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「Okja/オクジャ」見た

「Okja/オクジャ」見た

ちょっと前から気になっていた映画「Okja/オクジャ」を見ました。
食肉用として育てられた大きなブタ・オクジャと、オクジャと家族のように育った少女・ミジャの冒険譚(?)。
内容的に「冒険譚」にすると違和感がありますが、前半の爽快なアクション、映像美、おちゃめなユーモアはファミリー映画風です。

後から知りましたが、「パラサイト 半地下の家族」で有名なポン・ジュノ監督作品らしいですね。「パラサイト」も前半はノリ良いコメディの連続で面白く見ていました。
ポン・ジュノ監督の作品って、コメディとシリアスの緩急がすさまじいですね。
あれだけのアップダウンがあっても破綻なく続くストーリーは、巧妙な手品を見せられているようです。

「大まかなあらすじはWikipedia見てください」と書こうとしたら、
大まかなあらすじどころか、起承転結全てがWikipediaに載っちゃっています。
気になるひとは前情報なく見た方が良いかもしれません。

さわりだけ軽く引用します。

チリで発見されたという子ブタの『スーパーピッグ』を世界各国で育成するコンテストを大企業であるミランド社が開いた。 その1匹であるオクジャは、韓国の山中で少女ミジャとその祖父ヒボンらによって育てられていた。
オクジャはミジャとの間に信頼関係があるだけでなくかしこい。
オクジャはコンテストの優勝者としてニューヨークにあるミランド本社に送られるはずであった。
ヒボンはミジャにオクジャのために用意したお金で買った純金製の子豚を渡し、オクジャのことをあきらめるように諭す。

Wikipedia

以下、ネタバレに触れています。
感想記事なのでごめんなさい。気になる人はネトフリへ。

「Okja/オクジャ」

テーマ

この映画は
・アメリカへ出荷されたオクジャの救出劇
・ヘルシーさや清潔感をブランディングする企業への風刺
・人間は生き物を殺して食ってる
を主に描いています。

ブタと少女の種族を超えた絆の物語かと思いきや、意外とそうでもない。
めちゃくちゃ際立っているのは「いくらヘルシーな広告宣伝を打っても、結局は生き物を殺してその命をいただいていることに変わりはない」という身も蓋もない事実です。
イノセンス的なものはあるにしても「純粋性」ではなく「愚かさ」の意味合いが強いです。

企画を成功させて家族を見返すつもりの女社長、ブランディングに翻弄されて盛り上がる人間たち、極まったヴィーガン思考でよろよろしているテロリスト、仲間(人間)に猛烈な殴打と蹴りを喰らわす動物保護団体のリーダー。
生命を賭けたブタと少女を取り巻く大人たちは、欲望や主義主張、矛盾を抱えた人ばかりです。
最終的にミジャが持ちかける提案も、大人の資本主義社会に則ったものでした。
大きなブタに乗って周囲を蹴散らしながら脱出するとか、夢のあるラストシーンではない。

かと言って、説教くさいわけでもない。
この映画に説教くさいことを言う人はいません。
主人公の少女は英語が喋れず、子供目線で大人に純粋な想いを訴えることができません。
それでも道徳心に訴えかける……というか、突き刺さるものがあるのは、オクジャというブタがあまりにも人間的に描かれているからでしょう。

オクジャの人間性

カバ並に大きなブタのオクジャ。メスだそうです。
「10年前に世界各国の農家に子ぶたを預けた」的なことを女社長が言っていたので、10歳くらいかな?

