黒と赤のおもい
私の書いた黒い大きな字の下に、「私も大好き!」と赤い小さな字が並ぶ。綺麗で細くて、可愛らしい字は先生によく似てる。
その字と言葉は、高校生の私が「家の外にいる大人」に認めてもらえた瞬間だった。
夏休みの課題として「自分史を作る」というのがあった。自分が産まれてから今までの人生を振り返って書くというもので、子供の頃から記憶力が散漫かつもはや大半が忘却の彼方へ消えている私には到底無理なものだった。
みんなの「やりたくない」と私の「???」を読み取った先生が、「自分史だからって難しく考えなくてもいいよ。何でもいいから自分の思いを書いてみて。」と言って、デカデカと「自分史」と表紙に印刷されたピンクの薄いA4ノートを配っていく。
ノートいっぱい、上下びっしり罫線で区切られた行をどうやって消費したものか。
先生からのアドバイスは「字は大きく書く」という、それってどうなの?とツッコミたくなるものだった。
でも、そうしよう。
不思議と、「書かない」とか書かずに夏休み明けに「忘れました」というような事は考えなかった。「書かないと」と思ってノートを広げてシャーペンの頭をカチカチとノックする。
ほんとうに なんでも いいんだよね?
この頃私はまだ不安定で、オーケンの歌とエッセイにどっぷり浸かっていた。彼のエッセイを読んで私も書いてみたいとぼんやり思っていたので、先生の言うように「自分の思い」を書いてみた。
注意力も散漫だから、よく転んですり傷だらけだった事。
ボーッとしてたから、いつも他の子よりワンテンポ以上遅くてトロかった事。
5歳の頃から好きなのは暴れん坊将軍と吉本新喜劇で、土曜の昼下がりにおばあちゃんと一緒に見るのが楽しみだった事。
火サスと土ワイと美の巨人たちは毎週欠かさず見ている事。
好きな人。好きなこと。好きなテレビ番組。自分の半径数センチ、小さく前ならえした時よりも狭い輪の中の話。
初めは先生が言っていたみたいに字は大きく書いていたけど、だんだん書くのが楽しくなってきて、字は小さくなったり大きくなったりを繰り返しながら薄いA4ノートのページを埋めていった。
休み明け、先生に提出して周りの友達にどんなことを書いたか聞いた。大半はそのままの意味の自分史を書いたようだった。私みたいなエッセイもどきを書いた人はいなかった。
それから数日して、ノートが返ってきた。
先生の「読んだよ」という一言と一緒に。
書いたものを提出したんだから先生が評価のために読むのは当たり前なんだけど、休み前にそう言っていたのを全然聞いてなくて、なんて恥ずかしいものを書いてしまったんだと自分の注意力と聴覚の散漫さを呪いながらノートを受け取った。
帰って、ノートを開いてみてびっくりした。
赤い字でノートが埋まっている。自分の大きな字で書いた行の間、その隙間を縫うように。
初めは添削だと思った。漢字の間違いや文章がおかしいのだと。それにしてもすごい間違えたんだな、恥ずかしいものを書いた上に添削までされてると思ってよくよく見てみると、
すごい ほめられてる
恥ずかしい思いなんて吹っ飛んでた。
ただじっとノートを隅々まで読んで、有り体に言えば、感動していた。
ソファなんて無いから、床に正座で。
「とお さんの子供の頃って面白い!(笑)」
「その本、私も読んだ。続きが気になるよね!」
「それは大変だったね。とお さんだったから乗り越えられたんだと思う、頑張ったね。」
先生は、ノートの中で一言も「先生」と書かず、それよりずっと近い「私」と書いていた。
年上の、近所のお姉さんや親戚みたいに。
そうそう!と肯定してくれた。私が書いたこんな狭い話題の、字も汚いエッセイもどきを。
忙しくて大変な時間の中、丁寧な字で。行間では足りなくて、ノートの余白にまでぎっしりと。
最後のページ、端っこの狭い余白に一言。
「全員分の自分史を読んで、とお さんの自分史が一番面白かったです!将来は絶対エッセイストになるべきだと思いました!」
その時、私の将来はもう違う方向に決まっていて、先生の言うようなエッセイストにも憧れたけど自分じゃ無理だと思って、それよりやりたい道があったからそっちを選んだ。
でも数年でその道は断念してしまったし、引っ越しした時のドサクサであのノートも無くなった。
たまに、もしかしたらどこかにあるんじゃないか、壁と本棚の隙間に挟まってるんじゃ無いかと思って夜に酷い模様替えをして家族に怒られたりした。
でも、やっぱり出てこなかった。
今もそうだけど、あの頃の私は特に「家の外の大人」に支えてもらった。まるで、神様がその為に用意してくれたみたいに。
先生、あの時貴方に肯定してもらった生徒は、時間をかけて今度はA4ノートに収まらない所で自由に書いています。
あの時にもらった言葉が、今の私の書く力になっています。
ちなみに、そのあと先生が家庭訪問でも無いのに、家に来たことがある。自分史に書いてあった本の続きを持っているから、と。
母親も、いたと思う。なにせ先生が来るから、お茶とお菓子も用意して、掃除もして。
先生は家には上がらず、玄関先で母親と挨拶して、その時も、娘さんの書いた自分史がとても面白かったんですよ、と言ってくれて嬉しかったが母親に何か言われるのが怖恥ずかしくて照れ隠しでヘラヘラしていた。
サラサラのストレートヘア、白の上品なワンピース、あとは執事とモフモフな犬がいれば完璧なお嬢様スタイルな先生は、真っ赤なスポーツカーでエンジン音を響かせながら颯爽と帰って行った。
後にも先にも、あんなにカッケーーー!と思った人は先生だけだ。
もう1人の先生はこちらから
https://note.com/largavida_10/n/nf593c23e85a8
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