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「環境問題との両立なくして旅行ビジネスに未来なし。困難だからこそ声を上げようと思った」。そのエコツーリズムの先駆者は言いました。【#5】

昨今、「SDGs」(持続可能な開発目標)という言葉やカラフルなロゴに接する機会が増えました。国連が2015年に採択した、この国際目標を受けて、国連世界観光機関(UNWTO)は、2017年を「持続可能な観光国際年」とするなど、それまでも推進してきたサステナブルツーリズム(持続可能な観光)への対応をさらに強化しています。

こうした動きの先駆けのひとつにエコツーリズムの取り組みがあります。ツーリズムには、旅行者を楽しませ、地域の暮らしを豊かにする一方、環境破壊や地域との摩擦などにつながる側面もあります。国内ではまだ、「サステナブルツーリズム」も「エコツーリズム」も知る人ぞ知るの時代だった1990年代後半、その問題に向き合う必要性を唱えて動き出した人たちがいました。高梨洋一郎さんもその一人です。
コロナ禍を経て、旅のかたちも大きく変わるといわれる中、エコツーリズムの役割はどうなるのでしょうか。長年の経験を踏まえた、その見方をお聞きしました。


一般社団法人日本エコツーリズム協会 副会長
高梨洋一郎さん

〔Profile〕
たかなし よういちろう  1941年生まれ。早稲田大学政経学部卒業。旅行業メディア編集長などを経て94年独立、海外旅行関連のWEBマガジン発行や旅行業マーケティング活動を展開する。98 年、現日本エコツーリズム協会の設立に参画、初代事務局長を務める一方、立教大学観光学部非常勤講師、サイバー大学世界遺産学部教授などを歴任。2021年より現職。日本旅行作家協会顧問理事。(写真は、2008年インドネシア カリマンタン島〔ボルネオ島〕にて) 



サステナブルツーリズムの先駆けとして


――そもそもエコツーリズムとはどういうものでしょうか。

ひとことで言うと、自然や歴史、文化など地域に固有の資源を生かした観光(ツーリズム)のスタイルのことですね。様々な地域資源の保護と観光業の成立、そして地域コミュニティの振興を一緒に実現させようというツーリズムの考え方の一つです。

旅行者は、地域の魅力により深く触れることができ、受け入れ側にとっては、観光客が訪れることで暮らしが安定し地域も守られていく。そんな双方にとってよりよい形を目指そうというものです。

――旅する人も迎える人も、そして地域にもよい形にしていくと。

そうです。旅行ビジネスのマーケットは、コロナ禍で一気に萎んでしまいましたが、逆にメリットや課題点が浮き彫りになった面もあって、アフターコロナは、これまでとはだいぶ様相が違ってくるなと感じています。

そういう意味では、これからの新しい旅のあり方の一つとして、エコツーリズムの考え方で旅をする、あるいは旅をつくる、旅の仕方を提案する。そんな時代になっていくのではないでしょうか。

現在、世界共通の深刻な問題は、地球そのものが環境の危機に直面しているという現実。どう考えても目下最大のテーマはこの点です。このところ、国連によるSDGs(持続可能な開発目標)の概念が、社会に様々な形で浸透し始めていますが、それに伴ってサステナブルツーリズム(持続可能な観光)という考え方も知られ始めている。これは相当に定着していくことでしょう。そして、その先駆けとなったのがエコツーリズムの取り組みだと、私は考えています。

白川郷には1995年の世界遺産登録を機にキャパシティを上回る観光客が押し寄せ
地域との摩擦問題などが浮上、エコツーリズムを考えるきっかけともなった


―次なる時代の新たな旅行スタイルなんですね。高梨さんはこのテーマに長く深くかかわってこられました。

日本エコツーリズム協会の前身となるエコツーリズム推進協議会を立ち上げたのは1998年のこと。当時は、まだ日本では「サステナブルツーリズム」という言葉は聞かれなかったし、「エコツーリズム」さえもよく知られていませんでした。「“エコツーリズム”とは、“エコノミーツーリズム”のことか」と言うような人も少なくなかった時代ですから。

