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2020.3.11 吉祥寺書店探訪。『うもれる日々』とプレ花見

陽光というより、日差しと感じる気候だった。
「プレ花見をしよう。」バッチリの誘いにのって、吉祥寺へ向かう。

ここ半年、音楽を楽しめていないことがひっかかっていた。全く聴かないわけではないけれど、新譜や話題の曲をApple Musicに追加したっきりになることが多い。
イヤホンをつける時間の大半が、ラジオに費やされていることも原因の一つだろうけど、それにしても。自分を疑問に思いはじめて180日目くらいの今日、答えがわかった。
激安イヤホンの質が悪かったのだ。

音の立体感や圧知らず、音楽の快感や感動を取り払うコイツの存在をなぜ、半年も認めてきたのだろう。
そもそも、前任者が断線したから急遽ドン・キホーテで購入した「つなぎ」だったはず。
天気雨が降った日、故障もせずこんなに使えるとは予想していなかった。

もっといい音で聴きたい。というかこのイヤホン音悪すぎないか?
と、発見させてくれた空中泥棒に感謝します。韓国のバンドということ以外に何も知らないけど、春っぽいいい天気の日には最高にピッタリだった。

https://youtu.be/DMjHWK13Jm4

じつは、プレ花見の誘いを受ける前から、本屋を回ろうと吉祥寺に行くつもりだった。
そんな日はトートバックだろう、お供はこいつだ。ページをめくりながら中央線は住宅街を走り抜けた。

橋本亮二『うもれる日々』(十七時退勤社)

出版社の営業に長いこと務める橋本さんが、昨年の文フリに出店するため書き始めた日記本。
本やゲラや書類に埋もれるデスク写真の表紙に惹かれ、文フリに行けなかった僕は荻窪のTitleでこの本と再会(Twitterで一期一会なんて山ほどある)できた。
本を抱え、食事をし、会話し、好きな本について言葉を尽くす姿は、生活に訪れるありふれた行為だ。
今の僕が無意識に繰り返していることもある、その一つ一つを、橋本さんは自分の内側にゆっくり潜っていくように書き残す。

そして全体を通して、自分主導で本を作る決断によって訪れた、少しの非日常や発見による、実感と興奮が積み重ねられていく。
製作にあたってアドバイスしてくれる人や、デザイナー、何より自分を見つめる自分、いろんな人と協力することへの想いが、勤め人ならではの視点と共に見え隠れする。

朝日出版という名刺のもとに会った相手は、自分の力で(出会いやめぐりあわせを)手繰り寄せたわけではなく、社名に支えられての縁と考えてしまっているのかもしれない。もちろんそうなのだけど、なんだろうか、もっとフランクな方がいいよなと思う気持ちと、この姿勢が自分なんだという気持ちとがせめぎあ合う。(p.20)

この本を作ること以外にも、橋本さんが感じた「繋がり」は、本をゆっくり味わうことへの悦びがあるからこそ見えてきたものだとわかる。

気になる本について調べるうちに、滋賀の書店員が書いたレビューに胸を打たれたならば、必ずその人がいる店でその本を買おうと決意したり。小説とは、世間に発表され(文芸誌)、帯や表紙がついて(単行本)、解説が加わる(文庫)に至るまで、三回も新鮮に読める贅沢さを持つとかみしめたり。

本と出合うことや読むことの楽しさだけでなく、自分の生活や状態が加わることで、読書が一度きりの体験になりうる贅沢さを綴った日記は、埋もれていたものを言葉で浮かび上がらせる勇気をくれた。
勇気をくれたし、「カレーは正義だ」というから、カレーを食べた。

橋本さんが作戦会議をした「くぐつ草」で遅めの昼を食べ、散歩を開始した。

まず、今年1月にできたばかりの古書防破堤。佐々木敦さんの読書会が毎月開催されているお店は、ココナッツディスクへ向かう道の途中にあった。
文学、思想哲学に比べるとやや狭いけど、音楽、演劇の棚に揃う本は欲しいものだらけで、じっくり眺めて回った。あの規模の古書店のなかでは一番好きなお店かもしれない、古川日出男関係の本を買った。(いまになって岡田利規『三月の5日間』を買うべきだったと後悔している。やはり本は積んでなんぼ、出会ったタイミングで買うべきなのだ。)

