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『ミセス・ノイズィ』こそアカデミー賞にふさわしい

動画配信サービスでレコメンドされ、何気なく観た天野千尋監督作『ミセス・ノイズィ』(2020年)が素晴らしかった。

今年のアカデミー賞では『ドライブ・マイ・カー』(2021年)が作品賞を逃す結果となったが、『ミセス・ノイズィ』の方がアカデミー賞にノミネート、もしくは作品賞受賞にふさわしいとさえ思った。

『ミセス・ノイズィ』がアカデミー賞にふさわしい理由

『ミセス・ノイズィ』は、2000年代初頭、奈良県で起きた騒音おばさん事件を題材に、隣人間の騒音トラブルを描いている。

タイトルから連想する展開からのどんでん返し、強烈な主演女優陣の存在感、テンポも良くぐいぐいと惹きつけられ、見応えある作品だった。

そしてまた、『ミセス・ノイズィ』は、アカデミー賞受けがよさそうな要素が幾つもある作品でもあった。

1. 社会的マイノリティ

今年の『コーダ あいのうた』(2021年)もそうであったように、近年のアカデミー作品賞を見ると、社会的マイノリティを描く作品が多く受賞している。

多様性を認める社会というのを反映して、アカデミー賞のトレンドの一つは社会的マイノリティといって間違いではないだろうし、今後もそのトレンドは続くと思われる。

『ミセス・ノイズィ』の主人公は、アパートに住む中流家庭の女性二人であり、社会的マイノリティといえる存在ではない。ただ、騒音おばさんの夫は、精神を病んだ無職の人であり、そういう意味で社会的マイノリティも描かれた作品と位置づけることができる。この騒音おばさんの夫が、後半において主要な役割を演じることになる。

また作中、農家で働く騒音おばさんが、廃棄されるだけの「曲がったキュウリ」を、どこか買い取ってくれる所がないか走り回る(どこも買い取ってくれない=廃棄するしかない)シーンがある。

この「曲がったキュウリ」は、社会的マイノリティのメタファーと捉えられ、それを認めようとする少数意見の騒音おばさんと、少数意見を認めようとしない社会という構図が描かれている。

2. 現代社会問題への批判

『スポットライト 世紀のスクープ』(2015年)や『パラサイト 半地下の家族』(2019年)のように、人種問題や性問題、格差社会と貧困など、現代社会が抱える問題を描く作品もまた、アカデミー賞に好かれる作品といえる。

『ミセス・ノイズィ』では、後半、SNSによる炎上やそれに輪をかけてのマスコミによる大騒ぎ、それらメディアリンチの悲惨さがこれでもかと描写されている。

SNS社会の現代が抱える問題を痛烈に描いているという点も、アカデミー賞受けしそうな要素と感じる。

3. 哲学的メッセージ

社会的マイノリティや現代社会の問題を描きつつ、それだけではなく「愛」や「人間」や「神」といった文学的、哲学的なメッセージが込められた作品は、アカデミー賞受けがいい。

『ドライブ・マイ・カー』も、「喪失と再生」という文学的なメッセージが込められていた。

『ミセス・ノイズィ』は、騒音の被害者・加害者双方の視点から描かれているが、この同一のシーンを複数視点で描くという手法は、黒澤明『羅生門』が有名で、それ自体は珍しいものではない。

『ミセス・ノイズィ』がより面白かったのは、加害者・被害者それぞれでただ視点が変わるだけではなく、視点がある側の主観によって、相手の表情や喋り方などが、全く異なって見えることを、明示的に描写していることにある。

つまりこれは、現象もしくは正しさは人の認識によって規定されるということを示しており、それはカント哲学にも通ずるもので、つまり『ミセス・ノイズィ』からは哲学的なメッセージを受け取ることができる。

4. ハッピーエンド

『ミセス・ノイズィ』は、最後は多少強引にハッピーエンドへと収束させていく。この点は賛否あるところだろうと思う。

ただ、ハリウッドといえばハッピーエンドである。

ハッピーエンド好きのハリウッドにとって、多少強引であっても『ミセス・ノイズィ』のハッピーエンドは受け入れやすい作品と感じる。

カッコつけてない魅力

このように『ミセス・ノイズィ』は、アカデミー賞受けが良さそうな要素が盛り沢山である。

しかし実際のところは、『ミセス・ノイズィ』がアカデミー賞の対象となるカルフォルニアで公開されたとしても、アカデミー賞とは縁がない作品だろうと思う。

なぜかというと『ミセス・ノイズィ』は、アカデミー賞受けしそうな要素が沢山ありながら、アカデミー賞っぽくないからである。アカデミー賞っぽくないというのは、『ミセス・ノイズィ』にはカッコつけてる感じがないという意味になる。

『ミセス・ノイズィ』では、社会的マイノリティや現代社会が抱える問題、それに哲学的メッセージが「わかる人にはわかる」ように暗示的には描かれていない。はっきりと明示的に描かれている。また、映像美といわれるような凝ったシーンもない。

暗示的で、玄人好みされそうで、映像美に彩られている、そういうカッコつけてる感がない。だから『ミセス・ノイズィ』はアカデミー賞っぽくない。しかし、そのカッコつけてない感こそ『ミセス・ノイズィ』の魅力と感じた。

『ミセス・ノイズィ』の一番のメッセージは、人が判断する「正しさ」ということの不確かさと思うが、そのメッセージを、作品を通じてとにかく描きたい、カッコつけるよりとにかく描きたい、そういう作り手のエネルギッシュさを強く感じる作品だった。だから、素晴らしかった。

天野千尋という監督の他作品も観てみたいと思った。

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