――なるほど。では、そういう認識が広がってきた経緯をどう捉えていますか。

いわゆるサステナブルという概念が広がる大きなきっかけとなったのは、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された「国連環境開発会議(地球サミット)」ですが、さらに淵源をたどれば、1972年に環境問題をテーマにスウエーデンのストックホルムで開催された「国連人間環境会議」にまでさかのぼると考えています。

国連人間環境会議では、環境問題と共に先進国と途上国との経済格差の問題(南北問題)なども浮き彫りになりました。その延長線上で開かれた地球サミットでも、これらの議論にはなかなか方向性が見い出せなかったようですが、そんな中で、問題を解決するのは対立的な枠組みではなく、グローバルな視点での持続可能な開発(サステナブルデベロップメント)であるという考え方が打ち出されたわけです。

それから10年の後、国連は、持続可能な開発の観光版が「エコツーリズム」だとして、2002年を「国際エコツーリズム年」に設定し、これを国際的に広めていく方向性が示された。地球サミットとはそういう会議でした。当時、ツーリズム関係の識者の間でも、いろんな意味でこのテーマこそが今後の課題になると言われたものです。


リオでの地球サミット開催当時、既にアマゾンでは農業用地開発に伴う森林破壊が問題に


“地球が危ない”、世界共通の課題に向き合って


――地球サミットからちょうど30年になります。その間、ご自身でも何か感じるものが。

1980年代、90年代当時、世界各地を取材で訪れながら、個人的にも地球環境問題が無視できなくなる時代が来るなと感じていましたね。まず、健康や環境に配慮する禁煙運動が顕著に広まっていたこと。そして、旅の大衆化が一気に進んだ結果、団体客が観光各地に押し寄せて、既にあちこちで摩擦も生じていた。その様を間近にして、「このままでは必ず衝突が起きる」と危機感を覚えました。

地球上が旅に沸きかえっていた時代の中で、一方で環境問題が噴出しており、「旅の功罪」が問われ始めていた。ならば、観光そのものを持続可能な形にしていかなくては先はないと考えていたところに、エコツーリズムという概念が浮上してきた。「これだ!」と思いましたね。

――ですが、新しい概念を広めるのは簡単ではなかったのでは。どんな思いだったのですか。

この活動を続けてこられたのは、これが商売ではなく、つまり基本的にはビジネスに直結していない、社会や業界の共通課題だったからでしょうね。とにかく地球の環境悪化がいろんな意味で問題となっていて、このままの状態では旅行ビジネスの将来は暗い。やがて行き詰まるなと感じていました。

だから、個々の立場から離れて、できるだけ環境問題に配慮する、あるいはその両立を目指すような運動をしていくべきだという直感があった。社会における旅のあり方に関する問題意識を、業界全体で共有すべきタイミングだと。容易でないことはわかっていましたが、そういうことこそ、やはり叫びとして上げていこうと考えたわけです。

各地を取材で訪れながらエコツーリズムの必要性を再認識した
(カリマンタン島のリバークルーズ)


――それが推進協議会の設立の動きにつながった。

エコツーリズム推進協議会は1998年に、有志数人で立ち上げたのですが、それ以前から業界の仲間たちと、エコツーリズムの可能性に関する議論を何度も重ねていて、関係方面への働きかけも進めていた。JATA(一般社団法人日本旅行業協会)とも共同でエコツーリズム教本を作成しており、その取り組みも組織のベースとなりました。

会長は当時、旅行ジャーナリストとして著名で、知人でもあった兼高かおるさんに快諾いただき、動き出して半年ほどであっという間にスタートしてしまいました。その後、2003年に正式にNPO法人日本エコツーリズム協会を設立し、2018年に一般社団法人となったわけです。


沖縄・西表島で動き出した若者たち


――設立総会は沖縄の宜野湾で開かれましたが、この地を選んだのは。

実は沖縄では、我々が動き出すより前、既に1970年代から西表島を中心に、エコツーリズムに関する先駆的な活動が始まっていました。沖縄では72年の本土復帰後、観光開発が急拡大されましたが、同時に環境破壊も進んだ。この状況に危機感を持った島の若者や研究者たちが、自然や文化を守り活かしながら、観光開発を目指す取り組みを地道に続けていたのです。

そして、1994年に知見を『西表島エコツーリズムガイドブック』としてまとめ、96年には、「西表島エコツーリズム協会」を組織した。この取り組みには環境庁のサポートも得られました。推進協議会の設立総会を、そうした背景を持つ沖縄で開催することに大きな意味を感じたのです。


