衝動のままに突き進んだ5年前の起業体験は無謀だったけれど正解だったと思う
新春最初のnoteは、5年前の起業体験を書こうと思います。
起業というとかっこいいイメージがありますけれど、私の場合はかっこよさなど皆無です。
無謀、どたばた、滑稽でしかない体験談ですが、もしかしたら読んでくださった皆様の中には勇気が出たり、やる気になったりしていただけるかもしれません。
ラウラミーカはたくさんの方に助けていただき、今年で6年目を迎えることができました。そして、やっと下の子が小学校に上がって子育てがやや落ち着くため、事業として向かう先も新たに見えてきました。
長尺ですが、読んでくださると嬉しいです。
きっかけは311でした
311という大きな出来事がきっかけで人生が変わったという方、多くいらっしゃるのではないかと思います。
かくいう私もそうでした。
太平洋岸沿いの海町に住んでいるので、余震、放射能への恐怖に加え、津波の恐怖もありました。
幼稚園に通う小さな子がいたことと、夫が東京都心で勤務していたので、1日の大半は私と子供の2人暮らし。
となると、何かあった時に子供を守れるのは私しかいません。
頭の中が常に臨戦態勢。
昼間に地震が起きた場合、
昼間に地震と津波が起きた場合、
昼間に原発が爆発した場合、
夜間夫がいない時に地震が起きた場合、
夜間夫がいない時に地震と津波が起きた場合、
夜間夫がいない時に原発が爆発した場合、
ひとりエンドレス避難訓練を繰り返し、もう、、、もう、、、ギャーーーー!とパンク寸前になり、見かねた夫がしばらく北海道で過ごしたら、と提案してくれ、そこから約1ヶ月間義父母のお世話になりました。
あの時はほんと、、、
「今」
それしかありませんでした。
先のことなどわからなすぎて、過去のことに思いを寄せる余裕などなさすぎて、恐れや不安があまりにもビビッドに立ち上がってくるので、おそらく脳内の活動がそれまでと大きく異なっていただろう、もしくは何か別の部位が活性化されたのではないか、そのくらいに、頭と心の働きが、それまでとは違った記憶があります。
そんな非日常的な状態の中でムクムクと湧き上がってきたのが、命への思いでした。
「こんな状況の中でどうやって子供を守れるんだろう。私はこの状況の中、命のためになにができるんだろう。」
そんな問いばかりが脳内を巡り、命への向き合い方、これからどう動いていこうか。。。そんな思いが沸点に達した時、町に戻って子供たちを守るための会を作ろうと動き始めました。
出会いのビッグウェーブ第1波到来
ガイガーカウンターを購入して、幼稚園、公園、遊び場などを計測し、会のために作ったブログで公開。その頃はちょうど大きな家に住んでいたので、月に1度お話会を開きました。お話会を開くがごとに、どんどん参加者の皆様が増え、議員さんや会社の社長さん、銀座でお宿の経営をされている女将さん、様々なクリエイターの方など、普通に暮らしていたらおよそ出会うはずのない方々と一気に出会うことになり、お酒の席にお呼びいただくことも多くなりました。
私の中の好きな性質のひとつに、自分が思っていること、大切にしていることは熱を持って伝える、という性質があります。
私は311を体験して今思うこと、してみたいことをどんどん話しました。
「今回の311で考えたんですよ。私は自分のことにかまけてばかりで、大事なことを見失っていた。やっぱり命。命なんですよね。これから命に対して私は何ができるんだろうかってすごく考えたんですよ。で、いろいろな方に出会えて、話せて、学ばせていただき、本を読み、そんな中で私、やっぱり子宮だ。子宮のために何かしたいと思って。だから下着だって思ってるんですよね。子宮が活性化するような、どこにもない極上の、最高の素材が詰まった、リンパの締め付けがない下着。冷えから守ってくれて、幸せな気持ちになる下着を作りたいと思うんですよ。」
と。
トップで切磋琢磨している方は、こういう話をとても楽しそうに聞いてくださる方が多く、気さくで、お話しできることがとても嬉しい瞬間でした。そして、こういう方達のすごいところが、現実化させる速度なんですよね。
「どうやってやるの?」
とまず聞かれました。
「わかんないです(分からないのに熱弁振るう)。今までアパレル業界にいたこともないし知り合いもいないし、何をどうしたらいいか全く分からないんですけど、下着だ!と思っちゃってるんですよ。」
すると、
「じゃあ、アパレル関係知り合い何人かいるから、連絡してみるわ。」
と、あっという間に電話をしてくださる、この速度にまず感動しました。
そして、数分後には会う約束を取り付けて、連絡先を渡してくださり、企画書を作成するようアドバイスをくださって、あれよあれよという間に、アパレル会社の社長、そしてパタンナーさんとお会いする機会に恵まれました。
私は元来、こういった社会的なやりとりが不得手で、名刺ひとつスマートに渡せません。でもその時は気合が違いました。自分が「やってみたい」と思うことを応援してくださる方が現れて、力を貸してくださった。道筋をつけてくださった。その気持ちに報いたいと心の底から思いました。
思いを現実化する力を、いろいろな社長さんと短期間に出会うことで目の当たりにし、スイッチが入ったのだと思います。
企画書を提示して思いを伝える、ということ自体が初めての経験だったので、説明も何もかもがたどたどしかったと思います。でも、お二人ともとても興味深く聞いてくださり、やってみましょう、と言ってくださいました。
「ところで、あなたのコンセプトは面白いし、やってみたらいいと思うけど、資金あるの?」
