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2021年7月の記事一覧

五輪と震災

 五輪関係のテレビは一切遮断するつもりでいたのだけれど、開会式くらいは見るぞと楽しみにしていた様子の夫がテレビをつけるから、ぼんやりとテレビを眺めていた。もともと過去の五輪の開会式だって、ほとんどまともに見てはいない。ただ北京五輪の時の、上昇気流に乗った国家の総力を注いで作り上げた開会式は、鮮烈に記憶に残っていた。それと比するのは酷とはいえ、ようやく体裁を保ったとも言い難いセレモニーだった。表情は見えないながらも顔を引き攣らせながら、なんとか褒める場所を探して会話を繋ぐような

新今宮に訪れてから、129日間で学んだこと

お読みいただく前に  この文章は私、島田彩が、自身の表現の反省および改善を目的として執筆いたしました。インターネット上のご意見や、新今宮エリア内における方々からお話を聞くことで学び、その内容を綴ったものであり、あくまで個人の見解です。PRを目的とするものではありません。また、「新今宮ワンダーランド」「新今宮エリアブランド向上事業」からの公式見解ではありません。  なお、本稿のインタビューについては、新型コロナウイルスの感染拡大防止に配慮し、原則一対一でおこないました。 は

人を憎まないと決める①

人を憎まないと決めた。 煙草をやめようと思ってやめたように、人を憎むことをもうしないと決めた。 「やさしいんだね」と言われた。やさしくはない。良い悪いじゃない。すでに答えが出ている問いとして置いておけば、その感情の前に立ったときに何も考えずに選ぶだけで済む。たったこれだけのことが今まで何度自分を踏み留まらせてくれたかわからない。これを「憎んでしまっても仕方ない」としておくと手当り次第に善悪の定規をへし折り、ありったけの感情を焚べて火柱のようになってしまう。もうそんな風に自分を

分断について書くことを選ぶ

オリンピック開催にもやもやするのは東京に住むひと働くひとが大事にされていないと感じるから。 でも日常に目を向けると自分の大事なものやひとを大事にしてくれないひとやことなんて溢れている。そうだ。友だちが不条理な目に遭っているとき、自分にできることなんてない。たとえ「ある」と言ってくれても、結局いつも「私自身が満足できること」はできない。満足できる基準がそれこそ綺麗事の範疇を出られないから、したいこと、できること、すべきことのギャップに何回も何回も飽きずに躓いて憤って悲しみ続ける

庭の眺め

同じことを長く続けていると、その庭の中でもすごく日当たりのいい場所といくら季節が巡れど一向にほの暗く淀む場所がわかってくる。自分が感ぜられる範囲はもちろん、きっと自分には思い描くこともできないくらい遠く、密やかなところまで「選んできたこと」は関わっている。それが選んできたもの、選び続けてきたもののほんとうの姿なんだと思う。こちらへ向けられた言葉なのだと思う。 私はその暗がりに花木を植えたかったけれど、どうにも難しい。 あかるくて気持ちいいところで小さな花々を愛でるたのしみと引

まざりのいた頃 -いつも そばに ねき がいた

子供のころ、猫を飼っていた。 最初は、母が知り合いから1匹の雄猫をもらってきたことがはじまりだった。その雄猫は、当時流行だった「アメリカンショートヘア」という種類に似ていて、シルバーの模様に、ふわふわした毛並みがしゃれていた。 私は小学校高学年くらいだったろうか。猫は好きだったので、素敵な毛模様の猫が来たことがとてもうれしかった。 雄猫がうちに来てしばらく経つと、「友達」を連れてくるようになった。母が、ガレージに、変な模様の猫がいるという。顔がどこにあるのかもわからない。も