『だれやねん、コレ頼んだやつ』のお話。
「座ってて座ってて、わたしが取り分けるよ!」
中学生時代の友人、いやあちらは友人と思っているかは分からないが、その人の結婚の知らせをきいた私は、開かれた同窓会兼懇親会に参加した。ちょうど隣の席だった。
成人して間もなくだったから、誰も彼もが居酒屋の雰囲気にめっきり不慣れだった。シークレットブーツでも履いて物理的にも精神的にも背伸びしただけの中学生が、うっかり異世界に迷い込んだ様子にしか見えなかっただろう。
掘りごたつのようなテーブルを囲んで、9人程いただろうか、大分前のことなので記憶はぼんやりしている。なんてことのない駅前の居酒屋、だが世間知らずの若者共にとっては、まるでレッドカーペットの上を歩かされたまま収監させられた囚人達の気分だった。
入店し、注文をとって、軽く乾杯の合図をとる。そうしてある程度時間は経ったが、一向に余所余所しさが解消されない。そんな様子を恥じた私は、ひとつ決意を固める。
同じ大皿にすし詰めにされた盛り盛りサラダを、すすんで取り分ける役をかってでたのだ。
それが冒頭の私のセリフである。
とぼとぼと収監された囚人達から「おぉ~」という歓声とも感嘆ともつかない声があがる。
これこそ私史上、一世一代のサラダ記念日ならぬ
「サラダ取り分け記念日」になった瞬間である。
そうして集めた視線は、わたしを愉悦させた。ああ、気持ちがいい。
監獄を題材にした海外映画なんかでは、囚人たちがお互いの罪状で格付けを行うシーンがよく描かれる。「俺は窃盗。あんたは?」とか聞かれる。私は、声に出すのも憚られるおぞましい罪状を発して、聞いてきたそいつの顔をみるみる内に青くする。多分そんな感じの畏怖とも尊敬ともつかぬような視線が私を向けられていたと思う。ふふん。
その同窓会のメンツは、中学の頃の同じ部活動でのメンバーなのだが、正直なところ、私はカースト最下位だった。
いやごめん、見栄を張った。多分”一番下”だ。とろくさくて、雰囲気のひとつもかえられないような、ぶっちゃけお荷物みたいな存在だった。だからこそ4年越しの同窓会で「あら?一足おさきに失礼して?」といわんばかりの「大人の魅力」を振りまいてやったのだ。
はい、そうです。一番高いハイヒール、もといシークレットブーツを履いていたのはこの私です。っていうかもはや竹馬にのってるレベル。
後日、数人から感想を聞いたところ「いやぁ、めっちゃ成長してるように”見えたよ”」と感想をもらったから、実際に一歩先を進んでいたのだろう。
ちょっと言い方が引っかかるが、間違いない。サラダを取り分けたあの瞬間、私は誰よりも大人だったんだ。
といっても、囲炉裏の如くグルリと囲んだテーブルでひとりひとり取り分けるのは現実的ではなかった。テーブルと座席部の隙間から足を抜いて、いちいち人工衛星みたいにグルグル周回していては、それは”社長接待”か、もはや”店員”だ。もしくは取り分けだけのために招集されたコンパニオン。追加料金取るぞ。
だから、私の使命はテーブルのおよそ半分。隣に座る主催を含めて周囲の4~5人くらいに取り分けることだった。ステンレス製の無駄に巨大なトングを、肌見放さず持っておいた。
もしも横からそのトングが取られそうになった時、すかさず殺気を放つぐらいの剣呑な雰囲気をあえて纏っていた。「これは私の仕事だぞ」と。
多分、温厚になる前の「人斬り抜刀斎」くらい迫力はあったでござるよ。
そうしてサラダを完璧な配分で取り分けていった。
あのカースト最下位だったはずの私は、この場において星組のトップスターに躍り出たのだ。ちなみに取り分けることに集中していたから、全然自分に食べる時間はなかった。サラダを配り終えても、私の仕事はまったく終わらない。ちっちゃいからあげとか、よくわかんない魚の煮付けとかくるし、なんならもう2~3回サラダが来た。
全員でメニューを回し読みしながらファミレス感覚で一品づつ頼むもんだから、あきらかな容量過多に陥っていた。誰も居酒屋の”量”を把握していなかった。
私は、とにかく”処理”にまわっていた。とにかく取り分けて取り分けて取り分けた。ひーひー言いながら、いやでも何とか口の中に押し留めてなんとか取り分けた。
すでに、意気揚々とカーテンコールに応じていた華やかなトップスターの姿はそこにない。
こなしてもこなしてお姉様たちに虐められる、舞踏会前のシンデレラみたいな有様だった。
そうして性悪なお姉様方にせっせと取り分けている時、突然なんの脈絡もなく審判の時が訪れた。
「へいっ!! 冷奴おまち!!」ドンッ!!!!
