りかいされないことについて
初めてワークショップに教える側で参加した。
振り返りで自分の感想コメントが議事録になった。
違和感を感じた。
伝えたい本質はそこではないのにと思った。
伝える能力が低いのか、伝える言葉が貧弱なのか。
そこからフワフワと連想が膨らんだ。
繋がる発端は、やさしい印象の言葉だったり、
捻じれの発端は、語彙力の無い言葉だったり、
喧嘩の発端は、思いやりのない言葉だったり、
別離の発端は、自己愛と捉えられてしまう言葉だったりして…。
だから言葉選びで損をしたんだと自分を責める事が続いて、怖がって2文節連ねるごとに戻るボタンを押すようになってしまった。
それでも、、、
推敲したいのに、せっかちで、突き詰めずに放出されてしまう言葉たち。
いよいよ気付いた。相手に届いてしまったならば、それはもう受け止められた言葉。
相手の感性で染み込んで、そして刻まれていく。「空」が青いのか朱いのかは相手次第なのだ。
だから聞き返せばいい。ねぇ、どう受け止めた? と。
その次に言葉ごとに認識の擦り合わせをしたらいい。
空は青いのかな朱いのかなと。
そんなこと逐一していられないから、初めにこう伝えたらいい。
「伝えたい本質を上手く伝えられないことがお互いにあるということを、理解してくれるかい?」
と。
向き合い続ければ良いという結論に至る。
時間を共に過ごすことは何にも代え難い理解をもたらすのだろう。
無能な自分はまた誰かを言葉で傷つける。
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