タピオカを飲んだことがないことを小馬鹿にされながら、古本屋百年へ。床と棚が茶色で統一された店は、入ってすぐのところに個人出版物やZINE、詩集や絵本が平積みされていて、奥にはアート系の本が並ぶ。物量がとにかく多い広めの店内にはたくさんのお客がいた。アララが今月から有料マガジンで連載を持たせてもらっているLOCUSTの『vol.03』が置いてあるのも見つける。心強い。

最後に寄ったのは、メガ商店街、吉祥寺サンロードにあるBOOKSルーエ。昨年末に読んだ星野文月『私の証明』が面白くて、検索していくうちに著者による選書フェアが展開されている書店として知った店だ。大規模新刊書店での冒険心は抑え、ずっと気になっていた鹿子裕文『ヴ―ドゥーラウンジ』(ナナロク社)をサッと買うにとどめる。金にだらしない自分は、本屋を回るときは新刊書店を最後にするルールを設けている。

気になる選書コーナーには、『校正者の日記 二〇十九年』を刊行した牟田都子さん推薦の本が展開されていた。肝心の『校正者の日記』は刊行時から話題になっており、ルーエでも完売(再入荷なし)だった。選書者の刊行物がない、ふしぎな選書フェアには、島田潤一郎『古くて新しい仕事』(新潮社)、辻山良雄『本屋、はじめました』(ちくま文庫)、阿久津隆『読書の日記』(NUMABOKOS)など(『うもれる日々』もあった)顔見知りの本が並んでいた。余計に読みたくなる。

本棚や選書棚を楽しく眺める感覚は、タワレコのCDや、名画座のスケジュールや、サーキットライブのタイムテーブルを眺めるそれと似ている。
なんとなくよく見かけたり、誰かが話していたモノの名前を知って行くうちに、そのジャンルへの興味が広がっていく。そこから、ふとしたタイミングでそのうちの何かに触れた途端、知識を置いて、自分の世界が立体的に広がっていく。
散々作戦を立てても、空いた時間にたまたま入った下北沢GARDENで見たバンドに一番ビリビリする感じが、本屋での買い物いもあることをこの歳になってようやく知った。

三軒の書店に満足して、いよいよ「プレ花見」をしようと井の頭公園に向かう途中、せっかくだしタピオカデビューしようとカウンターまで行った。が、タピオカが切れてるから10分待ってくれと告げられたので、ファミマで怒りのサッポロを購入。タピオカで缶ビール二本と焼鳥が買えるのだ。こうやっていつまでもタピオカを飲むことなく酒を飲むんだ。本望だこの野郎。

既に夕日が差しつつある井の頭公園に桜は一切咲いてなかった。そんな予感しかしていなかった。しかし、缶酒を飲みながら細い木を見つめ、ああでもないこうでもないと喋るだけで優勝した気分になることを知っているから僕たちは「プレ花見」ができるのだ。
目的と関係ないところで何かを楽しめる自信だけを見につけた大学生活だったかもしれない。そういうスタンスはたぶん、過去になって自動的に美化される思い出とは別ジャンルだ。

こんな時間の使い方をずっとしようと話す帰り道までがプレ花見。
友達も僕が付きあわせた店で気になった文庫を買っていた。別に何冊並行して読んでも読書は楽しいし、それくらい楽に楽しんでいいよね、なんて話す中で、酒を飲みながら、もしくは飲んだ後の読書についても話した。酒が入った状態で本を読むと、途中で分からなくなって次も同じところから読みなおすなんてしょっちゅうある。でも、それでも僕は布団から本に手を延ばすし「インプット」なんかとは無縁の気持ちのいい時間の過ごし方だと思っている。

『うもれる日々』を過ごす橋本さんもこう書いていて、思わず笑った。

それでも酒を飲みながら読むのがすきだ。意味のないことがすきだからだ。読書って賢そうというテンプレが散見されるが、酔うことがたいがい無駄であるように、本を読むことに意味づけはいらない。ただそこには自分の知らない、底のない世界が広がっていて、潜るのが心地よくいつも飛び込んでしまう。きっと今夜も。(p.9)

そう。きっと今夜も。

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