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きらいなあなたと

正論は、ときどき人を追い詰める。

正論の「正しさ」についていけない弱者を振り落とし、見下してしまう。正義は強い。ひとたび、「悪者」にされてしまえば、次々に人は正義の名のもとに非難する。

「正しさ」だけで救われない弱い心、悪いことに誘惑されてしまう心を、責めることはできない。したくない。誰にだってそういう弱い部分がある。

『ポリティカル・コレクトネス』という言葉がある。これは、いろんな立場の人の意見を認めること、多様性を実現するための中立性を保つこと、が本来の意味なのだけれど、ときどき間違って、正義のための武器のように使われる。正しさを振りかざす剣だと誤解される。

いろんな複雑な背景をもった一人ひとりに寄り添って、その人の立場を尊重しようとしている行動が、いつのまにかそれについていけない人を棍棒で殴るようなものになってしまっている。

立ち止まって、考えてみる。「わたしの欲しい剣はこれじゃない」と。

嫌いなあなたと、向き合って話す。
お互いに言いたいことをちゃんと、伝える。聞く。
相手を黙らせるのでもなく、論破するのでもなく、本当のところの考え方は違ってもいい、「違っている」ということが分かってもらえればいい。大きな声で怒鳴って話す人のことも、小さな声で囁くように話す人のことも、どちらも等しい一人の意見だから。
そうやって向き合った先に、いろんな表現を認め合う豊かさがあるような気がする。相手を追い詰めて論破することには何も意味はない。答えは見つからなくてもいい。

弱さと正しさと、そのどちらも大切にしたい。お互いの弱い部分を認め合いながら、「ちょうどいい答え」を探し続けたい。

嫌いなあなたと話そう
私が嫌いなあなたと

分かって、笑ってほしくて
話そう、大きな声で

知りたいことがあるの
痛くてめんどくさいけれど
あなたを知りたいから
話そう、大きな声で

『きらいなあなたと』長谷川健一

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