恋愛といってもいろいろある
恋愛といっても、相手のことを人として好きな人と、彼氏彼女(妻と夫)という概念が好きな人がいる。
後者には温度を感じない。正直に言うと関わる時間の無駄だと感じる。退屈。
前者はあたたかくてやわらかくて元気になる。笑い合える。
私は中学生ぐらいから、彼氏彼女という括りを少し鬱陶しく思っていた。
友人と話していても、彼氏彼女という概念のほうに惹かれてる人とは次第に話が噛み合わなくなっていった記憶がある。
鬱陶しいといえば、好きではない異性からの好意も私は鬱陶しく感じる。
嬉しいと感じる人だっている。人それぞれだ。
反対意見を持つ人と対立したいわけじゃなく、なんらかの理由で意見をすり合わせるのでもなく、そう思うんだねって尊重し合うのが好き。
古くからの友人が変わり者の私にそう言ってくれる人だったから、ずっとそうやって生きてこれた。
私はその子の家の目の前の家に生まれ、お互いに何度か引っ越しを繰り返すも、高校生になって引っ越してきた家がその友人宅の数件隣だったりして、たしか今も近くに住んでるはず。おもしろいご縁。
話は戻り、好きではない異性からの好意を鬱陶しいと感じるのは、DVとかで幼少期から刺激の多い人生だったから。
人生ではちょっとしたスパイス程度の刺激は甘美なものだが、求めてもない量の刺激はトラウマや麻痺を起こす原因になると思う。
だから、もっと欲しい欲しい!となっても、もぉいらんいらん!となっても、どちらも正常なのだと言いたい。
あ、好きな人からの好意は大好物の桃や萩の月や中トロや帆立ぐらい大好きです🍑🌕🍣💕
持論と好意の押しつけほどいらないものはないとわかってる人が好き。
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