見出し画像

【短編小説】トークン

「俺が実の息子を間違えるわけねーだろ!」

 そう言って、息子に化けた変身能力を持ったモンスターを殺そうとして実の息子を自らの手で殺めてしまったあの日。あの日からもう十年になる。
 息子の葬式は取り行わなかった。いや、行えなかったという方が正しい。何故なら、息子は今もこうして俺の目の前に生きているからだ。

 俺の息子と同じ風貌をしたソイツは、十年前と変わらない、あの時のあどけない姿のままこちらを見てニコニコと微笑んでいる。

 ソイツは、息子が死んで1週間が過ぎ、俺が酒に溺れて自暴自棄となっていた頃にいきなり目の前に現れた。直感で分かった。ソイツは俺の息子に擬態していたモンスターなのだと。……まあ、モンスターと間違えて実の息子を殺してしまった俺の直感なんて錆び付いて鞘から抜け出すことすらできなくなってしまったような代物なのだろうが、単純な話、息子はもうこの世にいないのだから目の前にいるソイツは俺の息子に擬態したモンスター以外の何者でもないのだ。1−1=0。学のない俺でも解ける、簡単な引き算だ。

 無論、すぐにこの手で殺してやろうと思った。思ったのだがどうやらソイツにはあの日俺たちに見せた殺意というものがなくなっていて、あろうことか反省をしているようだった。その時俺は全てがどうでも良くなっていたし、何よりソイツを殺すのは何だか2度もこの手で息子を殺してしまうような気がして、あまり気が進まなかった。だから俺はしばらく様子を見ることにしたのだ。


 そうしたら、いつの間にか十年の月日が経ってしまっていたのである。


 息子の死の元凶とはいえ、実際に手を掛けてしまったのは俺自身だし、あれからもう十年だ。認めたくはないが俺自身の中で少しずつ息子の存在が希薄になってきているのを感じていた。こうやって毎日顔を合わせているというのに薄情なものである。
 それに、恨み続けるということにいつの間にか疲れてしまったのだろう。何も言わずにソイツを家に置き続ける俺に愛想を尽かしてとうに女房も出て行ってしまった。王国に訴えればかなりの金額をふんだくれただろうが、幸い俺が現役の時に稼いだ貯金は十分にあったし、それをするためにはソイツをこの手にかけなければならなかった。


 だから、俺は十年越しに初めてソイツに話しかけることにしたのである。


「……なあ、どうしてお前は年を取らないんだ? 不審がってこの家を訪ねる村民はついに一人もいなくなってしまった。十年前にこの村の危機を何度も救ってやったっていうのにアイツらはついにその恩すら忘れてしまったと見える」

 ソイツはやはり何も、まるで最初から生殺与奪の権利を持っていないと言わんばかりに何の表情も見せなかった。こんなことなら最初から藁人形に話しかけるくらいならこいつに話しかけていれば良かった。そうすれば一年に一度くらいは相槌を打ってくれていたかもしれない。

「……もう良い。死のう。家庭を顧みずに騎士として己を鍛えることだけを考えてきた俺に、当然の天罰が下っただけだ。腑抜けて剣を置いた俺には幾許の価値もない。お前は十分償いを果たした。後は自由に生きれば良い」

 手入れだけは欠かさずに行ってきた愛刀のサーベルを取り出し、自らの首に刃先を添える。

「間違ってもその姿のまま天国に来てくれるなよ。悪いが今も本当の息子を当てられる気がしないんだ。……まあ、理由はどうあれアレだけの生命を奪ってきたんだ。どの道俺は地獄行きか」

 左手に持つ柄に力が入る。死を受け入れたその瞬間、玄関を勢いよく開けて飛び込んで来たソイツが俺のサーベルを叩き落とした。今までのソイツは依然部屋の中央から動く気配はない。それはつまり、3人目の俺の息子の存在を示していた。

 完全に崩壊した俺の方程式に目の前が真っ白になる。あの程度の速度で襲ってきた外敵を相手に反応が鈍ってしまったのもそのせいだろう。3人目の息子は俺とこのような状況を見ても依然ニコニコと微笑んだままの2人目の息子を交互に見比べると、俺の目をじっくりと見据えて深々と頭を下げた。