序盤で崖に落ちかけたミジャを「梃子の原理」を使って救出します。
この時点で知能指数がかなり高く、動物というより人間的です。
オクジャ視点で、パッと崖に突き出た枝を見つけて「これは使えるぞ!」みたいなヒラメキのある目をします。
ミジャの言葉も理解していて、耳元でヒソヒソ話をします。
身体の大きさや力の強さの違いもわかっていて、一緒にゴロゴロしてもミジャを潰さないよう配慮します。

二人のコミュニケーションはディズニー作品に出てくる人間と動物のやり取りっぽい。アラジンとあの猿とか。アリエルとあのロブスターとか。ピノキオとあのコオロギとか。相方の名前忘れました……。

オクジャは動物タレントではなく、CG技術を駆使して作られているので、作り手が表情や視線の動きを自在に操作できます。
あえて人間らしい感情を持たせることで、見る人がオクジャに感情移入できるようになっている。
それは家畜動物として育てられた雌ブタを我がこと(あるいは親しい身内)として追体験させるためです。

物語の中盤で、オクジャが同種の雄のブタと交配させられるのですが、描き方が完全にレイプシーンです。
オクジャの叫びは、嫌悪を感じるほど怖いです。
オクジャに搭載されたカメラ映像から交配シーンが流れるのですが、強姦犯罪を主題にした刑事ドラマっぽい作り。
それを見た動物保護団体の女性が「やめて! 映像を切って!」と苦しみます。
疲れ果てたオクジャ。今度は試食用のお肉のサンプル(脂肪の一部)を取るため研究者が近づきます。
家畜の擬人化……ではないけれど、人間的すぎてグロテスク。

このシーンを見たとき「そういえばfacebookで自然派?の人が家畜の製造工程を人間の女性に変えた絵を公開してたな」と思い出しました。
巨乳の女性が農家の人に乳搾りされている風刺画です。
その絵は直接的すぎて「下品だなー」くらいにしか思わなかったのですが、外見はブタで中身は人間(っぽい知性と感情)を持つ動物が家畜扱いされていると、心にくるものがありますね。

ミジャの最終提案

屠殺される直前でオクジャを見つけ出すミジャ。
彼女は農家の祖父がオクジャを引き渡したお金で購入した「黄金のブタ像」でオクジャを買い取ります。祖父はお金でオクジャを買い取ろうとしていましたが、会社に跳ね除けられしまったので、「黄金のブタ像」をミジャに買い与えていました。
屠殺される工場で、仲間たちの悲鳴を聞きながら故郷へ帰るオクジャとミジャ。
ここでもワンシーン、豚ではなく人間っぽい親子の情愛が描かれます。
人間的すぎてなんと意地悪なことか……と思いましたが、実際に屠殺される豚や牛の言葉を聞き取ることができたら、彼らは何を語るのでしょうね。

それはともかく、一応のハッピーエンドで終わる「オクジャ」ですが、お金で買い取ったオクジャとミジャのその後の関係は以前と同じものでしょうか?
あえて穿った見方をすると、お金を払った時点で彼らの関係は友人関係から主従関係に変わるのでは……。「お金で関係が変わるなんてなんとさもしい考え方か!」と怒られるかも知れませんが、ちょっとオクジャ側は後ろめたくないですか。

オクジャに対価の概念があるのか分からないけれど、人間寄りの知性を持っていて、ミジャがお金を使って助けてくれたという事実を知ってしまったら「なんか前よりもたくさん魚とったほうがいいのかな……」とか(わたしだったら)考えてしまう。
家族同然に育った二人には関係ないか。後日談にもそんな描写ないし。
見る側の心が歪んでますね。蛇足でした。

字幕版推奨

「ミジャ、日本語を覚えた方がいいぞ!」とテロリストがアドバイスし、米国へ向かう飛行機の中でも「簡単に覚えられる日本語」みたいなパンフレットが出てきます。
なんでいきなり日本語?
これからNYに行くのに?
これは米国か日本への皮肉かしらと思いましたが、意味が汲み取れませんでした……。
日米安全保障条約の話してる?
和風に振る舞うとウケがとれるってこと?
皮肉は全然良いんですが、ワールドワイドすぎてよく分からなかった……

