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日本史:奈良時代 「仏教国家へ」

通訳案内士の試験勉強のための、まとめノートです。

都が奈良に移され、仏教による国家統治が進みました。日本書紀や万葉集など当時の文化を現在まで伝える書物が現れはじめました。

710年 「元明」天皇は、それまでの都だった「藤原京」から「平城京」に遷都しました。羅城門から朱雀門まで南北に伸びた道路を中心として、碁盤の目状に都が整備されました。

712年 天武天皇の命により編纂が開始された「古事記」が元明天皇に献上されました。上、中、下の3巻からなり「稗田阿礼」に口述させた内容を「太安万侶」によって執記、編纂したとされています。天皇家を正当化するために書かれたものであるとされています。

こぼれ話 ①
1979年、太安万侶の墓が奈良県の北東部にある山間部の茶畑で発見されました。竹西英夫さんが、茶の木を植え替えるために茶畑を1mくらい掘っていたところ、地面から炭が出てきて、さらに奥行き40cmの穴があいた。その中から、銅板と小さな骨が見つかった。これが世紀の大発見となった、太安万侶の墓だったのです。
銅製の墓誌には、太安万侶の名、位階(従四位下)、命日(723年7月6日)が刻まれており、本人の墓であることが特定され、古事記編纂者の実在が明らかとなりました。この時代の墓で埋葬者が明確に特定されるのは稀なことです。

713年 元明天皇の詔により諸国の風俗地理をまとめた、「風土記」が編纂されました。ほぼ完全に現存しているのは、「出雲国風土記」であり、あとは播磨国風土記、肥前国風土記、常陸国風土記、豊後国風土記が一部欠損して残っているだけです。
官命には風土記に記載すべき事柄が指示されていました。
・郡郷の名前を好い字にして記載
・郡内で産出する産物の目録
・土地の肥沃の状態
・地名の起源
・伝えられている旧聞異事

715年 「元明」天皇が老いを理由に、娘の氷高皇女に皇位を譲ることで、「元正」天皇が誕生しました。この女性天皇同士の皇位の継承は日本史上唯一の出来事です。

720年 天武天皇の命により編纂が開始された「日本書紀」が完成し、元正天皇に奏上されました。30巻で構成されており、天地の始まりなどについて書かれている神話(神代)から第41代持統天皇まで、それぞれの天皇がおこなった事績が年代順に記載されています。天武天皇の皇子、「舎人親王」らによって日本の正史を編纂するという目的で書かれたとされています。

この年、藤原不比等が病のため亡くなりました。不比等の死後、その子である「藤原四兄弟」は元正天皇・聖武天皇の時代にわたり朝廷の政治を担うことになります。

724年 元正天皇は、皇太子に譲位することで「聖武」天皇が誕生しました。

741年 疫病が多発など当時の社会不安を、仏法の力によって解消しようと、「国分寺建立の詔」が出され、全国に「国分寺」と「国分尼寺」が建設されました。大和国の「東大寺」、「法華寺」が、その総本山とされた。

743年 奈良時代中期、重い税に耐えられなくなった農民の逃亡があいつぎました。このため、田んぼが荒れ、税収が減るという事態が発生したため、聖武天皇は、「墾田永年私財法」を発布し、開拓した土地の永久私有を認た。
これにより税収は増えますが、貴族や寺院が力をつけるきっかけにもなってしまいました。「荘園」発生の基礎となった法令である。

752年  「東大寺」の本尊として世界最大の金銅仏、奈良の大仏が造営され、開眼法会が執り行なわれました。この大仏造営の責任者として「行基」が招聘されました。行基は、直接の民衆への仏教の布教活動を禁じた、この時代に、禁を破り困窮者の救済や、橋の建設や灌漑事業など社会事業などを行った僧です。

このような大規模な寺や大仏を作ることで国の財政が悪化。さらに苦しい状態になります。さらに、仏教を保護したことで、僧が力を持ち始めます。

このころの文化は、「天平文化」と呼ばれています。中国(唐)の影響を受けた、貴族・仏教の文化です。代表的な建築物としては、鎮護国家の象徴として建立された「東大寺」、中国の僧「鑑真」が創建した「唐招提寺」、「聖武」天皇の遺品を収めた「正倉院」などがあります。

正倉院

766年 藤原氏の勢力が衰えると、僧侶、「道鏡」の権力が拡大、法王となることで、朝廷内の権力を掌握していきます。仏教優遇政策を行い、僧侶たちがさらに力をつけます。

770年 道鏡を支援していた称徳天皇が亡くなると、道鏡は栃木に追放されました。

770年頃 4千首余りを集めた日本最古の和歌集「万葉集」が編纂されました。

大海人皇子(後の天武天皇)に嫁ぎ、その後、その兄である天智天皇の后になったと言われている「額田王」、貧窮問答歌で知られる「山上憶良」、選ばれた歌が最多の「大伴家持」、歌聖と呼ばれる「柿本人麻呂」、「山部赤人」の歌が収録されています。また、東国から九州に赴いた農民兵、「防人」たちによる「東歌」も収録されています。

新年号「令和」は、万葉集 巻五「于時初春月 氣淑風 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香」が典拠となっています。730年(天平2年)1月13日、大宰府の長官である「大伴旅人」の邸宅で催された『梅花の宴』の様子を記したものです。
この場所は現在「坂本八幡宮」がある付近であったとされています。


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英語で日本を説明


素晴らしい文化、自然を海外に発信・広めて行きたいと考えています。