【随筆】人の気持ちを理解はできない

 結論から書きますと、状況・言動データ蓄積→カテゴライズ→照会→比較をすることがコミュニケーションの助力になり得るが、当たり前のことだけど、お前ら表面ツラで人を理解した気になるなよ、という記事です。

 人の気持ちなんてお互い誰しも理解なんてできません。それが一人ひとりの個性であり、脆さでありましょう。
 しかし、人の面白いところが、同じことを同時に考えていたり、そういったシンクロニシティ的な共感性がコミュニケーションの上で分かち合える楽しみだったり嬉しかったりするものですよね。私自身人の気持ちなど理解したと思えたことはありません。

 そこで、私の中では定着している、ちょっとした考え方のコツをご紹介します。

 とても当たり前のことなのかも知れないので恐縮なのですが、簡単に書きますと、大体こいつこんなこと考えてる”だろう”なあ、というヤマをつけることです。ヤマをつけるというのは複数の選択肢を想定するから当たる確率が少し高まるという部分があるからです。

 ライフハックとまではいきませんが、どうしても相手との共感性においてのコミュニケーションが困難で墓穴を掘ってしまいがちな人には、以下の考え方を読んでみてください。


・自分だったら…
・相手の立場になって考えてみなよ…
ということを言う人は的外れである確率が高いです。相手と自分が違う人間である以上、ただでさえ理解の時点で躓いていたとしたら立場のシミュレーションなど以ての外で、できないでしょう。そして思いやりとはよく言ったものですが、そういう思考法を用いてしまうと非常に自分本位になってしまうわけです。勿論、議論の場や自分の意見を求められたときは
「私だったら、私としては・・・」

が必要です。日常生活は自分主体である必要もありますし、相手のことを漫然と考えていても仕方がないし無駄でしょう。

 これは私個人の問題ですが、そもそも自分の考えていることすら整理して上手にアウトプットすることがただでさえ難しいのに、相手の立場に想像力を働かせても同じ方角を向くことはできないと思います。



 今この記事を読んでくださっている方は、数学の証明問題を覚えていらっしゃるでしょうか。あれと似てるなあ、と文系ながら私は思っています。想像力も勿論必要ではあるのですが、

・対象者の行動、主張データ

・自分が感じた付き合いの中で蓄積した対象者の行動、思考傾向データ

・(あれば)周辺の第三者視点データ

そこから幾つかの予測される心情の可能性をリストアップし、また目前のことであれば因果関係と照らし合わせ、適切な公式に代入し順序立てるという感じです。

 良い例が浮かばないのが歯がゆいですが、これを丁寧に重ねていくことがコミュニケーションの円滑化であるとともにコミュニケーションそのものでもあるのではないかと私は思っています。

 ただ、注意としては、ヤマ勘に頼りすぎることは最悪です。対象への決めつけであったり、自分の箱庭のなかの対象を押しつけることになり、そうなると関係性は悪化します。勝手な決めつけというのは気分を損ねさせる代名詞のようなものですから。

 そして、心の片隅に置いておかねばならないのは、対象から心からの正答を必ずしも教えてはもらえないということです。人は時として嘘もつきます。悲しいかな人によって虚言の癖があったり、強がったり見栄を張りたかったり、本音を発せられない事情がある状況下という場合もあり得ます。それは仕方のないことです。人間だもの。

 私なりの雛型のようなコミュニケーション術(術というほどのことでもありませんが)はどうお感じになったでしょうか。私は先月30歳になったばかりで、10代からすればおばさんでしょうが長い目で見れば若輩者。私の経験値に当て嵌まらない、面白い人も世の中は広し、多く存在しますよね。色々な人と知り合ってできるだけ色々な人とお話をしてみたいものです。

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