西表島は「生物多様性保全上重要な地域」ということで昨年世界自然遺産に登録された。
国内で観察できるマングローブ全7種がみられるのは西表島だけ
1996年の西表エコツーリズム協会設立総会の一場面(日本エコツーリズム協会資料より)


――環境庁もツーリズムを後押しした。

行政もその頃から少しずつ考え方が変わってきていたように感じています。もともと環境庁が目指していたのは自然の完全保護。つまり、できるだけ入らない、侵さない、手をつけないことがいいというものでした。ところが自然は放置すると逆に劣化する部分もあるわけで、環境保全のためには、やはり人の手を入れ、利用した方がよいという認識に変化しつつあり、西表島はそういう意味での実験の場でもありました。

――その環境保護の考え方は、昨今の国立公園や域内にある温泉などの利活用推進にも通じていますね。

認識が広がってきたということですね。保護一辺倒ではなく、国立公園や自然公園なども利用していかないと運営がままならなくなると。最近はその傾向が一段と強まっているように感じます。

例えば、ワーケーション(観光地等で働きながら仕事をする過ごし方)の推進でも同様で、以前、新規プロジェクトの審査員を務めた際も、国立公園の利活用をどう図るかを着眼に盛り込んでいる提案がいくつも見られ、ずいぶん意識が変化したなと思いました。国立公園に対する行政の見方も、この20~30年の間に着実に変わってきているようです。


環境省は現在、全国の25国立公園の40地区でパークボランティア活動を実施、
登録者による自然観察教室や美化清掃、自然保護の普及啓発に力を入れている


美しい四季、豊かな自然、優秀な人財が国の宝


――観光業界においてはどのような状況でしょうか。

旅行会社もそれを意識して動き始めていると感じています。コロナ禍で、地元の魅力再発見の旅ともいえる「マイクロツーリズム」が取りざたされましたが、これからの旅は、地域の資源を観光資源として見直し、観光化を図るというようなことをもっともっとやっていかなくてはいけない。

つまり、観光地として光っている所に一度にどさっとお客さんを運び込むという従来のやり方から、目立つものはなくても、その地の観光資源を掘り起こし、地域の人たちと共に体験型の旅をじっくり育てていくという方向に変わっていくことが重要になる。既にその流れは随所で出ています。

――具体的にはどんな内容ですか。

例えば、地元産の菜種廃油から精製したバイオディーゼル燃料を使ったコミュニティバスを使ったバスツアー、富士山の大自然と地域の文化体験を重視したグランピング、そして岐阜県飛騨地方では里山の暮らしや歴史文化を訪ねるサイクリングツアーなどなど。他にも地域でのボランティア活動を商品化したり、海外のエコツーリズムの取り組みを一緒に体験するツアーなど、いずれも小規模なものですが、少しづつ実施され始めています。

西表島でも、星野リゾートが本格的なエコツーリズムリゾートを目指して本腰を入れており、夏休みにはマングローブ教室も予定されています。伊勢志摩のある旅館でも、早朝の魚釣り散歩など漁村ならではの体験プログラムで再生を図ろうとしている。さらに、旅館の若女将や漁師のおかみさんたちが、上がったばかりの伊勢エビを材料にして観光客向けに料理教室を開き、それが起点となって漁村全体が活性化するなど、どんどん広がりを見せています。


富士山の自然と地域の文化に触れながら、ゆったりとした時の流れを楽しむグランピング
/©Mt. Fuji Satoyama Vacation
経験豊富なガイドがコミュニティの暮らしや文化・歴史を案内し
飛騨の里山を巡るサイクリングツアー/©SATOYAMA EXPERIENCE


――いわば産業の6次化ですね。観光産業の可能性が広がります。

農業や漁業と掛け合わせて観光として活用する。あるいはその加工業を観光化するなど、1次産業を多重に利用し、6次産業にすることによって、全体のビジネスボリュームを増やしていくというやり方。これもエコツーリズムの考え方です。