「ーー単刀直入に言います。私が十年前にあなたの子供に化けたモンスターです。まずはこうして謝罪に十年という月日が経過してしまったことをお詫びさせてください。魔王軍の者は気性が荒く、下手に抜け出すと簡単に首を切られる可能性があったのです」
「......待て。お前があの時息子に化けたモンスターだと? だったら奥にいるアイツは何なんだ?」
「アレは変身能力のみを与えられた精神のない肉塊。王国が戦禍で犠牲を出してしまった家庭への補償を避けるために魔王軍によって生成されたモノ、『トークン』です」
「補償を避けるためってーー、いや待て。何でそもそも王国のために魔王軍が動く必要がある」
「とうに王国の中枢に魔王軍の手の者が潜り込んでいるのです。それに気付いている王国の人間もいますが、裏の取引によって黙認されている状態です。貴方は事情が事情なだけについ最近まで監視されていました。数年前に魔王軍の体制が大きく変動したため、引き継ぎにおける混乱に乗じて私は魔王軍から離れることに成功したのですが、謝罪に来るのが今日まで遅れた理由にはそういった事情もあったのです」
「……なるほど。俺はてっきりアイツらは俺の護衛のために付いていたんだと思っていたが、同様の変身能力を持っているお前の存在を知っていた俺は色々と不都合な存在だったわけだ。つくづく腐ってやがる……。一体俺は何のために戦って、こうやって全てを奪われてしまったんだろうな」
「失礼を承知でお願いします。私に力を貸してください。貴方はあの戦乱の世をそのサーベル一つで潜り抜けた元王国軍直属の近衛騎士団長。私なら貴方の足となって再び戦場へと導くことが出来るでしょう」
「ーーそれで、敵は一体どっちなんだ? 王国か? それとも魔王軍か?」
「両方。諸悪の根源を叩き潰してこそこの戦乱の世を終わらせることが出来るのです。手を貸して頂けるのならばあちらのトークンを、手を貸して頂けないのならば目の前の私を今すぐ斬り落としてください」
「ーーやれやれ、残酷なことを言うな。もう十年前の自らの所業を忘れちまったのか?」

 十年越しの二者択一。それを突き付けてきたのはなんと息子の仇本人だ。あまりの無茶苦茶な要求に、くらくらと眩暈をしながらも俺はあくまで冷静に返答する。

「無理なお願いだということは重々承知の上です。ですが、これ以上同胞が悪用される姿を見たくないのです」
「アイツに意思というものが存在しないのは十年間同じ空間で暮らしてきた俺が一番よく分かっている。だったらお前に意思があるのはどういった理屈だ?」
「私はそれらのトークンのオリジナルなのです。私のせいで多くの同胞が意思もなく生み落とされ、道具のように扱われています。私には彼ら全てを消し去り、トークンを生み落とす装置を破壊して存在を完全にこの世から抹消する義務があるのです」
「こう言っちゃ何だが、俺は別にそのトークンとやらを殺す必要はないと思っている。アイツは本当の息子ではないと分かっていながらも、俺はアイツと暮らしていることでどこか安心していたんだ。亡くした者のコピーと一緒に暮らしてはいけないだとか、不老不死の力を手に入れてはいけないだとか、例えば過去に戻れるのだとすればそれを改変してはいけないと俺たちは漠然とそう思っている。しかし、それは一体なぜだ? 結局、それらは口伝で教えられてきた暗黙のルールでしかないんだ。だったら別にそれを守る必要なんかどこにもない。トークンの存在を喧伝する必要はあるだろうが、それらを抹消する正義は存在しないんだ。俺のその考えに賛同してくれるのであれば、俺はお前に力を貸そう」
「……ありがとう、ございます」

 3人目の息子は目の前に跪き、十年前に亡くなった俺の愛馬に変貌する。

「……懐かしいな。これで女房さえ戻ってきたら幸せな家庭の完全復活と言えるんだがな。万が一にも一日と経たず気が触れてしまうかもしれないな」
「案外、奥様も途中からトークンと入れ替わっていたのかもしれませんよ。もしかしたら最初から……。それくらいこの世にはトークンが蔓延っているのですから」
「だったらお前ももしかしたらトークンのトークンかもしれないだろ。結局のところ全てを自分の目で判断していくしかないのさ、この乱世を生き抜くためには」

 俺は身支度を整えるとサーベルを腰に落として2人目の息子に別れを告げる。この老兵にどこまでやれるのかは未知数だが、やれるところまではやってやろうと思っている。

「まずはトークンを製造している工場へ向かいます。準備はよろしいですか?」
「ああ、別に何だっていいさ。俺に出来ることは目の前の生命を断つことくらいだからな」





 これは、王国軍と魔王軍の双方を半ば壊滅状態に追い込んだ後に魔王軍によって捕縛され、魔王軍の地下へと長きに渡って幽閉され洗脳を受けた結果、魔王軍の幹部として勇者たちを苦しめることとなった暗黒騎士の知られざる物語である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?