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君はジョルジュ・メリエスを知っているか

ジョルジュ・メリエスという人


映画界において、偉大とされる映画監督はたくさんいる。

黒澤明、スタンリー・キューブリック、フェデリコ・フェリーニ、イングマール・ベルイマンといった巨匠といわれる監督。希代のヒットメーカー、スティーブン・スピルバークやジェームズ・キャメロン、それにジョージ・ルーカス。独自の世界で高い評価を得ているクエンティン・タランティーノやコーエン兄弟、クリストファー・ノーラン等々。

彼らの名前は、映画好きであれば勿論のこと、映画好きでなくてもどこかで名前を聞いたことがある、という人が多いのではないだろうか。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、彼らに負けず劣らず、もしくは、映画史においては、彼らより遥かに偉大な業績を残した人物がいる。

しかし、彼の名前は上記にあげた監督に比べるとはるかに知られていない。ある程度映画に詳しい人だけがようやく知っている程度の名前である。

彼の名を、ジョルジュ・メリエスという。

ジョルジュ・メリエスは知らなくても、『月世界旅行』は知っているという人はいるかもしれない。

ヘンテコな月にロケットが突き刺さっている、かの有名なシーンで知られる、"史上初のSF映画"である。その作品を撮った人物こそが、ジョルジュ・メリエスである。しかし彼の功績は、はじめてSF映画を作った、ただそれだけに留まらない。

ジョルジュ・メリエスの生涯

ジョルジュ・メリエスの生涯については、彼の偉業を描いたドキュメンタリー『メリエスの素晴らしき映画魔術』に詳しい。

この作品は、ジョルジュ・メリエスの生涯だけでなく、リュミエール兄弟による1895年の映画初上映から、トーキー映画に移行する1920年代までの映画業界についても描かれており、映画ファンなら必見の一作だ。

ジョルジュ・メリエスは、1861年、パリで生まれた。父は靴職人で、ある程度裕福な家庭だったらしい。

青年期、ジョルジュ・メリエスは、ステージ上で繰り広げられるマジックに魅了された。父の靴工房で働く傍ら、マジックへの情熱を燃やし続け、ついには自分で劇場を買い取り、自ら考案したマジックを披露していくようになる。

そんな彼に、人生を大きく変える出来事があった。1895年12月28日、そう、リュミエール兄弟による人類史上初めての映画上映である。

それを見て、"動く写真"に驚愕した彼は、すぐさま、映画製作に必要なカメラ、フィルム、映写機を手に入れ、映画作りに没頭しはじめる。マジックに魅了され、自らマジシャンとして芸を磨いていたメリエス。人を驚かせたり喜ばせたり、そういったことが大好きだったのだろう。メリエスが映画をみて狂喜し、その情熱をステージ上のマジックからスクリーン上のマジックへと移行していったのは時代による必然だったのかもしれない。

『メリエスの素晴らしき映画魔術』の中で、メリエスがはじめて"特殊撮影"、つまりSFXを生み出したエピソードが語られている。

ある日、映画の撮影中にカメラが故障し撮影が一時停止、故障を直して同じ場所で再びカメラを回しはじめた。それを映写してみると、不思議なことに、それまで映っていたバスが突然霊柩車に入れ替わっていた、という。

つまり、ストップモーションの発見である。今からすれば、当たり前の映像技術ではあるが、本人はさぞ驚いたことだろう(メリエスがSFXの祖と言われることがあるが、これは正しくない。トーマス・エジソンをはじめ、メリエス以前にもカメラの一時停止後の再撮影による特殊撮影は行われていた)。

それまでマジックでやっていたであろう、箱に入れた人間が消えたり、人の首を切りそれが元通りになったり…それらを映画で作ることができる。映画には様々な可能性がある!そう感じたに違いない。

その後もメリエスは、次々に特殊撮影を開発していった。

一人の人物が七変化、何人にもなって画面に映る多重露光。対象物の大きさが変化するズームイン・ズームアウトの原型。さらに、コマ落としやフェード・イン/フェード・アウトもメリエスが開発している。

