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証明できなくても

 シンクから普段聞かない高い音がして、恐る恐る覗きに行く。このときの「恐る恐る」は、べつに不気味に感じたのではなくて、音の種類からして何の音かは想像できていたから、「え? どこか故障したか?」という面倒臭いことを懸念した恐る恐るだ。

……ぴちょん。

 シンクに置いた小皿に、蛇口から水滴が垂れる。小皿が渇いて汚れが取れなくなるといけないので水を溜めておいたから、そこで水と水滴が衝突する音だった。まえにテレビ番組で見たことのある、グラスに入れる水の量を調節して音楽を演奏したりする、あれと同じだろう。たまたま今、小皿に溜まった水量が、「ぴちょん」と高く響く分量だっただけだろう。予想できるくらいに当たり前で、とても一般的な水滴にの音だから疑問もないはずだが、そんな当たり前のような現象が、なつかしい。

 父の実家は農家で、夏休みのたびに家族で行っていた。雨の日に、アマガエルが水の中に飛び込む音を聞いたのは、その日が初めてだった。
 古くからの農家で、家の横にクワや鎌などの道具の泥を洗って落とすための水ためがあった。そこにカエルが飛び込む音を聞いたのだ。長方形のコンクリートでできた、プールにしては水の濁った、でも外にあるからお風呂ではないよなと、子供の想像力では何か分からなかったけど父親に聞いてみる気にはなれなくて、父の母親に聞いた気がする。それから、おばあちゃんとは仲良くなった。向こうは最初から好意的だったのだが、わたしが人見知りしていたように思う。
 父の実家には、見たことも無いものがたくさんあった。
 ぼっとん便所の下から、便を桶に汲んで肥料小屋に持っていくための小窓と、カブトムシが飛んでくる大きな木。ビニールハウスから手でもいでこれるイチゴ。イチゴにつける練乳。田んぼに植える前の途中の稲。石炭を入れるこたつ。暑い夏の日に水を撒くと虹が見える庭。
 おじいさんと出掛ける、自転車の荷台に座って二人乗りで行く朝の散歩。

 そこに登場する人物はもういない。多分、あのカエルも。
 それから、覚えてはいるけどクレヨンで描いたのか色鉛筆で塗ったのかは分からない。その日々を証言してくれる人はいないから、すべてが妄想だと言われても仕方が無いのだけれど、しっかりと色がついた妄想だ。
 
 ……ぴちょん。
 蛇口をもう少し開く。
 小皿を洗う洗剤が、虹色に光った気がした。

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