わたしの目の前に、四方15cmはあろうか白く柔らかいキューブが現れた。
僅かな刻み青ネギとニラ、片隅にチューブから絞ったようなしょうが。マイクラ初心者が作ったみたいなそれは、私の鉄面皮を崩すのに十分な破壊力を持っていた。
私は思わず生唾を飲んだ。あれほど騒がしかった居酒屋の喧騒が、どこか遠くにスッと離れていき、脳内でミッションインポッシブルのテーマが鳴りはじめた。
※以降、再生しながらお楽しみください。
冷奴。
その真の字を”豆腐”と申す。
この液体とも個体とも分からないこれを「均等に」取り分けるだって…?その難易度の高さを想像しただけでも、冷や汗ものだった
想像を絶する難易度に、私の大人の牙城は儚くも崩れ去ろうとしていた。
だが、まだ私は諦めなかった。自分の品格を諦めたくなかった。
さて、最初に私がとった行動は、なんだと思うだろうか?
それは”見”。
つまりは様子見だった。
それまでバリバリイケイケ最前線で活躍していた社員が、急に「この世は由無し事ばかり。出家します」といってどこかに去っていくような唐突さがあっただろう。
いや、正確には、違う。
私は「気づかないふりをしたのだ」
バンプオブチキンの『ロストマン』にそんな歌詞が会った気がする。どうしよう、今の私なら藤原さんばりのヒット曲すらトばせそうだ。
そうだ。これまで私は馬車馬のように働いてきた。少しくらい手を抜いたってばれないだろう。それに、そうだ。あれだ。こういうのは普通頼んだやつがちゃんと取り分けるべきだろう。もう酒の席も大分進んだ。もうそろそろみんなもその”ルール”に気付いた頃だろう。
そうして、友人たちと歓談しているフリをする。
さぁ、頼んだやつ。さっさと取り分けるのだ。それが社会の掟ってものだろう。そうだ大人になれ。頼む。
そうやって他人事のように振る舞ったつもりだったが、実際には恋煩いしたみたいに、白く美しいフォルムから目を離せずにいた。
視界の端に収めながらも、ちょっと時間を置いてみるが…。
一向に、誰もその冷奴に目もくれないのである。
なぜだ?! あれって誰かが注文したんじゃないのか?!
どうして、だれも彼の魅力に気付いてくれないのよ!?
あの真っ白な体躯を、だれも自分色に染め上げたいとは思わないっていうの!?
なんか冷奴の”厄介ファン”みたいになっているが、実情は逆だ。
誰か、早くあいつを処理して欲しくてたまらない。
しかし、ここで状況はさらに悪化する。
ちょっとづつ
(え、お前とりわけないの?)
みたいな視線が私に向き始めたのだ。
それもそう。その冷奴がきてからというもの、しばらく私は取り分けを中断していたのだ。
結果的に後からやってくる焼き鳥とかよだれ鳥とかチキン南蛮とかが、片方の車線だけ工事中の高速道路みたいに、後ろに詰まっていたのだ。
ああ、愛しのあの人のことを考えると、何も手がつかない。
愚かな私を許して。
…いや、そもそも、自分で取り分ければいいじゃないか。なぜ私がすすんで献身せねばならないのだ!もはや「大人」の欠片すらなくなった私は、駄々っ子みたいに心から叫びたかった。あなたたち自分でやりなさいよ!と。
そしてふと手元を見る。
…トング、私が独り占めしてるやんけぇ。
カラオケで一生マイクが離さないやつがいる。フロントでマイクを2つ借りて、案内された部屋に持ち込んだ瞬間、1つの永住権が確定する現象。
トングは、殺陣前の武士がかたわらに置いた刀みたいに、私のそばでジッとしていた。
いますぐこれでハラキリしたい気分になった。
だが、こうして膠着状態を続けていても埒が明かない。
追い込まれた私は、いよいよ白の悪魔と向き合うことになる。
うん。
白い。
どこからどう見ても白い。角がまるまってるところを見るに、おそらくパッケージからとぅるんって、そのまま産まれたのだろう。
さすがにトングで突っついてしまったら、バラバラと崩壊してしまうだろう。それはいけない。
私の隣には、これから華やかな結婚生活を送る友人がいるのだ。崩壊する豆腐などという、縁起の悪いものを連想させるのは良くない(ちなみに、後日この結婚話がけっこうなドロッドロのエピソードと判明するのだが、この際は置いておく。)
入店してから長い付き合いだったトングを手放し、カラオケのマイクよろしくテーブルの中央部に突き返した。
「みんな、あとは頼んだ」と私なりのメッセージを込めて。世間はこれを死亡フラグというらしい。
そうしてトングなどというぽっと出の利器よりも、幼稚園時代から付き合い続けた本物の戦友『箸(ジャパニーズ・チョップスティック)』を手指に挟み込み、臨戦態勢を整えた。たしかな二本の棒の感覚に、心が滾る。
さて、ここからどう責めようものか。
単純に、縦に2等分からの横2等分。つまり4つのブロックにわけようか。
早速、箸でぷるんと震える冷奴の横っ面を、箸を立ててガッツリと挟み込み、刹那、力を込め両断する。
スッ。まったく抵抗感なく切り裂いた。
続けざまに、縦方向にも挟み、力を加えた。
しまった!
