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迷いもなく、荊の路

先日の記事「グローバリゼーションは既に_Ver.2.0」の続きに戻ります。ご覧になっていない方は下記よりアクセスできますのでご参照ください

当時の僕の英語力では、日本の企業を辞めて、そのままダイレクトに #国際スポーツ組織 もしくは #海外で働く ということには全く自信がありませんでした。例の #リスニング #スピーキング 問題を抱えていたからです

弱点の克服

自分の弱点を克服するために、 #英語マスター に関する本や、ネットにあるさまざまな情報を貪るように目を通し、自分に合っている最短経路は、「英語しか通じない環境に自らを置いて生活すること」でした。僕の妻はオーストラリアの帰国子女で、かつイギリスにも留学した経験があるので、彼女のリスニングとスピーキングのコミュニケーションスキルには、いつも尊敬の眼差しで見ており、彼女のように英語が話せるようになりたいと常日頃から思っていました。そして、自分がそのレベルに達するためには、海外で生活することの必要性は、20代の頃からずっと心の中になんとなくありました

海外の大学院に留学して、外国人とともに英語で授業を受け、異なる環境や英語のコミュニーケーションに慣れて、マスター_修士の学位を取って、自分に自信をつけてから、最終的に海外の組織で働くというプロセスが最短かつ英語力を上げるのに最も有効だと考えました。35歳にもなって、妻子もありながら、海外にまで行って英語をマスターしたいわけですから、語学学校では不十分です。専門的なフィールドの知識を深めながら、かつマスターの学位があれば、たとえ日本に戻る結果になったとしても就職の役には立つだろうと考え、大学院に行くことは絶対に譲れない選択肢でした

また、僕の場合 #スイス #ローザンヌ にある #国際スポーツ組織 に就職することが最終目標であったので、留学先を #ヨーロッパ 、あるいはスイスに絞ることも自然の流れでした。それから、大学院で学ぶ内容についても、日本でも学部の新設が増えている #スポーツマネジメント であれば、国際スポーツ組織で働く際にも強みになると見込み、他と比べることなく、すんなり決めることができました

上述の記事でもお伝えしました通り、加速するグローバリゼーションの中で、海外で暮らすことは、自分のためだけでなく、幼い子供のためにとってもメリットになると考えていました。適応力や柔軟性の高い幼少期に海外で暮らすことで、日本にいては得られない知見やポテンシャル、そしてなにより英語力を身につけられるだろうと期待していました

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ネガティブは決して負ではない

もともと臆病な性格であるのに、おもしろいもので、日本を飛び出すことには全く迷いがありませんでした。35歳という年齢、妻子持ちということも、負の要素、あるいはなにかを諦める理由になると思いますが、僕の場合それが強いモチベーションだったように振り返ります

#日本のスポーツ界 の在り様には辟易していたものの、スポーツそのものを嫌いになることはできませんでしたし、 #海外で働く という機会_人生でまたとないチャンスを逃したくなかったという想いも強かったです

それから、障がいのある息子と東京で暮らしていく中で、傷つくことも多かったです。電車やバスが大好きな息子は、回転する車輪や移ろう車窓を見ながら、嬉しくて興奮して、車内で叫んだり飛び跳ねてしまうことがあり、周囲から鋭い目つきで煙たがられることもしばしばありました。 #ダイバーシティ とか #インクルーシブ という美辞だけが先行していて、現実はちっともそうではないとなんども苦汁を嘗めてきました。そんな日常を繰り返していくうち、海外では障がい者に対してどんな環境なのだろうという関心が湧き、 #家族で海外へ移住 することを少しずつ夢見始めていました

やりたいと思った時に、やりたいことをやる

後になって、あの時やっておけばよかったという後悔だけはしたくない

そんな想いが、僕の不安や心配を凌駕しはじめて、どんどん前へ突き動かしていました

今思い返しても、タイミングもよかったのだと思います。仕事のこと、プライベートのこと。いろんな負の出来事が積もり、このままじゃいけないという焦心が、僕の視線の先を海外に向けさせていたように思います。それから、 #Tokyo2020 という一生に一度あるかないかの母国開催のオリンピックも相俟って、僕のネガティブ因子は、ポジティブに向かう原動力と変わりました。だから僕は、ネガティブを負のものだとは一切思っていません。むしろ、「ピンチはチャンス」というように、ネガティブを逆手にとって、ポジティブに転換できるよう、物事を前向きに捉えるように心がけています

色々な不安要素や障壁を自分なりに分析しながら、目標に達するまでの荊を少しでも軽減する方法を模索し、そして僕の夢、家族との計画や将来を妻に打ち明けたところ、「そんなにやりたいなら、やってみたら?」と意外とあっさりOKしてくれました。この妻の言葉には僕も知らなかった面白い仕掛があったので、別記事で詳報いたします

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そして、いよいよスポーツマネジメントの大学院選び

僕にはふたつの候補がありました

#AISTS と、 #FIFAmaster  

それも、迷いもなく、決めることができました

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