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#1 『アパート撤退とはじめての話し相手』(東京)

(はじめに)
ホントは、縦書きで読んでもらいたいという思いがあるのですが、それは、本にした時(できた時)の喜びに残しておこうと思います。

話し相手JAPAN TOURとは

20年前に書いた日記を原稿にしたものなので、改めて読むと、ちょくちょく「うわッ、古いなぁ〜」と感じる表現があります。「うわ〜ッ、懐かしいなぁ〜」ではなく、古いんです、古くさいんです。「テレビデオなんて、今どきの人、知らんやろ!」と20年前の自分に突っ込むのですが、そんなノスタルジックも感じてもらいたいので?そのままにしておこうと思います。

あの時33歳。いま54歳。話し相手JAPAN TOURを、今やってみたらどうなるのだろうか?また、やってみようかな・・・と

そんな事1ミリも思いません。では、どうぞ。

『アパート撤退』
リュックを背負って、話し相手の時に路上に置く組み立て式のテーブルとイスのセット以外に何もなくなった江古田の部屋を見渡して、ふと思った。

「6畳ってけっこう広いねんなぁ」

キッチンのガス台のところには『月、水、金ゴミ出しの日 大家より』と書かれた紙がプラプラ揺れていて、裏には、2年前このアパートへ引っ越す時に手伝ってくれた石山くんの落書きがあった。

『火、木、おばけ出ます 大家より』と。

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部屋を引き払ったのは、ひとり全国ツアーで「シンドいな・・・やっぱ帰ろかな」という逃げ場をなくすためと、6ヶ月誰もいない部屋に家賃を払い続ける程、太っ腹ではなかったからだ。

愛着あるハズの家財道具は、迷わずリサイクルショップに売り飛ばした。もちろん環境を考えてであり、お金に細かいというわけでは・・・ある。お金、大事やん?

テレビデオとソファーベッドを目玉に、タンス、電気ポット、スキーセット、布団乾燥機(本来の布団を乾かすという用途よりも、主に暖房用)そしてダンボールには、それなりの衣類を誠意を込めてキレイに畳んで入れておいた。すべて運ばれていき、さて、いくらになるのか。こういう瞬間が楽しい。「どうでしょう?」とワクワクして聞くと

「じゃぁ、1万円で」
「えッ、どれが?」と確認すると
「え?」
「えッ?」

そのえ?はなんのえ?という気持ちで聞き返すと

「えっと、え?」

なんか「え?」の攻防が繰り返されたので

「テレビデオ?ソファーベッド?」
「いえ、全部で」
「はッ?」
「は?」

次は、は?の攻防が繰り返されそうなので

「そんなもんですか?」と大人の対応。
「はい、そんなもんですね。」相手は業者の対応。
「オレの10年が1万円?」
「むしろ10年だから1万円です。」

たしかに、そうか・・・逆に1年だったら10万というワケにもいかないだろうが、リサイクルというのは売るという感覚ではなく、次の方に使っていただくという感覚を持たないといけないんだ。と、思いながら出てきた言葉は

「そこをなんとか!」

リサイクリングなお兄ちゃんは、全くこちらを見ずに、ちょっと苦笑いで伝票を書き始めた。たしかに、適正価格はそんなもんかもしれん。

しかしなんやろ、このやりきれない気持ちは?テレビとビデオが一体になったテレビデオやで!ソファーとベッドが一体になったソファーベッドやで!布団と乾燥機が一体になった布団乾燥機?あ、それは一体にはなってないか・・・

10年分のいろんな思いを込めて、オレは熱意を伝えた、いや、完全に情で訴えた。

「わかった、じゃあ・・・10年のオレの想い出に値をつけてくれ!」
「それはできません」

早かった。あっさり即答。

結局オレに残されたのは1万円と想い出だった。キレイに畳んだ衣類でいっぱいになったダンボールを見ながら、リサイクリングなお兄ちゃんが電卓のボタンを『100』と押したのは見間違いじゃなかったんか。あれ全部で100円やったんか。もう2,3枚お気に入りのTシャツ、リュックに入れとけばよかったかな。それでもきっと『100』だっただろう。

縁起をかつぐ方ではないが、家を出る時に下駄箱から出そうとしたクツのひもが、クギに引っ掛かって見事に切れた。

「まぁ、新しいひもではなかったし・・・」

外に出て最初の角で黒ネコ発見。

「まぁ、13日ではないし、いつも見かけるノラネコやし・・・」

そして、ニュースでは「2000年一番の強風で、電車が止まりケガ人が10人出ました」と。

「まぁ、電車使わんし・・・」

オレがもし縁起をかつぐ人間やったら、確実に初日は順延にしてた。

こうして、ひとり全国ツアー『話し相手JAPAN TOUR 2000』はスタートし最初の目的地、横浜へ向かった。

「待ってろ、横浜ぁ!」

めちゃめちゃな強風の中、めちゃめちゃ重い荷物を持って、めちゃめちゃ歩いた。もぉ、めちゃめちゃの3乗だ。コギャル風に書くと「めちゃめちゃ×3」になる。

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横浜は、ぜんぜん待ってなかった。
横浜に着いたのはAM1時を回っていて終わろうとしていた。

