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『太平洋奇跡の作戦 キスカ』に学ぶ退く勇気

映画は様々のことを教えてくれる体験でもある。

映画から直接学ぶこともあるし、映画をきっかけに調べる、学ぶということもある。

『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965年)は、そのような学びをもらう作品でもあった。

『太平洋奇跡の作戦 キスカ』

監督は丸山誠治監督で、後の東宝の戦争映画、8.15シリーズの『連合艦隊司令長官 山本五十六』(1968年)、『日本海大海戦』(1969年)の監督も務めているが、それは、この『太平洋奇跡の作戦 キスカ』が認められたためである。

丸山誠治監督の戦争映画は、ドラマチックな演出を排し、史実に忠実に、淡々と戦争を描いている。そのため、娯楽映画としてみると、盛り上がりに欠ける。しかし、戦争の歴史を知る上では、うってつけの作品とも言える。

キスカ島撤退作戦

『太平洋奇跡の作戦 キスカ』は、太平洋戦争における、キスカ島撤退作戦を描いた作品である。太平洋戦争というと、どうしてもジャングルに覆われた南方作戦をイメージしてしまうが、キスカ島はジャングルとは無縁、アラスカ近くのアリューシャン列島にある島である。

もともと、アリューシャン列島のアッツ島とキスカ島は、1942年のミッドウェー海戦を機に日本の支配下となっていた。

しかし、ミッドウェー海戦以降、日本の戦局は悪化、1943年5月、アッツ島はアメリカ軍に攻略され、日本軍は玉砕する。続いてアメリカ軍から狙われるのはキスカ島となるわけだが、ここで、後に「奇跡の作戦」と呼ばれる救出作戦が行われる。

この救出作戦を指揮したのが、木村昌福少将である(『太平洋奇跡の作戦 キスカ』では、三船敏郎が演じ、”大村少将”となっている)。

キスカ島は、完全にアメリカ軍に包囲されており、そこに艦隊で救出に向かうのである。アメリカ軍に見つかり、怒涛の攻撃を受けることが容易に想像される。

そこで木村少将は、キスカ島付近に発生する濃霧の夜に作戦を決行することを決定する。しかし、期待する程の濃霧は中々現れない。キスカ島には助けを待つ守備隊がいる。大本営からは作戦決行はまだかと連絡が来る。

しかし、木村少将は慌てない。

濃霧の夜を辛抱強く待つ。そうして、ようやく濃霧の夜がきた。いよいよ出撃する。キスカ島目前にまで迫り、いよいよ救出…かと思われたが、そこで、霧が晴れてしまう。木村少将は、何を決断したか。

それは、キスカ島救出からの撤退だった。

木村少将に対し、部下たちが、必死にキスカ島への突入を進言する。しかし、木村少将は、濃霧で視界が良好になった事実を受け、撤退を決断する。

その後、再度の出撃で、濃霧が晴れることなく、キスカ島へ到達。キスカ島守備隊を救出した。

木村少将の判断

キスカ島撤退作戦は、例えば、真珠湾攻撃やミッドウェイ作戦、インパール作戦などのような知名度は高くない。しかし、日本の戦局が悪化する中、キスカ島守備隊約5200名を完全無傷で救出、大成功した作戦である。

この大成功の大きな要因は、キスカ島目前にして退くという木村少将の判断にある。

この退くという判断には、大きな勇気が必要だったと考えられる。事実、キスカ島に出撃しながら、敵と戦闘を交えることもなく、手ぶらで戻った木村少将は、大本営からも猛烈な批判にさらされた。

太平洋戦争における日本軍は、「攻める」ことが重視された。「逃げる」はダメ。「退却」もダメ。「捕虜となること」も否定された。「攻める」姿勢こそが日本軍人の精神。実際は退却であるのに、攻めの方向転換という意味で、「転進」という言葉も編み出された。

しかし、「攻める」だけが作戦ではないし、「攻める」だけが戦争でもない。そしてまた、「攻める」だけが勇気あることでもない。

状況分析を行い、冷静に「退く」という勇気ある判断が必要な時もある。実生活においては、むしろ、「退く」という勇気が必要なケースの方が多いともいえる。

困難な事ほど、成功の可能性は低い。数パーセントの成功確率に対して、それを行うべきか否か。

成功確率が低いことを成功すると、ヒーローもしくは英雄として崇められる。しかし、それらはほんの一部の話に過ぎない。成功確率が低いことに挑めば、大抵は失敗する。成功確率が低いのだから当然だ。

しかし、ヒーローに憧れて、英雄となることを望んで、または「チャレンジ」「前向き」「積極的」…そのような言葉を信じ、成功確率が低いことに挑もうとしてしまう時がある。

しかし、「チャレンジ」も「前向き」も「積極的」も、「無謀」と紙一重だ。必要なのは、冷静な状況把握と分析、そして決断である。木村少将も、冷静な状況確認があったうえでの「退く」判断だった。

成功する可能性の低いことを行い、成功するとヒーローとなる。成功する可能性が低いことを行い、失敗すると愚か者となる。

日露戦争は、大国ロシアに勝てるはずがないと言われたが、勝利した。東郷平八郎や乃木希典は軍神となった。

太平洋戦争は、大国アメリカに勝てるはずがないと言われ、やはり勝てなかった。そして、東條英機をはじめ戦犯とされた戦争指導部は絞首刑にされた。

「退く」ことも勇気がいる。「退く」ことも、チャレンジであり、前向きであり、そして、積極的な判断である。その「退く」決断が、その後の結果に大きな違いを生み出すこともある。

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