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羨むことは卑しい時だけじゃない

 いつもの通勤途中に小学校がある。この辺はわたしが育った地域では無いので、詳しいことは分からない。ただ、綺麗で大きな学校。わたしが知っているのは、通学用のバスが出入りしていることくらいだ。それでも、大人になってみると昔は大きく感じたものが小さく見えるものなのに、その感覚からしても“大きな学校”と感じるということは、実際に大きいのだろう。
 その学校の校門の前には毎朝、男性が立っている。そして彼は、学校の前を通過する車にお辞儀をしている。にこやかでキチッとした服装だが、威圧感のない雰囲気からして校長先生だろう。わたしは勝手にそう思っている。 
 最初に見たときは凄く気になった。そして、疑問に思った。どうして彼は、晴れの日も雨の日も、雪の日も、毎日お辞儀をしているのだろうかと。 
 でもそのうちに、「この周辺で事故の話も聞いたことが無いから、警戒のためというよりは安全を見届けたいのだろう」、そう思うことにした。車道にお辞儀をする眼差しからは、車にというより、しっかりドライバーに向けて「いつも安全運転ありがとうございます」といった気持ちがする。思い込みかもしれないが、少なくともわたしはそう受け取っている。
 こういうのが、天職というのだろう。凄いなと思うと同時に、わたしには絶対に続けられないなと思ってしまう。
 人間何にでもなれると聞くことがある。確かにそうだとは思う。犯罪目的で教師になる人もいるのだから、原動力はどこから湧いてくるかわからない。だから、すべての人が天職に巡り合うかはわからないし、そもそも、就職だけが天職を見つける方法ではないと思う。そんなものは、自分から探すものですら無いのかもしれない。だけど、世の中には自分の天職を見つけた人がいて、ふとした時にそんな人たちに出くわすことがある。
 とりあえず、天職なんて見つけられそうにないわたしは、そんな風な人を見つけたら、恥ずかしがらずに尊敬と羨ましさを心に浮かべたい。
 毎日、ありがとう。

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