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『マンディンゴ』にみる現在の価値観で過去を批判する愚かさ

奴隷牧場を描いた映画『マンディンゴ』

黒人を飼育、交配させ、新たな黒人を産ませる。そして、黒人を販売する。

1800年代のアメリカ南部における「奴隷牧場」を描いた映画が『マンディンゴ』だ。

1975年に公開され、アメリカの暗部を真正面から描いたこの作品は、批評家からもマスコミからも酷評の嵐。その後、長いことソフト化もされず、映画史から抹殺された作品だった。

数年前にリバイバル上映され、現在は配信サービスでも観ることができる。

『マンディンゴ』は、実に残虐な映画だ。

しかし、血しぶきが飛び散ったり、内臓がタレ流しになったり…そのような残虐な描写はない。そういった直接的な残虐描写は、最近の映画のほうがはるかに多い。

しかし、『マンディンゴ』は間違いなく残虐な映画である。

何が残虐なのかといえば、奴隷牧場で行われている行為それ自体が残虐なのである。そもそも、人間を家畜として飼育する牧場である。今の価値観からすれば、狂っている。

そのため、『マンディンゴ』の作中、白人たちが黒人に行う行為のどれもが残虐であり、即ち、『マンディンゴ』は、極めて残虐な映画なのである。

どのような残虐行為が行われているのかは、『マンディンゴ』を観ることをお薦めする。白人たちの行為に、なぜそんな酷いことを?という疑問のオンパレードになるか、もしくは、ただただ言葉を失うかもしれない。

ただ、ここで、かつてのアメリカの奴隷制度の下で残虐行為を行った白人たち、『マンディンゴ』でいえば奴隷牧場の牧場主らを批判したいわけではない。むしろ逆である。

『マンディンゴ』に登場する白人も、そして黒人も、今の価値観からするとあまりに残虐な行為を当たり前の事として行っている。それらの行為に疑問を抱く登場人物もいるが、多数の人々は疑問も抱くことすらしない、そのように描かれている。

実に淡々と残虐行為を行い、残虐行為を受けているのだ。

これらを観て感じるのは、人間の価値観というのは、社会の価値観に支配されているということだ。

つまり、当時は奴隷制度というものがあり、白人からすると黒人は人間ではなかった。だから、人間でない黒人を家畜として扱った。その家畜=奴隷=黒人を生産する奴隷牧場の存在に異を唱えることもない。それが社会の常識だった。社会の価値観だった。

奴隷牧場の牧場主たちも、価値観が異なれば、あのような残虐行為をしていたわけではないだろうと思う。

価値観を過去に遡及させる危険性

法律には不遡及の原則がある。これは、新しく制定された法律は過去さかのぼって適用されることはない、という法律の原則だ。例えば、昨年まで窃盗が法律上禁止されておらず、今年から違法とされたとした場合、昨年までどれだけ窃盗していようと、今年窃盗をしない限り、罪に問われることはない。

この不遡及の原則は、法律だけでなく、価値観にも設けられるべきでないだろうか、と感じる。

ただし価値観というのは、法律のように明文化されていない点が難しい。

価値観の不遡及、ということを考えた時、思い起こすのは東京五輪の演出チーム辞任騒動である。

小山田圭吾氏や小林賢太郎氏が辞任に追い込まれた。この辞職のニュースを見た時、強い違和感を感じた。

なぜ、現在の価値観で過去の一個人の行為を批判するのだろう、という違和感だ。もしもこれを許したら、とんでもない前例を作ることになるのではないか、という警戒感でもあった。

どちらの辞任も、20年も前の発言に起因している。20年前の発言に責任をとれ、というのだろうか。当時の法律に違反していたのであればわかる。当時の価値観からしてもおかしかったのであれば、当時、非難され問題とされているべきではなかったのか。

仮に、当時の価値観でも許されておらず、失言、失敗だったとしても、その後、謝罪し反省を示し、行動で示してきた。そうだとしたら、それでいいではないか。重要なのは、今ではないのか。

「20年前の発言の責任を取って辞任」というのがおかしいと思うのだ。「20年前の発言について、当時から現在に至るまで、謝罪も反省する意思も一切ないから辞任」だったらまだわかる。

やり直しがきかない社会

人生は、いつからでもやり直せるものだと思っている。

しかし、現在の価値観で過去の行為を批判し、その責任を取らせることを是とする世の中になれば、人生にやり直しはきかなくなる。

人生で、一度の失敗も許されないのだ。しかも、未来の価値観がどうなるかなんて誰にもわからない。予測不可能な未来の価値観にビクビクしながら生きなければならない。

ノーベル賞を受賞しても、過去に、当時は許されていたが今の価値観からするとNGなセクハラ行為をしていた、ということで非難されるのだろうか。会社で社長賞を取っても、過去に今では許されないようなパワハラをしていたからといって受賞取消しになるのだろうか。

今の価値観で、過去の行動、責任を取らされる、いつからそんな窮屈な社会になったのだろう。

今では、著名人に限らず、一個人もSNSでの発言や行動は記録データとして残っている。

今回の東京五輪の辞任騒動のように、過去の価値観のもとで行った行動、発言で非難されるのは、何も著名人に限らない。一個人にも起こり得る

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