ちょっと角度があまく、若干斜めになってしまった。
迂闊だった。皿を回してしっかり横向きすればよかった。
手首を捻って無理な箸さばきで両断してしまったので、へんな角度がついた。
だが、まだだ、まだあわてる時間じゃない。
斜めになってしまったものはしょうがない。大丈夫、総体積は変わっていない。あとはこのブロックを一つづつ、4つの皿に分ければいい。簡単な話だ。ガキの使いでもできる。
そうして自分を鼓舞する。
だが、この辺からだろうか。私があまりに神妙に冷奴に向き合うものだから、何人かからの視線が突き刺さり始める。(あいつは何をやってるんだ?)
指先に細心の注意を払っていたし、豆腐の取り分けなどごまんと体験してきた。大丈夫だ。なにも問題はない。このミッションはポッシブルだ。
しかし、思い出してほしい。
”ここ”はどこだったろうか。
そう、居酒屋だ。
私達は”お酒”を飲んでいた。
ほとんど人生初といっていいアルコール。
私の無垢な体はまだなにも知らなかった。
お酒と、人類の、長く壮大な歴史を。
幾人もの人間が、酒の魔力にアテられ、その身を滅ぼしてきたのか。
賢者は歴史に学ぶ。愚者は経験からしか学べない。
ひとつのブロックを箸でつかみ、中空に持ち上げた。
手がプルップルと猛烈に振動した。
カタチを崩しながら、箸からこぼれ落ちた。
冷奴は、そのまま皿に叩きつけられ、音もなく砕け散った。
たちまち私はパニックになった。正常な判断などとっくに失われていた。
いや、そうではない。もうこの居酒屋に入店したその時から、私はすべての選択を間違えていたのだろう。始めから、とっくに正常な判断などできていなかった。
なぜサラダなど取り分けようと思ったのか。
なぜ、私は矮小な存在だと自覚なく、大人のフリなどしようと思ったのか。
だがすべては過ぎ去りしこと。
後悔しても仕方のないことだ。
もう、時計の針を進めるしか無いのだ。
もはや後に引くという選択肢を失った私は。次々と遺された冷奴のブロックを手に掛けた。
そう手に掛けたのだ。
あえなく、2ブロック目も、右手の超振動の前に崩壊。
続く3ブロック目も掴む力が強すぎて、上半身と下半身が両断された。
歴史的連続殺人事件が、いままさに幕を開けようとしていた。
劇場に数多のオーディエンスがいたなら、おそらくそこかしこから悲鳴をあげているだろう。黄色いとか、そういう色付きのじゃない。ガチ悲鳴だ。
もはや目の前が真っ暗になっていた。
なぜこんなことになってしまったのか。
トム・クルーズばりの活躍が出来るはずではなかったのか。
私の映画はクライマックスを迎えること無く、上映20分ぐらいでThe end。あえなく幕が降ろされようとする。
あとに残ったのは、白い冷奴だった”何か”。
浜辺に打ち上げられた貝殻の欠片みたいにキラキラしていた(現実逃避)
そういえば、取り分けを申し出てから、自分の分をロクに食べていないことに気付いた。
お腹、すいたなぁ。もう十分頑張ったんじゃないか私。
パトラッシュ、私なんだか眠くなってきたよ。
死んだ目で完全に判断力を失った私は、
両断した3ブロック目の上半身を、隣の友人(主催)の皿に取り分け、
残ったキレイな4ブロック目を、皿ごと自分の前に引っ張ってそのまま食べた。
「「「なんでだよ!?」」」
主催のこの日一番の笑い声と、一斉に入ったツッコミをよく覚えている。
というか今だにイジられる。
今となっては良い思い出だ。
結局、みんな笑顔になったし、適材適所というものもしっかり学んだ。
楽しかったし、私のドジな失敗で場が和んだなら、それに越したことはない。
本当に良かった。
この話をよく友人たちと懐かしく語り合いながらも、ときどき私は思うのだ。
誰だったんだよ冷奴頼んだやつ…!!!
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