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余裕がないと人は助けられない。

がん手術を終え、長崎でぽけーっと療養中のどーしようもない人です。
こんにちわ。
(誰やねん?って人、よかったらこちらで紹介してます。)

「情けは人のためならず」って、半分の人が間違って使ってたんですね。
なんてこった。。

ネットでの政治活動も慣れてきてる人と全くできない人とで圧倒的な格差が出てきてますね。

この現象が、どのように反映していくのかは分からないですが、何人かの候補者の主張を見聞きして、この候補者を通せないようならこの国は終わるんだろうな・・・と思うような熱もビジョンもある候補者や、その反対を行く候補者、あるいはSEO対策で作ってるのかな?というようなツギハギ政策の候補者など色々いて面白いです。

残念ながら、3タイプの後ろに行けば行くほど多いように感じるわけですが・・・

選挙の時期になると、よく聞かれるキライな言葉に弱者救済というのがあります。

なぜキライかというと、救済しようと言われているいわゆる社会的弱者が、たいてい社会権を持ったいわば指定マイノリティ化している面を感じるからです。

そして、この指定マイノリティ化こそ差別意識の助長だし、社会の分断そのものだと感じます。

さらに、この指定マイノリティになれる認定社会弱者というのは、ある程度のコミュニティを形成していて、かつメディア的に絵になる人たちなわけです。

もちろん、個々人はそれぞれに事情を抱えていて、こうした人々も含め社会だという主張は分かります。

でも、そんなもんわざわざ言うようなことでもないし、和を貴しとするのであれば、むしろ分断化する必要はないと思います。

なのになぜ分断化をするのか・・・一つはシンプルにお金になるからという理由があると思います。

例えば、ビジネスの世界でもニッチな製品というのはニッチが故に利益率がいいというメリットがあります。

メディアにとっても、取り上げることでお金になるから取り上げるという側面は否定できないと思います。某チャリティが感動ポルノと揶揄される所以でもありますね。

ついで、政治的には票になるという側面があります。なので票にならないマイノリティは、もちろん無視されます。

また、そこには分断化することで恩恵を受ける人が存在するのかと思います。

一人ひとりだと、ただの無法者や悪人と言われてしまう人も、組織化することで指定●力団と言われステータス化してしまう構造に似てますよね。

実際、どこか政治色を感じたり、ステータスかのように振る舞う人を見て、個人的に距離をおいている某遺族会もあります。

もちろんそれで救われる人もいるでしょうから否定はしませんけど。。

そんなことより、どんな人でも望めば支援を受けられるように社会インフラを整えて、ベーシックインカムを整えて、逆に年金制度や生活保護制度を段階的に撤廃していけば良いと思ってます。

と言うは易しですが、どー考えてもこれを実現させるためには社会そのものに余裕がないと成り立たないわけです。

家事手伝いやニートが成立してしまうのも、家が裕福だからこそなのと同じですね。

なのに、その余裕を生み出してくれる高所得者は叩かれがちです。

多様性とかマイノリティの意見を大事にとか、言う割に富める人というマイノリティの人権は認めていない行動、ほんと不思議な構図だなあと感じます。

まあ、人権という考え方自体が実はこの国にはあっていないのではないかな?という気もしているのですが、それはまた今度。

はむ。

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PS.以前店長をしていたお店時代のスタッフさんが旅人になっていて、微笑ましくその子のインスタをフォローしてしまいました。

うちの子たちは、ほんと自由に生きてる子が多くて誇らしいですね。

新しい書道具と読書費に充てさせていただきます。