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義務教育期間はたった2ヶ月

本日、友人が誘ってくれたセミナーに参加した。

講演されたのはasamicro(本名:松井麻実)さん、元不登校であり、今はダンサーとして活躍されている方だ。

義務教育は2ヶ月しか受けていない。

中学時代は公立の学校備え付けの相談教室に行くまで1年間をかけた。

脅迫神経症なども発症したこともあるらしい。

そんな中、最も痛烈に残ったのが、学校に行きたくないと思った1つのエピソードだった。

当時1年生、7歳だ。
給食中、教室を眺める麻実さん。

その端っこには、嘔吐を繰り返す児童大泣きをしている児童がいた。

真ん中には怒鳴り散らしている先生がいた。

そんな「学校の日常」を目にした麻実さんはぽっきりと学校に行きたい気持ちが折れた。

当時は不登校なんて言葉はなく、“登校拒否”という今よりも強い言葉だった。今でこそ、話題に挙げられるがこの時は校長先生も驚愕し即家まで行き動き出すほどだったそう。

私はこの話を聞いて、まったく同じ風景が今もなお現場にある有り様にとても悲しくなった。

なぜなら去年、私の隣のクラスが麻実さんが話された内容とそっくりそのままだったのだから。

男の先生だった。中堅だ。
子どもたちは怯え、いつもいつもその先生の顔色を伺っていた。
少しでもその先生の気に障ることをしようものなら、怒声が飛び交う。教室にある物を蹴り出す。腕を掴み、引っ張り上げる。

新卒2年目、衝撃であった。

私のクラスの子たちも怯えていた。
その先生のクラスと隣接していたのが私のクラスだった。

授業中もお構いなしに怒号が響く。
去年持っていた子たちは日記にその先生の怒りの表情を絵に描いてきた。(自分は怒られていないのに、だ)
「怖い…」と悲痛の叫び声を文字にして表していた。

安心させるしかなかった。
「大丈夫。大丈夫。」そう言いながら頭を撫でてやった。

その児童は翌日、「先生が頭を撫でてくれた。ほっとした。」そう日記に綴ってきた。

学校は子どもたちにとってどんな場所なのか。

叱りつけて、できない自分を徹底的に知らしめ、最後は学校に来られないようにする。こんな場所であっていいのか。そんな思いで溢れた初めての1年生担任だった。

久しぶりに思い出し、少し涙がこぼれた。

彼女が求めていたもの、大きく言えば2つある。「教師の自然体での向き合い」そして「不登校にある本人が持つ見えざるものの発見・傾聴」である。

教師が「教師」という着ぐるみを着て子どもたちの前に立つ。子どもはそれを簡単に見抜く。あっ、この人被ってるな、と。その人の人間力が透かして見えるのだ。

教師は教師の目線・立場でしかその子の内面を見ない。人によっては外面しか見られない。この子本人は何を望んでいるのか。どうしてほしいのか。そこを“見ようとする”だけで本人はほんの少し心が軽くなる。

良くも悪くも全て先生に向けたものだった。
(詳しくお聞きしたい方はぜひ麻実さんに直接お伺いしてみてほしい。)

自分で閉めた鍵穴は内側からは開かない。

先生が、親が一生懸命鍵穴に色んな鍵を挿す。

どれもこれも合わない。

しかし、ある日その鍵穴が開けられる。

誰が開けたかは…本人もわからない。

そんな麻実さんには恩師がいたそうだ。

それについてはまたの機会に。(麻実さん本人から聞いた方がより鮮明である)

エネルギーを溜めるとは全く違う視点を学べた30分だった。

また聴きたい。

6月1日から、この学びを子どもたちへ還元していく。

まずは私から学校を安心できる場所にする。






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