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#3 『ルール・・・崩壊の箱根越え』(神奈川)

話し相手JAPAN TOURとは

東京を出て5日後に箱根湯本の駅に着いたんです。外から駅のホームを見たら『急行・新宿』という電車が停車してました。
「え?2時間で帰れんの?」
って呆然としたのを覚えてます。

30キロ弱の荷物を持って、お台場のフジテレビから箱根湯本の駅まで約90キロ。20年経った今考えても、我ながらよく歩いたなと思います。
あの時の経験があったからというのもありますが、一般的な「歩ける距離」という感覚が、だいぶ違ってる気がします。

そういえば、どういう流れだったかサッパリ忘れましたが、何年か前にスピリチュアルな人から「アナタの前世は、飛脚です。」と言われたのを思い出しました。

『あこがれ』
茅ヶ崎で雨宿りして、小田原まで約30キロ。(雨宿りまでは#2)
134号線から1号線へ、ひたすら歩いた。

「なんだい、その楽器」

原チャリにまたがったオッサンに声をかけられた。テンション高い蛭子(蛭子能収)さんみたいな感じのオッサンだった。

テーブルは、組み立て式で肩から下げていたので、たしかに楽器に見えなくはない・・・いや、見えないな。
どう見たら楽器に見えるのか分からんが、オッサンには楽器に見えたみたいだ。

スタートしたばっかりの『話し相手JAPAN TOUR』の話をしたら、もうすぐ55歳だというオッサンは、小田原名物のイカの軟骨(本人いわく)をポリポリ食べながら

「若いうちにしか出来ない事ってあっから、今のうちのやっとけ」
「いや、もう33歳なんで、そんなに若いわけでもないんですよ」
「お、ちょうど22歳違いか」

ちょうどの意味が、分からない。

「俺も若い時はいろいろやったよ」

ただ、いろいろやってきた結果の姿としては、憧れないタイプの人だった。

人を見た目で判断したらあかんと思うし、そんなつもりはないけど、ずっとイカの軟骨を食べながら全然ときめかない人生経験の話を聞かせてくれた。

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ちなみに、イカの軟骨は普通のビニール袋に入ってた。確実に商品ではなく誰かの手作り的な軟骨で、ものすごい量入ってた。
オッサンは10個ほど食べると、オレにも「ほれ」と言って1個くれた。

イカの軟骨が、ほぼなくなった頃に、オッサンの話も終わった。オレがいただいた軟骨は、たしか5つだった。オッサンは、すごい食ってた。

別れ際、ちょっとためらいながらも、まだ封の開いてないカキピーをくれた。「そんな、悪いっすよ」と言うと「いいんだよ、俺は、まだ食べるもんあんだから」と言ってバナナを一房カバンから出してきた。

そっちをくれ!1本でもいいから、そっちをくれ!!カキピー喉乾くから、そっちちょうだい!!!

そう強く念じたが、無情にもオッサンはカバンの中にバナナをしまって原チャリのエンジンをかけた。

「これからどこに行くんですか?」
「あてはないけど、箱根だな。じゃぁな」

あて、あるやん・・・そう思ってたが、1号線を、オレが歩いてきた方に去っていった。そっち、横浜やで。
逆やで逆・・・でも、まぁ、あてがないから、ええのか。

30分ほど歩いてたら、見覚えのある原チャリが追い越していった。オッサンは、絶対オレに気づいてるハズだが、追い越す時に、ちょっとアクセルを強く握った気がした。

やっぱり、憧れへんわ。

『ルール・・・崩壊』
何事にもルールっちゅうもんがある。
今回の『話し相手』でのルールはなんやったかと。いくつかある中に『移動は歩いて』というルールがあった。あったというか決めた。

これってルールやったっけ?
キッチリ決めてたワケではないやんなぁ?
ええんちゃうなかぁ、だってもぉ歩かれへんやん。

って、ずっと独り言を言いながら、箱根の山頂まで歩いた。

もうアキレス腱、変やん。
足首振ったら振り幅異常に広いやん。
音はせぇへんけど「プランプラン」って言うてるやん。
オレの耳には聞こえるやん。
なぁ?

