変わる日々と顔のヒビ

 高校生の頃、自分の中と外のバランスがうまく取れなくていつも死にたいと思っていた。学校に行けば友達も先生もいて明るく楽しく過ごせるのに、家に帰るとひらすら憂鬱でイライラしていた。反抗期というのか、迷走期というのか。0と100の間を瞬間で行き来しているような危なっかしさが、常に自分の中にあった。

 母親と隣り合って夕食の準備をしていて、突発的に手首に包丁を当てた事もある。当てただけで切りはしなかったけど、限界なのを知って欲しかった。

 「そんな包丁じゃ切れないよ。」
笑いながら言われた。限界以前の問題だった。

 朝早くに家を出て誰もいない教室で朝ごはんを食べ、友達と部活を作って夜まで居残り、なるべく家にいる時間を減らした。不良になる勇気も無く、親以外の誰かに助けてと言う考えも持っていなかった。
家と学校が、私の世界の全てだった。

 ある日、音楽の授業でギターを習った。クリームパンみたいに指が太短い私はFのコードが弾けなくて、プライベートではバンドでギターを担当している先生にFのコードが弾けるコツを聞きに行った。
 当時20代後半で、明るくて面白くて先生というより友達みたいな感覚で接してくれる、生徒と目線が近い先生だった。

 話の流れで先生の尊敬するギタリストとオススメのバンドを教えてもらった。絶対ハマるから!この人のギターが凄え良いのよ!!と熱く語る先生からCDを借りた。子供の頃にテレビで見たことがある。それは顔にヒビの入ったボーカリストがいるバンド、「筋肉少女帯」だった。子供の頃は演奏している所を見たことがなくて、ずっと大槻ケンヂさんはUFOやオカルトが好きなタレントさんだと思っていた。先生の説明で、初めてバンドマンでボーカリストだと知った。
 
 夜、家族が寝た後ポータブルCDで聴く歌は、なるほど先生が言っていたのは正しいと思うくらいギターも曲も素敵なものばかりだった。
 その中の一曲に、『生きてあげようかな』という歌があった。心が全部持っていかれた。

 その日から筋少に浸った。友達に布教し、その友達と先生と筋少ってスゴイ!最高!!と称えた。歌だけでなく、オーケンのエッセイや小説も読み漁った。その中で、あの『生きてあげようかな』がなぜ出来たかも書かれていた。

 バンドが地方でライブ中、友達から手首を切ったと電話があった。驚いた彼は自分の事務所に電話して彼女の様子を見てきてもらうように頼み、自身もすぐに東京へ帰った。
 病院のベッドで手首に包帯を巻かれている彼女と、隣には彼女のお母さん。彼を見ると彼女は「痛いばっかりで死ねなかった。手首なんて切るもんじゃ無い。」と笑いながら言う。お母さんは彼女を怒りつつも彼に謝る。その時、彼女に

「死にたい」と言ってる人に「死ぬな」と言っても、なかなか聞き入れてもらえない。それに「生きなきゃ」と思うから、しんどくなるんだろう。
 だったら、「わたしが生きてやるわよ」ぐらいの上から目線で思うことが出来れば、少しは気が楽になるんじゃないか?

という思いがあって、『生きてあげようかな』ができたらしい。
 エピソードがうろ覚えだけど、このエッセイを読んだ時に許されたような、もっと楽にして大丈夫だと言われたような気がして、深夜に号泣したのは覚えている。

 腫れぼったい目のまま学校へ行き、静かな教室でご飯を食べる。だけど今までの「逃げて来て、やっと一息つくご飯」ではなくて、何とも言えないスッキリした気分でその時間を過ごした。そしてこれを境に、私の危なっかしさはゆっくりと収まって行った。

 この歌もエッセイも、あの頃の私を救ってくれた上に今の私を支えてくれている。
人間関係で毎日のように泣いていた時も、ニートになって「今日も息しかしなかった」と夕日を見ながら絶望していた時も『生きてあげようかな』の精神で乗り切れた。

 今苦しいと思っている人も、昔苦しかったんだと感じていた人もこの歌を聞いてみて欲しい。もちろんエッセイも。



 

 




 





 




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