自分を幸せにするために、人生の醍醐味を見つめ直した。
2024年3月23日。
朝からどんよりとした小雨の日。
貧乏に拍車がかかっているのと気力の問題で、超絶手抜きな食生活を送っている。夕食はお菓子を摘んでアルコールを1杯、また別の日はちくわ1袋にアルコールを1杯、なんて日々を続けていた。
気楽さを感じ、「一人だとこんな夕食でいいんだもんね」と。
昨夜、飲み終わって空になったカンパリの空き瓶を、暗いキッチンでゴミ箱にガチャンと入れた。その音を聞いた時、なんだかとても荒んだ生活をしているように思えて、突如一人静かに壁に向かって猛省した・・。
各々求める暮らしや生き方があるが、私の場合その一つに「食事の大切さ」を掲げており、「明日の私は今日のご飯でできている」を息子たちが小さな頃から再三伝えてきた。目をカッと見開いて、「生きる=食べるである!!!」と。その私が連日こんな夕食とは。
「わお!なんてこったい!」とイカリマークを腕につけたポパイも悲観している事だろう。それにしても「なんてこったい」って多分「Oh my god!」の翻訳なんだろうけど、実際に使っている人を見た事がないな。
本日の昼食は以前のようなご飯を慌てて作った。
いつも簡単にできるものしか作らないが、やっぱりこういう食事が「自分らしい」と感じる。
不良少年が「食事」と呼べるような食生活を送っているイメージはないから、このままでいったら私も極限まで眉を細くして、プリーツのマキシスカートに黒い口紅でゲームセンターを求めて咥えタバコで近所を闊歩するところだった。
危ない危ない。
食べたいものがあるとか、ご飯をちゃんと食べるとか、あれを作ってみようと思うとか、出来合いのものを買ってもお皿に盛り付けるとか、それって心の在り方を表すバロメーターなんだなとつくづく思ったのである。
元々食に興味の持てない方もいるのでなんともいえないが、私の場合は、である。
人生を虚しくするのか、豊かなものにするのかは、自分自身の心がけ一つなのだ。
ダイエットしていた去年秋冬は、着々と身体が締まってお腹もぺたんこに近づいていたが、年末やお正月を超え、ダイエットをやめて適当な食事をした途端にあら元通り。不摂生って恐ろしい。自分の体の厚みも恐ろしい。
貧相な食生活をしていたのに、友人が撮った写真に写る笑顔の私はアンパンマンそのものだった。
大きくちぎって誰かに渡したい。
サポートしても良くってよ。