って、ずっと自分に話しかけてた。

初日、東京から歩いて横浜についた時に「歩きはアカンわ」「なんで歩くなんてルール決めてんやろ」って思いながら、横浜で過ごした。横浜から江ノ島へ、そして茅ヶ崎で雨宿りして、オッサンにカキピーもらって、箱根湯本の駅にたどり着いたのが、東京を出て5日後だった。

箱根湯本では、駅の地下通路で寝ようとした。
あまりの寒さで夜の11時頃目が覚めた。この寒さは、アカン。
3月末の箱根ナメてた。

で、生きるために路地にあったコインランドリーに入って、なんとなく温まりそうだったので100円分乾燥機を回してみたら、なんとなくではなくめっちゃ温まった。

すごいわ、乾燥機!ちょっとだけ寝れた。

あの当時書いた日記を改めて読むと、箱根湯本のコインランドリーで寝る前に、その日は塔ノ沢まで登ってた。「あまりに暗くて寒くて引き返した」と書いてました。
ナイス判断。山をナメちゃイカン。

とはいえ、コインランドリー屋さんが、よく開いてたなと思います。
あの頃のコインランドリーって、今のように洗濯機と乾燥機が一緒になってるキレイな大型のドラム式ではなく、ちっちゃい4キロの洗濯機と、これまた小さい乾燥機が、別々に3台づつくらいしかなかったんですよ。

お世話になっといて言うのもなんですが、室内は、古くて暗くて汚くて、とにかく寒かったです。

明け方、寒くて起きた。
もう100円分の乾燥機を回すより、とりあえず薄明るくなってきたので先に進んだ。

すぐに、やっぱりあと100円分乾燥機を回してきたら良かったと後悔。「どんだけカーブあんねん」っていう箱根駅伝で走るコースと旧街道?とにかく曲り道と坂道をひたすら登って箱根の山頂に着いたけど、芦ノ湖を見にいく元気もない。

これ以上歩いたら前進した分ゴールが遠ざかっていく気がしたんで、歩くというルールが音を立てて崩れた。

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6日目にして、右手の親指を上げた。

親指を上げながら進んだけど、一回親指上げてしまうと、今までの進むスピードの10分の1ぐらいになってた。

何台もの車が通り過ぎていった。また1台ワゴン車がオレの前を通り過ぎて、止まった。んッ?バックしてきた?

ウヒョヒョヒョヒョ〜!助手席の窓が開いて

「どこまで行きたいの?」
「山さえ降りれればどこでも・・・」
「じゃぁ、三島でええかい?」

ええとか悪いとか、そんなぁ、もう三島万歳やん。こうして、東京出発から1週間も経たないうちに、2つのルールが破られた。(1つ目は#2にてご覧下さい。)

おじさんは、箱根関所跡レストランに毎朝食材を届ける仕事でこれから三島の事務所に帰るとこだった。
途中、車を止めたおじさんは、自動販売機でジュースを2本買っていた。
Qoo(クー)とアクエリアス

おじさんは、どっちを飲みたくて買ったんやろ?もし「どっちがいい?」って聞かれたら、オレは、おじさんが飲みたい方を避けて選べるのだろうか?
おじさんが、朝の仕事を終えて飲みたいのは、Qooなのか?アクエリアスなのか?おじさんには、せめて飲みたい方を飲んでもらいたい。

そんな事を考えてたけど、車に乗ってきたおじさんは
「ほれッ、乗っけたのもナンかの縁だ、がんばってな。」
と、Qooとアクエリアス、2本ともくれた。
「初めて乗せたよ、ヒッチハイクしてる人。あんたはなんか乗せたい顔をしてたんだよ」

乗せたい顔ってどんな顔?猿ターテイメントな顔?30分ほど乗せてもらい、三島大社の前で降ろしてもらった。(後に調べたら三島大社ではなく三嶋大社なんですね)

不思議なもので、アキレス腱が復活したわけではないけど、三島で降ろしてもらってから、沼津まで来た。どこに残ってたんや、歩くパワー。

沼津から、また歩いた。
天気はええけど、風強い。寒い。足痛い。
右手にずっと富士山が見えてる。
もう8時間ずっと富士山見ながら歩いてる。
富士山、見飽きた。

富士市に着いたのが夜の9時。1号線の看板に名古屋まで229キロって書いてた。ガストを見つけてホッとした。

今日は280円+消費税で、一泊、いや、一休みさせてもらう。

明け方、富士市のガストをスタートして、しばらく1号線を歩いてたが、落ちてたダンボールに『旅のお供に、ど〜かひとつ』と書いて、また親指を上げた。

次回は、静岡での『話し相手』惨敗の模様。

ルールって、一度破ると音を立てて崩れますね。

そんな時は、まったくもってどうでもいいことを考えてたりします。
静岡市の青葉公園では、鳩の求愛と電光石火の交尾を一人で実況中継してた。他にも『どうでもいいこと』が、たくさん日記に書かれてました。

きっと、歩いてる時間と話し相手をしてる以外の時間が、めちゃくちゃあったんだろうなと思います。

ひとりオモシロ企画のスタート。
話し相手JAPAN TOUR #0 半年間、話し相手に行ってきます 

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話し相手JAPAN TOUR #1 アパートの撤退&はじめての話し相手

話し相手JAPAN TOUR #2 江ノ島のえのさん


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