……のですが!
調べていくうちに、英語版だと「日本語」の部分が「英語」になっていると判明。
「翻訳は尊い」というセリフがこの映画のキーワードとして出てきます。
わたしの見たバージョンだと、ミジャ側は韓国語(吹き替えなし)で喋って、英語を喋るアメリカ人たちに日本語の吹き替えがあてられています。
つまり、字幕版で見たら、英語を喋る韓国人のテロリストが「ミジャ、英語を覚えた方がいいぞ!」って言ってるんだよね?
国家関係の皮肉かな?と思ったんですが、その土地の人と会話で意思疎通できるようになるといいよ!っていうざっくりした意味に受け取りました。

ポン・ジュノ監督は英語が苦手だそうです。
Wikipediaに書いてありました。

吹き替え言語は日本語だけど、ミジャが向かうのは米国で、英語圏で冒険します。日本はまったく関係ないです。
日本語に吹き替えることと「日本語を覚えろ」と作中人物が言うことでは意味が違います。
日米と日韓の国際情勢をいろいろ考えてしまい混乱しました。
字幕で見れば良かった。

鑑賞後の食肉観

この映画では女社長の尻拭いをした姉妹の裏番長?が、スーパーピッグを一気に屠殺し、食用肉として売り捌く予定です。この企業の内情を知りつつ、その世界にわたしが存在したとして、スーパーピッグであろう激安の豚肉をスーパーで見かけたら、どうするだろうかと考えました。
たぶん、普通に食うだろうなと思います。
安いし美味しそうだから普通に食べちゃいそう。

映画の想定をしなくとも、既に現実世界で加工処理されたお肉を食べています。
昔「どんなにきれいにパックされていても、スーパーに並んだ肉も死体だ」みたいな表現の小説を読みました。
「死体」と言われるとウッとなりますが、普通に事実だし現実だよなと思います。
作中に出てくるテロリストは動物を愛するあまり肉を食えず、栄養不足でフラフラしていました。トマト食えよ、と仲間のテロリストに心配されていましたが、トマトも受けつけられないみたいです。
(余談ですがこのシーン、「千と千尋の神隠し」でハクが千尋に赤い実を食わせるところと被りました。こちらの世界のものを食べないとそなたは死んでしまう……!)

すごい単純な意見で恐縮ですが……あのテロリストさんは、生き物の生命に感謝しつつトマト食べたら良いんじゃないでしょうか。
「いただきます」って英語でなんて言うんだろう。
個人的には「申し訳ないな」と罪悪感を抱える必要もない気がします。何かを殺した後で「申し訳ないな」と思うことが筋違いというか、手遅れ感を通り越して偽善を感じます。食事を後ろめたく感じたら生きていけませんよね。
ブタにしてもトマトにしても等しく生き物で食べるとおいしい。
色んな生命を糧に人間は生きているので、開き直って貰い受けた生命に感謝しながら真剣に食うしかないんじゃないだろうか……。
という感想を持ちました。

ラストシーンはミジャと祖父の日常の食事風景で終わります。
エンドクレジットに続く間の取り方が美しいです。おじいちゃんが飯を食いながら庭先をふっと見るところ。
彼らは山奥の自然の中で暮らしていて、文明から離れた自給自足の生活を送っています。
これからも自然のサイクルに則って、生活していくのだと思います。
彼らにとって、ヘルシーさもジャンキーさも、企業ブランディングも動物愛護団体も関係ないんでしょうね。
良い映画なのでおすすめです。

おまけ

同監督の「スノーピアサー」見始めました。
マイナス110度の極寒の世紀末世界を走り続けるノアの方舟っぽい列車。
差別された最終客室で反逆の時を夢見る低階層の人々。
上階層から配られる食料はネズミの餌?
メインディッシュは野生のネズミってこと?
なんか色々とすごい設定です。
塔や建物が層ごとのカーストになっているSFはよく見かけますが、これを電車の中でやるんだ……。

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