と聞かれました。
「ないです。」
「試算はできてるの?」
「布代しか分からなくて。何をどうしたら下着が作れるのかも分からない状態です。」
すると、服を作るまでの大まかな工程と、おおよその試算をその場でしてくださいました。そして、
「今すぐ事業計画書作って、融資頼みなさい」
と言われました。
事業計画書。。。融資。。。。
企画書を作るという作業の、更に何ランクも上の作業で、頭の中が真っ白でしたが、
「やります。」
とお伝えし、すぐに取り掛かりました。とはいえ、周りに事業計画書を作ったであろう人は見当たらず、ひたすらググり、計画書を作成、恐る恐る町の信用金庫を訪ねました。
これもビクビクしましたねえ。。。
何せ、自分が融資ができるなんて思っていなかった、加えて、銀行という場所はATMのある場所くらいの認識しか持っていなかったので、まさか融資窓口に私のような者が行く日が来るとは。。。値踏みされるような視線を容赦なく浴びせかけられるのではないか、実績もないのに融資なんてしてくれるのだろうか、私は銀行員の方相手にちゃんと説明できるのだろうか、脳内大渋滞で、数日前から緊張が取れない日々でしたが、
私の中の好きな性質のひとつに(2度目)、本番に強い、という性質があります。
分からないところは分からない、というしかないし、私は値踏みされても仕方のない、何にも持ってない人間なのだと開き直り、ドンと構えて乗り切りました。
出会いのビッグウェーブ第2波到来
資金を作ることができました。
その間も脳内は慌ただしく様々なアイディアが駆け巡り、そのアイディアを形にするため、ひたすら動きました。
それまでは、去来するイメージをそのまま通り過ぎさせるだけの生活でしたが、311という出来事が押した私の奥底にあったスイッチが、次々と大きな波を運んで来るので、私は必死にその波に乗り続け、動き続けました。この期間、今思い返せば、ほとんど頭が働いておらず、ただただ体と心だけが連動して動いていたような気がします。
私にアパレル会社の社長さんを紹介してくださった方は、頻繁に食事に誘ってくださり、近況を尋ねてくださり、その度にアドバイスをくださいました。
会話が豊かで、素晴らしい助言を惜しみなくくださるので、私はありがたさで何度か涙ぐんだりしてました。そして、その度に、「絶対いいものを作ろう」とますます動きました。
布はシルク、ということは最初から決めていました。そして赤い下着ということも最初から決めていました。
問題は、どのようにシルクを染めるかということです。
「命」というものに対して真剣にアプローチしたいのならば、全方向ハッピーな生産背景を持つ必要がある、というアドバイスが心に残っていました。
環境負荷を考えるならば、草木染めがいいだろうということ、赤ならば紅花、茜、などを提案してくださる方もいらっしゃいましたが、なにかときめかない。。。ときめいてなんぼだと思っているので、私の心が動かないのならば辞めたほうがいいと、別の方法を模索していたときに目にしたのが、ほぼ日刊イトイ新聞でした。
なんてステキな社長さんなんだ。この方に相談したい。
しかし、私は数日前に屋号を決めたばかりの、なんの実績も経験もない、専門用語も全く分からない、とにかくゼロに等しい状態なのに、果たして話を聞いてくれるのだろうか。
融資の時と同じ不安や心配がやってきます。でもとにかくこの社長さんの話に心からときめいたのです。
だから動きました。
メールを差し上げ、電話をし、お会いいただけることになりました。
作った名刺を持って、企画書を持ち、サンプルの布を持って、伺いました。私はなにも経験がないこと、でも思いがあること、思いを形にしたいこと、をお伝えしました。その時に社長が仰った言葉、今でも1番の支えにしています。
「工藤さん、思いが1番大切なんです。思いがしっかりあれば、大丈夫です。」
と。
取引をしてくださることになりました。
こちらの想いに沿った植物を提案してくださり、薔薇の中でも薬効薔薇と言われるガリカローズをご提案くださって、シルクを薬効薔薇で染めて下着を作る、という思いが、形になりました。
薔薇シルク。
ボタニカルダイでシルクを染めて、下着を作る。
幸せでときめくことこの上ない下着を作ることができたのは、こういった出会いの連鎖のおかげです。
その後も会社に伺わせていただくたびに、何時間も、多岐に渡るお話をしてくださいました。学生時代心震えながら聴講した浅沼圭司名誉教授の授業のようで、ひたすらメモを取り、世の中にはこんなに素晴らしい先達がたくさんいるのだ、と帰りの電車の中で幸せな気持ちになったことを覚えています。
これから
アフターコロナという新しいフェイズに入っていこうとしている今、私は日々の家事と育児という仕事に大いに鍛えてもらいながら、今まで以上に大脳の使い方を見直し、体と心を弛緩させ、受容の力を強めるとともに、意志の使い方と、委ね方の精度を上げていこうと思っています。
またこれまでラウラミーカを縛っていた括りを解き放ち、より自由で闊達なありようを、柔軟なやり方で実現していこうと思っています。
このnoteでは、今後も仕事をしていく上で学んだこと、気づいたことなど、綴っていこうと思っていますので、よろしかったらフォロー&ハートお願いします!
さて、私もこれから、皆さんのnoteを拝読するたびに出てまいります!
ここまでお読みいただいてありがとうございました!
2020.1.3
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