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2ヶ月後にどんな桜が咲くのかわからないけど。

元日であるがコインランドリーに来ている。ほんとうならば旧年の汚れは旧年のうちにかたをつけておくべきだったが、一昨日は朝から市場に出かけていって興奮のままに魚介類を買い込み腕が抜けるほどの重量になった保冷バッグを持ち帰り、午後から昨日の夜にかけては窓拭きや納戸の片づけなど大掃除しごとにいそしんだ結果、信じられないくらいの腰痛に見舞われ力尽きてしまったのだ。しかしここまでの腰痛が生じた原因は、さらに遡ることさきおととい、例の奇妙な整体にいき(すっかり気に入ってリピートしている)、歳末の疲れをメンテナンスしてもらったことによる疲れアウトプットだと思う。一方で、ふだんだったら「今年の汚れ今年のうちに」という某生活用品メーカーの呪詛を心のうちでつぶやきながらも太刀打ちできないほど積み上がった今年の汚れから目を逸らしじっとねこを見ている自分が、この年末はある程度活力を保ってがんばれたのも奇妙な整体のメンテナンスのおかげであると思う。ものごとには両面があるものだ。

さて毎年正月は子どもたちを夫の実家方面に送り出し、ねことともに寝正月を決め込むのが常であるが、今年はふたりとも受験生であるからしてみんながみんな家で過ごしている。母には年末に電話をかけてお正月の訪問はやめにすると伝えた。母は後期高齢者であるとともに生真面目であるから、こういうときに「ウイルスなど気にせずちょっと顔出しなさい」とは決して言わない。実家にはおそらく神経症であろうと思われる潔癖な兄もいる。日々街をふらふらとしているわたしなどは、ペストにおけるネズミくらいに思っているのではないだろうか。断じて家に招き入れてはならない。

こんなふうにいうと母は冷血人間なのではないかと思われるかもしれないが生真面目なだけでいいひとだ。孫たちは受験勉強をがんばっているかと労いのことばをくれ、さらに続けて娘であるわたしの受験生時代の話へと話は続く。あんたはねえ、バイトばっかりしてたし家ではいつも寝てて勉強してるようすなんかちっともなかったのに、大学受験はうまくいって。たいしたもんだわね。

たしかにわたしは親の言うことなど聞かずに好きなことをして思春期を過ごしてきており、いまになって土下座をして謝罪したいような振る舞いをしたこともある。そんなわたしはこの話になると少しばつが悪そうにニヤニヤして、いやいや、そう言うけどね、いちおうしてましたよ勉強は。などとうそぶくのがおきまりだ。これってあれでしょ、小さい頃おねしょして泣いてたわよねみたいな類の、武勇伝? 違うな、なんかそういうやつでしょう。べつに不愉快なわけじゃない、なんならちょっとしたくすぐったさと懐かしさすらある。

いつもだったら、何度も話題にのぼるが、かといってそんなに引っ張る話でもなかった。しかし今回は、孫ふたりが受験生という刺激もあってか新エピソードが追加されてロングバージョンになった。あんたのおねえちゃんはね、塾なんかもいかずにちゃんとじぶんで計画を立てて真面目に勉強して、第一志望の大学に進んだのにねえ。そういうもんだと思ってたから、あんたはねえ。

ああなるほど、と合点がいった。わたしの姉は10以上も年が離れているのだが、しっかりしていて真面目で気が強い。何につけても目標に向かってリサーチをし計画を立て努力をおしまず成果をあげる。学生時代もそうやって第一志望の合格を手にし、大企業に就職し結婚して3人の子を育てきりりっぱな社会人として送り出した。母は自分でもそう言っているがあまり視野が広いほうではないので、そういう姉を第一子にもったことでそれが当たり前なのだと思っていたそうだ。そりゃあ、家にあまり居つかず夜な夜な友人の家に入り浸り、禁止されているアルバイトに精を出し(じっさいは禁止令など形骸化しておりみんな高校の近所のファストフードなどでアルバイトをしていた)、受験生のくせに夕飯に呼ばれるまで午睡をしていた末の子どもなど、不出来そのものに見えたであろう。

でもなあ。わたしも、おねえちゃんと同じ高校に進学できてるし、大学はおねえちゃんの大学よりランクとしては上だしいちおう私大最難関なんですよ。眠いと集中力落ちるから夕飯までと決めて寝ていただけで、ご飯食べてから勉強してましたよ。就職だって新卒でできなかったけどさ、バブル弾けて氷河期突入してたし、おねえちゃんのときは高度経済成長期まっただなかだよね、しかも大企業就職したのも当時現役だったお父さんの縁故使ったって言ってたよね。わたし、いちおうがんばってワンオペで家事育児しながら働いて、独立して仕事ももらえてるんだけどね。

「あんたは要領いいわね」のひとことで片づけるんだね。

でもいいのだ。あまり顧みられることのない末っ子は、自由である。どこを評価していいのかよくわからないわたしの人生に母が干渉してくることはほとんどないし批判してくることもない。なにがなんでもああしろ、こうしろ、こうでなければいけないと要求をつきつけられることもない。そういう意味では恵まれていると思う。ものごとには両面があるものだ。

わたしの母校を第一志望としている娘にこの話をしたら、「は?さすがに勉強しないで受かる大学じゃねえわ。おばあちゃんは大学受験の経験がないから、わからんのかもしれんね。」と笑っていた。娘がわかってくれて、いっしょに笑ってくれたから、もういいのだ。娘も息子も、2ヶ月後にどんな桜が咲くのかわからないけど、どんな結果になっても「がんばったんだね。」と声をかけよう。

写真は、ダイニングの椅子に座ってるだけで近づいてきて恨みがましい目で睨んでくるねこ。わたしがどうであろうと変わらない、おまえたちにはずいぶん救われているよ。



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