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『新宿タイガー』に感じる自己肯定感と共感力の危うい関係

映画『新宿タイガー』

新宿三丁目エリアを、奇抜なファッションに身を包み、タイガーマスクのお面を付けて新聞配達する男・通称新宿タイガー。

彼に密着したドキュメンタリー映画が、『新宿タイガー』(2019年)である。

この映画を観て最初に思ったのは、「こういう人っているな」という思いだった。

あのような奇抜な衣装を指しているのではなく、タイガーマスクのお面のことでもない。自己肯定感が強い人という意味で「こういう極端に自己肯定感が強い人はいるな」と思ったのだ。

自分の周りにいるなと感じる極端に自己肯定感が強い人。それは、以下のような人となる。

(1)自分の話ばかりする
(2)他人の話を聞かない
(3)他人の評価を気にしない
(4)他人の批判(悪口)をズケズケ言う
(5)滅茶苦茶自分に自信がある

映画『新宿タイガー』においても、新宿タイガーが夜な夜な新宿ゴールデン街で、俳優や女優たちと酒を飲み交わすシーンが映される。そこではやはり、新宿タイガーが一方的に喋り、俳優、女優たちはひたすら聞き手になっている。

自己肯定感が強い人

この『新宿タイガー』を観ていると、違和感を感じる点がある。それは、新宿タイガーを知る人々のインタビューで、皆がそろって彼に対して肯定的な意見を口にする点だ。否定的な意見は全く登場しない。

しかし、彼のことを否定的に感じている人は確実にいるはずである。しかもそれは決して、少数意見ではないと感じる。

筆者の周りにいる極端に自己肯定感が強いと感じる人間は、ファンも多い反面、敵も多い。自分のことばかりしゃべって他人の話を聞かない。自分の興味のあることにしか関心を示さない。そういう人間なのだから、ファンも多ければ敵も多いのは当然だ。

極端に自己肯定感が強い人から感じるのは共感力の低さ

極端に自己肯定感が強い人と関わる時、同時に感じるは、その人の共感力の低さである。

興味があるのは自身と自身の価値観だけの人である。他人の痛みや、他人が言ってほしくない事もわからない。結果的に、悪意なく他人の批判(悪口)をズケズケ言うことになる。

そのため、極端に自己肯定感が強い人間は共感力が低い、という図式を感じる。

現在、自己肯定感が強い人間は、どちらかといえば肯定的に捉えられる。実際、自己肯定感が強い人を見ると、人生に対する幸福度は非常に高いのだろうなと感じる。

しかし、共感力が低いというのは、否定的に捉えられる。他人の痛みがわからないだから、自分勝手、デリカシーのない人間とされる。

そのため、自己肯定感が強い人間は共感力が低い面も持ち合わせ、結果、必ずしも評価される人間とは限らないし、自己肯定感が強いことは決してよいこととも限らないと感じる。

直接的な幸福追求と間接的な幸福追求

自己肯定感が強く共感力が低い。会社にいれば、評価が難しい人材である。しかしその評価の難しさは、会社といった特定のコミュニティにおける評価という観点に限定される。

つまり、自己肯定感が強く共感力が低い人は、そもそも、コミュニティにおける評価なんて関係ないのである。本人に興味があること、好きなことが実現できれば、自身の人生に対する幸福度は高くなる。

『新宿タイガー』の後半、彼が新宿の映画館で大好きな『ローマの休日』を鑑賞しているシーンがある。その時の表情は、何ものにも代えがたいような幸福絶頂の表情をしている。

お金にも権力にも興味がない。興味があるのは自分の大好きな映画と美女と酒。それらに触れている時が幸福。実際にそれを実現しているし、だから幸福度は極めて高い人だろうなと感じる。奇抜な衣装に対して白い目をされようが、酒を飲んで自分の話ばかりして煙たがられようが関係ない。

本人の人生に対する幸福度は極めて高い。しかし、社会的な成功であったり経済的成功を伴うかはまた別である。

つまりこれは、人生の幸福度を直接的に求めるのか、間接的に求めるのか、という違いと感じる。

・人生の幸福度を、直接的に、自身の興味・関心に実現に注力するのか
・人生の幸福度を、間接的に、自身の属する社会やコミュニティの評価によって得ようとするか

どのように人生の幸福度を求め、人生に対してアプローチをするか。これは、そのどちらが正しいという訳でも間違っているということでもない。人それぞれの判断に委ねられる。

そんなことを、映画『新宿タイガー』を観て感じた。

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