今や、ものづくり日本もやや行き詰まった感があり、IT分野でも出遅れてアメリカに先に行かれた格好です。では日本は何で生きていくのか。もちろんものづくりは残るでしょうが、大きな柱にはならなくなっている。その時、日本の資源は何かと考えると、やはり四季に彩られた美しく豊かな自然、それから高い教育水準にある人だと思います。人とこの自然を活用しない限り、日本の将来はないなというのが、私の正直な感覚ですね。

だから、日本の観光立国はそこを軸にして、世界から観光客を呼ばなくてはいけない。爆買い型ではなく、少人数でも地域に深く入って伝統的な日本の良さを楽しんでもらう。これからの観光のあり方は、自然を持続可能な形で活用して、そこに人を集めていき、観光の力として地域活性化を図っていくことだと思います。


カギとなる異業種のチャレンジとネットワーク発想


――ただ、一定ボリュームが求められるビジネスとの両立は難しいと聞きます。一方で、最近は異業種からの進出も目立つようです。

そうかもしれません。数を追う従来型の旅行ビジネススタイルが染みついている人にとっては、いまさらどうすれば、となりますが、全くの異業種の人から見れば、新鮮でビジネス化の道も柔軟に考えられるでしょう。純粋にツーリズムに興味がある、あるいは学生時代に研究に没頭した、本気で地球の未来について考えたいなど、多少の成果が出るまでふんばって耐え抜いていける、新たなチャレンジにはそういうモチベーションも大事なのだろうと思います。

でも若い層の中には、そういう思いを抱き、動きだす人たちは間違いなく増えていると感じています。これからの日本の経済にはそこが救いだと、私はそう強く思います。


2019年に開催された日本エコツーリズム協会設立20年の記念フォーラムでは、
埼玉県での里山保全や沖縄・宮古島における次世代層の取り組みなども紹介された/©JES



――これからの若者の取り組みへの期待は大きい。

そうです。小さな取り組みもやがて線に、そして面になってくれればいいわけで、例えば、環境問題に関心をもつ他企業とも一緒になって取り組む。自然資源を持続可能な形にするためには、観光という手段をうまく活用すべきという考え方が他産業にも広がっていけばうれしい。旅行会社はそこに集客機能を担って寄与する。そういう構造になればいいなと。

日本は、多様な自然、ユニークな文化に恵まれており、全国をモザイク模様のように覆っている。国の津々浦々に毛細血管が張り巡らされるように、人々がそれぞれの目的を持って各地を訪れ楽しむ。日本の国がそうなったらどんなに素晴らしいことか。その実現を目指して、これからも自分のライフワークとして追い続けたい。それが夢ですね。

――ありがとうございました。

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ツーリズムの業界では最近、サステナブルツーリズム(持続可能な観光)に加えてリジェネラティブツーリズム(再生型の観光)という言葉も聞かれるようになっています。つまり、ツーリズムによって、旅先の現状を持続するにとどまらず、より良くしていこうというものです。
今後の観光のあり方について、「自然を持続可能な形で活用し、そこに人を集めていき、地域活性化を図っていく」との高梨さんの見方はそれに近いと思いました。

聞くところでは、この分野は主にヨーロッパ各国が先行していて、北欧には国家戦略にしている国もあるようですし、ヨーロッパ以外でも例えば、ハワイでは環境や文化への影響について、旅行者にも「責任ある行動」を求める認識を提唱しており、観光の指標も従来のホテルやフライトの利用状況などから、観光客の満足度、観光地側の満足度、そして消費額へとシフトしているといいます。
同様に、南海の島国パラオや北米のカナダなどでも、現地の自然環境や文化への尊重や学び、地域と適切なコミュニケーションを取る姿勢などをプレッジ(誓い)として明文化。パラオでは違反すると罰金が課されることもあるという徹底ぶりです。

世界は本腰を入れています。日本でも次なる動きが出ているとのことで、「それが、これからの日本経済の救いだ」という高梨さんの強い言葉が響きました。社会課題は個人課題の集積でもある、と思っています。ならば、もはや若手ではありませんが、自分自身も一人の旅人として、個人の課題として、この問題に向き合っていかなくてはと、あらためて感じました。

武藤英夫 株式会社ジャパンライフデザインシステムズの編集担当。旅行会社、旅行業メディアを経て、現在はツーリズムとヘルスを足がかりにした生活者研究、情報発信等に従事しつつ、さまざまな人と地域のウエルビーイングの実現に取組中。