溺愛しながら私に構うのか?』が徐々に見えてきました。

それに、上記のようなひどい感想ばかりでもなく、
『おもしろーーー!ナニソレ知らないー!』
『したたか~!お母さん意外としたたか~!』
という発見もたくさんありました。
そして前半に書いたような時代背景の違いを、ようやく実感として認識するに至りました。

要するに私も母にとって『分かってくれない娘』だったのです。

更に、このヒアリングが進む頃にはついに私も30近くになっており、
次々と友人の子が産まれて、
『分かる…。女の子はしっかりしてて頼りになるけど、男の子はバカわいい!分かる…!わかってしまう…っ』
と、思うようになっていました。

母は結婚生活と子育てに費やしてきた人生が、
概ね幸せだったから、
私も同じ人生を歩めば良いと思ってくれているのが分かってきました。

父への根回しにより、母が『娘が話を聞いてくれるようになった』という認識をしたなと分かってきたあたりから、
今度は折に触れ、落ち着いている時に自分の想いも開示し直し始めました。

・子供の頃のお弁当箱事件が本当にショックで、それを含む無自覚の男女差別がずっと許せなかったこと
・こちらも母の生き方を否定した時期があるため、その謝罪と、今はそんな風に思っていないこと
・実家を出てみて、母の家庭環境維持の能力と意思の強さに感謝したこと
・だから私の生き方も否定しないでほしいこと
・個人の心情として自分の収入を持ち続けたいと考えていること
・だから、私は家庭を共同維持できる男性と結婚したいこと
・大黒柱は1本より2本の方が何かあった時に怖くないこと
・たとえ収入が高くても「家事は女の仕事」と思っている男性とわざわざ結婚するぐらいなら、1人で覚悟を決めて生きる方が私はよっぽど幸せなこと

・母は夫(私の父)の年収を実家と比べて「普通」だったと思っているようだが、サラリーマン家庭としてはなかなかの上流家庭であろうということ
・私は我が家に生まれて幸せだったので、子供を産むならそのぐらいの世帯年収には手を伸ばしたいこと
・父の30代の頃の年収、私の今の年収、サラリーマンの平均年収の推移の話
・現代は一億総中流ではなく格差時代で、年収1000万~200万までの分布がこれだけあって、平均値と中央値が違うこと
・男女雇用機会均等法の施行から30年経ってくれたおかげで、今のところ私の職種では男女で給与査定に格差がないこと(出産して時短勤務などにならない限り)
・そのことを個人としては嬉しく思っているが、仮に母が望む専業主婦希望の結婚をしたい場合は男性に相当な負担、プレッシャー、無理を強いてしまうこと

仮に私が母のような専業主婦目指して父クラスの年収を持つ男性と結婚するためには、相当な無理をして階層違いの合コンや紹介市場で自らを売り込むか、数十万を結婚紹介所に支払う必要があること(私の周りに年収●●万はいない、と言う話)
・そういう大企業合コン行ったことあるけど魔窟すぎて疲れた事
・自分の望む夫婦形態でもないのに、時間とお金を無駄にしたくないこと
・こういう時代なので、男性も専業主婦希望よりダブルインカムを希望する人が多いこと
・だから、お父さんとお母さんとは違う夫婦形態を目指すけど、私は望んでそこへいくので、できれば心配しないで欲しい話
・大叔母が紹介してくれた男性と2か月お付き合いして大爆破飛散した際、私は何を反省し、相手は何が許せなかったのかの話
・母がお見合いを用意してくれるなら、別に会うぐらい会う話
・ただし私の結婚の条件はくっきりハッキリ決まっているため、ゴニョゴニョした男性は最初から弾いてほしい話

・母は夫や娘や息子に、それぞれ自分の「当たり前」を押し付けているように見える話
・一体何を根拠に、何を期待しているのか?という話
・私のため、弟のためと言いながら、それが自分の理想であったことはないかという話

で、これら↑全てに対する母の感想や疑問とのディベート。

こうして書くと長いですが、まあ数年かけてちょっとずつ、時間を使っては、下ネタ抜きの女子会を繰り返したのです。
(実家のダイニングで、昼下がりのティータイムしながら。優雅。)
母と私の違いがどうという話だけでなく、時代が変化していること。
だから母にも自立を意識してほしいことなどをジワジワと伝えていきました。

このディベートで驚いたけど話して良かったなと思ったことは
「家事を半分こしてくれる男性なんていない」
「結婚しても働きたいなんて娘のワガママ、娘は嫁き遅れてしまう!」
と母が思い込んでいたのが分かり、
「いやいやw私そんな少数派じゃないから安心して」と言えたこと、
家事半分問題に関しては、私も母の呪いwを受けて厳しいハードルだと思っていたのに気づけたこと。です。

10代半ばから20代をかけた長い反抗期、
そして27歳で実家に一度帰った頃から30歳過ぎまで、じっくり時間をかけたヒアリングを経て、ようやく母娘に訪れた雪解け期でした。

母と私は、相手の生活や考え方について何かを質問・指摘等したい時、
「それは私の望み(期待)か?本人の望みか?」
をいったん頭の中で考えてから口に出す、という緩いルールができました。

結果、まず家の中に「決定的に嫌いな部分がある人がいる」という状況を打破でき、ストレスが減りました。


再度実家を出た今も、帰省名物「いつ結婚するの」「いい人いないの」攻撃を受けないため、盆暮れは帰りやすいし母も寂しい思いはしない。
私はお母さんのためには結婚しない、とがっつり伝えてありますが、
そもそも「結婚したい」「いい人を見つけたい」のは母の望み以上に私の望みであり、
いたらすぐ連れてくる(連れてこないということは結婚たいほど良い人はいないから黙っててくれ)という協定を結んだからです。

ただ、『娘の結婚が見たい』は母の望みであり、望みが類似・一致している場合は心配するのを「母の勝手」というのも可哀想なので、
『今日は合コンに行く』だの『●●ちゃんの紹介で男性と会ってくる』『アプリで知り合った人とデートしてくる』など「本日の行動予定」を伝えるようにもなりました。

それなりの行動を取っているのに見つからないというのは大変だなと思っておいてもらうためです。(選り好みもかなりあるのですが)

癇癪玉を爆発させることがなくなると、お互い優しくなり、
私たちがバトることがなくなって、父と弟の男性陣もリビングから逃げなくなりました。

ストレスフリー。良い。実家がストレスフリー、良い!

しかも、母による依存度満点のセリフはどんどん減っていき、弟のストレスも軽減されたように思われます。
自立というか母が「普通はこう」ではなく自分の頭で選択をし出したことが何となく分かるようになり、
話の途中で突如爆弾かまされて一同ドン引きということがかなり減りました。

相手を知るということは、意外と家族こそ重要。
家族でも、話し合わなきゃわからない
いつだったか櫻井翔くんと神木隆之介くんがそういうドラマやってました、あれは極端で怖かったけど、うちも地味にストレスな母娘だった。

「ちょっと何言ってんのか分かんない」
という相手がいつでも離れられる…というわけにはいかない人の場合、話し合う(特に、いったん相手を知ってみる)、お勧めします。


初の9000字…ここまでご覧頂き、ありがとうございました。

※なお、毒親やモラハラ上司と思しき支配者系は家族でも関係なく即物理遮断で良いと思いますので、そこらへんのジャッジは心の悲鳴に任せましょう!

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