幕間 ブラウン _ interlude

さて、幕間です。

いや、こんなに幕間を書くつもりないんです。でも、生きていたら、本当に色々ありますね。

今日、朝から、色々あって(や、一つしかないけども)、死が真隣にまでやって来ました。10cmくらい、ですかね(近い?遠い?)。瞬間は、そこまでは考えなかったですが、冷静に振り返れば、ね、危なかったよね。その後諸々から解放されて、午後3時。日曜日もきっちり潰れ、その後、何をしてもうまくいかず。あ、こうゆー日だなと。
そうですねー。あー、カレーに全b....... 二回目は書きませんが

悩みましたが、westlifeにします。

声が綺麗って才能ですよね、きっと。生まれ持ったギフトですよね。上の2曲、本当に綺麗な曲です。angelの方は、薬物依存かなにかを歌った曲だったと思います。女性もこの歌を歌っていて、どちらがオリジナルかまではちょっと知りません。気持ちがどうしても上がらない時、悲しみや優しさで身体を満たして、少しの余白もなくなりたい時、こんな歌で、鼓膜から色を失っていけばいいと思います。何にも考えたくないし、何にも感じたくない。でも、無音には耐えられない。波に身体を委ねるように、紅茶のバッグがお湯に染み出すように、太陽光でコンクリートが乾いて色が戻っていくように、音楽だけがその部屋を、その直方体を満たすような、そんな体感。洋楽嫌いでも、気にすることないです。どうぞ、お納めください。

全員無事でなによりでした。人はきっと、死を感じた時だけ、生を実感するんでしょうね。それ以外の時間は、死なんてまるでないかのように、もしかしたら、生すらもはやないかのように、生きているんじゃないかと思います。自分の命は、大切な誰かの命は、知ってる誰かの命は、知らない誰かの命は、いつも光を放っているのに、世界の色に慣れすぎた私たちの目には、焼き付いたプロジェクターの画面のようなフィルターがついていて、その光に気付かない、あるいは、その光を忘れてしまう、のかもしれませんね。だから、死という闇が降りる時だけ、光を感じ、光にすがる。夜に私たちが優しくなるのは、何処かしらに死を感じるからなのかも。夜に私たちが寂しくなるのは、光一つでは心細くなるからなのかも。今日を生きる僕たちは、みんなどうであれ光輝いているから、それだけは忘れたくないなぁって、思う一日でした。

noteのみなさまのお顔を拝見したことはありませんが、もはや、そんなことは些細なことです。どうかみんな、毎日生きてほしいなと、心から感じた一日でした。


では、また幕間にて。

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