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どうして仕事をやめてフランス語留学を決めたのか?〜肩を張らずにフランス55
noteの中には人生のヒントらしきものが多く見かけられる。よくあれだけ自信や確信を持ってアドバイスできるものだといつも感心する。この歳になると「そういうのはもう結構です」と言いたくなる。
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ここでまた体験談を話すのは、良くも悪くもただ参考になればと思うからでそれ以上の意図はない。カウンセラーでもないし大それた蘊蓄を傾けるつもりもない。「こんな例もあるんだ」と思いながら読んでもらえるだけで十分。
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一つ間違い無く言えるのは、日本で働いていた2年(旅行代理店)と半年(事務仕事)はその後の一生をかけるには耐え難いものだったということだ。
旅行代理店のセールスほど自分にあわない職はなかった。就活でそこにしか引っ掛からなかったというのもある。旅行そのものに興味はあったし英語もやろうと思えばできた。プランを組むとか添乗員とか海外支店勤務の良いイメージも持っていた。そういう仕事内容だろうといううっすらとした考えを持っていた。
現実の配属はセールスだった。企業まわり。イベント探し。およそ自分の内向的な性格から遠く隔たった仕事内容。教育の意味があったとはいえ2年間という時間は長く不毛に感じた。
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一旦疑問を持つと仕事が耐え難くなった。辞表を出すのにそれほど時間はかからなかった。
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その後の半年間は語学学校の事務をやった。「日本語」クラスもあり、過ごしやすい環境だった。セールスのようなノルマもなし。事務所でじっと書類をこなし、夕方から受講者を受け入れる。はっきり言って楽な仕事だった。
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ある時期から、「日本語」を学びにくる外国人たちを見ていて、「お前は一体何をしているんだ?」と尋ねられているような気がしてきた。NGOの活動に触れることもあり、ボランティアの人たちの生き生きとした顔も見てきた。自分にボランティアができるかというと無理だとは思ったが。
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20代半ば。「君たちはどう生きるか」ではないが、ここで大きな壁にぶち当たった。
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旅行代理店に残って一生「庶民A」でいる道から既に外れてしまっている。40年も語学学校の事務なんかやってられない。かといって手についた技術もない。今からできることは何かあるのか?
ピアノの調律なんてどうだろう?音楽は好きだしピアノは一応知っている。はっきり覚えていないが河合楽器の調律者養成か何かの事務所に問い合わせてみた。学歴がありすぎるという理由で取り合ってもらえなかった。
一風変わった英語学校にも行ってみた。受講者が1対1でとにかく喋る。先生は教室内を歩き回りコメントを入れてくる。モチベーションが上がりきらずすぐにやめた。
フランス語教材カセットを通勤電車の中で聞いたのも今では懐かしい。あのメソードは良かった。とても効率が良かった。この時はまだ趣味の延長程度でやっていた。
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アリアンスフランセーズには半期?通った。結局これが引き金になった。大した会話を覚えた訳ではなかったが、もっとやりたいという気になった。
半年の間いろいろ試した末たどり着いたのがフランス語留学だった。
仕事についていた2年半は自宅(両親宅)から通えていたので住居費が要らず、それなりに資金はあった。留学に関しては妙なことに誰からも反対されなかった。言葉では聞かなかったが、皆一様にセールスマンの仕事に対する、ある否定的なイメージを持っていたようだった。
断っておくが旅行代理店にしても語学学校にしても「ハラスメント」を受けてはいなかった。納得さえしていれば普通に一生続けられていたはずなので、問題は自分自身にあったということだ。
たまたまあのタイミングでああいう決断をすることになった。流れがそういう方向に向かっていった。
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2年の予定だったフランス留学。その後永住することになってしまった。あれから30年以上。今音楽を教えている自分を見て「なんでこうなった?」と思うことはあっても後悔はない。あそこでした決断が正しかったとか間違っていたとかではなく、そうすることで先がひらけた実感はあった。
大した人生は送ってこなかった。ただあの時は自分が人生の主人公だと感じられた。
生きていると時々そう思える時がある。
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