それでも、相鉄ジョイナス横の高島屋の前に、記念すべき初日のテーブルを組み立てたが、部屋で練習がてら組み立てた時とは全く違う緊張感だ。

ストリートミュージシャンが初めてギターケースからギターを出す時、こんな緊張感なのかと思ったりした。

彼らが譜面立てに楽譜を置く様に、オレは『話し相手』の立て札をテーブルの上に置いた。意外にも話し相手第一号はすぐにやってきた。

「キミ、なにやってるの?」
「はい、話し相手の全国ツアーを」
「だめだよ、ここは」
「いや、今日は記念すべき初日で」
「ダメダメ、はい、たたんで」

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第一号はおまわりさんで、話し相手ではなく厳重注意だった。

会話もかみ合ってなかった。厳しい現実にぶつかり、初日は終わろうとしてた、いや、時間的に20日はとっくに終わってた。


『はじめての話し相手』
頭の中に浮かんだ文字『前途多難』しぶしぶテーブルをバラシかけてた時だった。
「何やってんすか?」
話しかけてきたのは、マンガ家を目指していた垣堺君(トシちゃん)で、後ろには、今風のちょっとロン毛で甘いマスクだけど失業中の菅原君(スガちゃん)がいた。
この2人が『話し相手JAPAN TOUR 2000』はじめての話し相手だった。きたきたきたぁ〜!ついに歴史が動き始める瞬間だ。
頭の中の文字が『前途洋々』に変わり、おまわりさんを確認して、すかさずテーブルを組み立てイスを出した。
テーブルの上には『話し相手』の立て札と『福島カツシゲPresent's話し相手JAPAN TOUR 2000』の小さな看板をぶら下げた。

「これって、ジャパンツアーなんですか?」
「そうやねん。いやぁ、キミらが記念すべき最初の話し相手やで」
「えッ、今日からなんですか?」
「そぉそぉ、ツアーの初日」
「全国ツアーって、どこ回るんですか?」
「とりあえず、南に向かって行こうとは思ってるけど、最終的にはサミットに間に合うように沖縄かなぁ?」
滑舌はハッキリしてるけど、中身がハッキリしてないのが気になったのか、無口だったスガちゃんが口を開いた。
「これってお金取るの?」
スガちゃん、ごっつい冷静やな、キミ。
「いや、取らんよ。っていうか取れんやろ。占うならともかく話し相手やから」
「うわッ、おもしれぇ〜」トシちゃん興奮

この先は彼ら2人の、いや、ほとんどトシちゃんの質問攻めだった。そしてオレは質問に答えてるというより、これからやろうとしてる事を確認してるような気がした。2人に答えてるようで実は自分に、もう一度確かめてたんやと思う。

「そぉやな、なんでって言われてもなぁ、オモロイと思ったからやろなぁ。新宿駅の西口にな、夜になったらズラーッと占い師が並んでんねん。占い師が等間隔に並んでるのもオモシロくて笑ってんけどな、あの中に1人だけ占いのできへんヤツがいてて、そいつが『話し相手』って看板出してたらオモロイやろなぁ〜、って思って、あッ、オモロイんやったらオレがやろッ!ってなるやん?で、やるんやったら全国ツアーってなるやん?」

「まぁ、どこまで行けても6ヶ月でツアーを終えて帰るからなぁ、帰る家ないけど。いやいや、ないない、そんな自分を磨きたいとか、笑いの修行とか、そんなん背負ってるつもりは全くないなぁ。この1対1のステージで、今は1対2やけど、オレはイケてんのか?オモロイんか?っていう世論調査みたいなもんかなぁ?」

「8万。あ、最後に1万円入ったから9万。現金持ってると、ちょっと怖いから、郵便局に貯金してカード作ってきてんけどな。郵便局って全国にあるやん?えッ、少ない?だいじょ〜ぶ、だいじょ〜ぶ。ぜんぜん無いと困るやろうけど、えッ、6ヶ月で8万はヤバい?そうか?1ヶ月で・・・1万ちょっとか、ホンマやな、少ないわ、ヤバいな!まぁ、なくなったらバイトするやん」

「ちょっと迷ってんなぁ『聞き上手』とどっちにするか。でも、聞き上手は聞いてなアカンやん?オレも話したいやん?で、話し相手にした。」

「とりあえず、出発する時に『歩いて行くわ』って言うてしもたからなぁ。まぁ、基本的に歩くのって健康にはええねん。ただ、限度を越えなかったらやけどな。歩きのルールは完全に失敗したわ。正直言うて横浜までで、もぉやめよかなぁって思ってるもん」

ほとんど一方的に話してたような気がする。トシちゃんとスガちゃんが聞き上手になってた。30分ぐらい話したかなぁ、トシちゃんが
「明日、友達連れて来ますから、もう1日いてくださいよ!」
おいおい、オレには次の場所に行く予定が、あれ?ないなぁ、ツアーの初日に、いきなりアンコールの声が小さく鳴り響いた。明日も横浜『相鉄ジョイナス横の高島屋の前』にて、話し相手のテーブルが出る。


(追記)
この時は、まだ『占い(え)ません』の立て看板はなかったんですよ。その代わり『福島カツシゲPresent's話し相手JAPAN TOUR 2000』という看板をテーブルの前にぶら下げてました。その後『料金いただきません』というのも付け足したり、他にもイスは、来てくれる人側に2脚あった方がいいなと思って全部で3脚になって、どんどん荷物が増えてました。
寝袋は、友人にもらったのですが、なんか、めちゃくちゃズシンッと重量のある寝袋で、5月中旬やったかな、あまりに重くて実家に着払いで送って、それからは、現地調達のダンボールで野宿という、完全にホームレススタイルになりました。

そんなワケで、続きは、また次回。


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