これだけでもジョルジュ・メリエスの偉大さがわかるだろう。

そうして、数々の映像技法を実験、開発していった中、出来上がったのが1902年、『月世界旅行』である。

『月世界旅行』は世界中で大ヒットし、メリエスの名声は頂点に達した。

その後も映画を撮り続けたメリエスではあったが、次第に彼の作品は飽きられていく。経済的にも困窮するようになり、1913年には破産、メリエスの映画製作は終わりを告げる。

その後、彼は、駅の売店でおもちゃ売りをするなど、落ちぶれた生活を送り、1938年、静かにこの世を去った。

映画を映画ならしめた偉大な人物の最期にしては、あまりに寂しい最期である。

『月世界旅行』における偉業

『月世界旅行』は、それまで映画といえば数秒から数分程度だった中、上映時間14分、撮影期間は3ヶ月におよぶ超大作だった。

月への探検を計画する科学者たちが、どでかい大砲を作って月面着陸。そこで月人に襲われる中、なんとか逃げ延び、地球に帰還するという物語だ。

1902年、公開されるや否や世界中で大ヒット。これまで見たことのない映像と物語に、当時の人々は驚愕したであろう。

『ジュラシック・パーク』を観てリアルな恐竜に驚愕したように。または『ターミネーター2』の液体金属の滑らかな動きに感嘆したように。『マトリックス』のこれまで見たことない斬新なアクションシーンに興奮したように。

『月世界旅行』は、初のSF映画としてその名を歴史に残す。しかし、『月世界旅行』の価値はそれだけでは決してない。それまでの映画は、固定されたカメラに映される人物や風景を映し出した、ドキュメンタリーとも呼べない、ただの"動く写真"だった。多少、脚本や演出を施された作品もあるものの、それらも"動く写真"の延長戦上にある。

しかし、『月世界旅行』は違った。

・1シーンだけでなく複数の場面(シーン)から成立する
・複数シーンによって順序だった物語を描く

この二つが大きい。

つまり、"動く写真"から、"物語を描く映画"へと跳躍したのである。この違いは大きい。

"動く写真"から、"物語を描く映画"への跳躍、当然、ジョルジュ・メリエスがやらなくても他の誰かがやっていたはずである。しかし、最初にそれを実際にやったこと、それがまさに偉大なのだ。

リュミエール兄弟は、トーマス・エジソンが発明した技術を使って、映画を大勢が一度に鑑賞する方法を発明したに過ぎない。リュミエール兄弟が、「エジソンの撮影技術を使って、たくさんの人に鑑賞させようぜ!」と考えたのと、メリエスが、「エジソンの撮影技術を使って、たくさんの人を驚かせたい!」と考えたのとの違いである。

確かに、リュミエール兄弟も偉大である。しかし、映画を映画として成立させたのは、誰あろうジョルジュ・メリエスに他ならない。

ジョルジュ・メリエスの本源的な偉大さはここにある。

ジョルジュ・メリエスの作品


現在、ジョルジュ・メリエスの作品は、パブリック・ドメインとなっているため、Youtube他、ネット上でも閲覧可能となっている。

例えば、『悪魔の館』(1896年)

最古のホラー映画とされる作品で、悪魔の館を訪れた剣士が、悪魔にあれやこれやイタズラされる…という作品だ。ストップモーションをふんだんに活用している。

『一人オーケストラ』(1898年)

同じ男(演じているのはジョルジュ・メリエス本人)が一人・二人と増えていき、7人でオーケストラを奏でる。多重露光による合成技術である。

『ゴム頭の男』(1901年)

男(演じているのはジョルジュ・メリエス本人)の顔が大きくなったり小さくなったり。ズーン・イン、ズーム・アウトの原型を見ることができる。

これらはすべて、およそ120年前の作品になる。『メリエスの素晴らしき映画魔術』でも語られているが、映画のフィルムは経年劣化による損傷が激しく、120年前の映像がこうしてインターネット上でいつでも無料で見られることは実に幸福なことだ。

メリエスを知り、メリエスが情熱をかけた映画製作とロマンに思いをはせながら、メリエス作品を鑑賞するのも、時には上質な映画鑑賞と呼べるのではないだろうか。

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