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Lifestyle|フィンランドのクリエーター図鑑 〈10.マリア・マルムストロム〉

デザインや自然、食べ物など、様々な切り口から語られるフィンランドの魅力。そんな中、フィンランドに何度も訪れている宇佐美さんが惹かれたのは、そこに暮らす「人」でした。このコラムでは、現地に暮らし、クリエイティブな活動を行う人々のライフスタイルやこれまでの歩みをご紹介。さて、今回はどんな出会いが待っているのでしょう。

緑あふれるフォルッサはテキスタイルの町として知られています。首都ヘルシンキからは北へ102km。タンペレやトゥルクなどの主要都市にも足を伸ばしやすい立地にあることから、フィンランド南西部を観光する拠点としても少しずつ注目されはじめています。

フォルッサの西側に位置するタンメラには湖が200ほど点在し、2つの国立公園があります。自然豊かなのどかな町では、夏になると中世の衣装を着て当時の暮らしを再現するお祭りが開かれます。

この町でドールハウス作家として活躍するのが、マリア・マルムストロムさん。ドールハウスのデザインと制作を手掛け、ノンフィクション作家としてもドールハウスをテーマにこれまでに7冊の書籍を出版しています。フィンランドで2015年に公開された映画『オンネリとアンネリのふゆ』では、作品に登場するドールハウスのミニチュア家具を制作しました。

今回は、感性を通わせながら精巧な職人技で小さな世界を創造する、クリエーターの暮らしの根っこを紹介します。

Maria Malmström(マリア・マルムストロム)/ ドールハウス作家

マリアさんはタンメラのカウクヤルヴィで生まれ育ちました。小さな村では、子どもたちが一緒になって庭でゲームをしたり、雪でお城を作ったり。隣家の厩舎は格好の遊び場でした。

マリアさんには妹がいて、姉妹は両親が手作りしたドールハウスを共有していました。人形遊びが好きな妹とは対照的に、マリアさんのまなざしは室内の装飾に向けられました。いらなくなった空き箱や紙パイプなどを工作してドールハウスのインテリアを整えました。

フィンランドには総合大学「Yliopisto」の他に、「Ammattikorkeakoulu ( AMK )」と呼ばれる職業大学(応用科学大学)があります。総合大学はアカデミックな教育に注力し、AMKでは専門的な職業教育にフォーカスします。フィンランドでは、7歳〜16歳まで9年間の基礎教育を終えると、高校あるいは職業訓練校を経たのち、必要に応じていずれかの進路を選択する人が多いようです。

木材の香りと手触りが好きだったマリアさんは、大工職人になるために職業訓練校へ進学しました。ところが在学中に深刻な喘息を発症し、木材を切ったり加工したりする際に生じる木屑は身体に負担をかけるため、木工から距離を置かなければならなくなりました。

「当時から裁縫が得意でしたが、他の素材の加工技術も学びたいと考え、17歳で大工の勉強を始めました。喘息を発症したことで、就労環境が清潔で安全であることを第一に考えてその後のキャリアを選択しなくてはいけなくなりました。私は数学と物理が大好きなので、 問題を解決したり、何かを発明したりするエンジニアの勉強を始めることにしたんです。」

高校へ進学し、大学入学資格試験をパスすると、AMKでエンジニアの勉強を始めました。卒業後はすぐにノキアのサロ支社でシステムエンジニアとして働き始めました。


それでもやっぱり、ものづくりがしたい。一度は消えかかった炎に隣で一緒に薪をくべてくれたのは、パートナーで大工職人のエサさんです。16歳の時にディスコで出会った2人は、20代後半に結婚。それからまもなく、エサさんはクリスマスのプレゼントにドールハウスを手作りしてマリアさんに贈りました。マリアさんは小さな家をヴァイノラと名付け、10年かけて家族の夢を詰め込みました。

「エサは私の最愛の人です。私がずっと前からミニチュアに惹かれ、縮尺に興味を持っていることを知っていました。ヴァイノラを贈られた時、こんなに大きな家には一体どんな家族が住んでいるかと想像し、ストーリーを考えたんです。そこで暮らすのは職人、他の起業家たちにも部屋を貸してみんなで一つ屋根の下で生活しています。それから、私たちはビートルズの大ファンなので、1960年代の雰囲気をインテリアに投影しました。」

一般的に、ドールハウスの標準規格は1/12スケールとされます。ヴァイノラの場合は、自宅にあった人形の縮尺に合わせて、家具やオブジェクトを1/16スケールで手作りする必要がありました。例えば、直径10cmのパンを1/16スケールでミニチュア化するなら、10cm÷16=0.63cm(6.3mm)の大きさに仕上げる計算になります。

一度は手放した夢を、ドールハウスだったら叶えることができる。システムエンジニアとして働きながら趣味として始めたドールハウスづくりはマリアさんの心を勇気づけ、灯となりました。10年かけて18の部屋を飾り、最終的にヴァイノラはフィンランド国立博物館に展示されました。DIYの工程をまとめたブログはのちに書籍となり、シリーズ化されました。 

その間、システムエンジニアとして勤めていたノキアとは、労働条件を巡って交渉を重ねていました。退職することを選択したのは、もう一度、自分の可能性を信じてあげたくなったからでした。

「自分の手から生み出すものづくりがしたい。当時は最初の本を執筆中で、フリーランスとして働く道に希望の光が差し込んでいたこともあります。」

2012年にノキアを退職。執筆や写真撮影、ドールハウスの指南書を国内外の雑誌に寄稿したり、市民カレッジでの指導にあたったりしました。


まもなくマリアさんは、フィンランドで2015年に公開された映画『オンネリとアンネリのふゆ』で、劇中に登場するドールハウスのミニチュア家具制作を任されました。物語は、住むところを失った小さな家族がドールハウスに借り暮らしをするという筋書です。実際に役者たちが演じるのは1/1スケールに建てられたドールハウスのセット上ですが、彼らの暮らしを描くシーンでは、1/10スケールで作った小さなオブジェクトがスクリーン上に大きく映し出される演出でした。 

頭に浮かんだイメージを時間をかけて形にして、クリエーションに落とし込んでいくのがマリアさんの制作スタイルです。ところが、このとき求められたのは完璧な模倣。加えて、駆け足の撮影スケジュールに間に合わせながら、正確で慎重な仕事をしなければなりません。うまくやれる自信はありませんでしたが、マリアさんは覚悟を決めました。

はじめに取りかかったことは、ヘルシンキの撮影スタジオに出向いて、セットに飾られた撮影小道具の大きさを測り、写真に納めることでした。アラビアの食器やアルテックのマドモアゼル ロッキングチェアなど、フィンランドの一般家庭にあるものをミニチュアに再現するのははじめての試みだったといいます。

「映画が完成して、スクリーンにドールハウスが大きく映し出された時の興奮を忘れることはありません。無事に試練を乗り越えたことに感謝しています。」


2020年に、屋号「Nukkekoti Väinölä」を立ち上げました。それまではひらめきがあった時に、ドールハウスに必要なものを自分のために作っていたマリアさんですが、映画の仕事をやり遂げてからは、注文を受けて制作する機会が増えたといいます。

「細部まで忠実に再現することを追求する一方で、自分らしさを表現したいとも思っています。自分の手を動かしてものづくりを行うことは、私の情熱であり続けています。ドールハウスは私にとって、自分の手でものづくりができることへの感謝と愛を込めたクリエーションです。」

自分らしさに憧れる時。お手本をなぞりながら、まずは型を身につける。やがて自分の線を見つけ、描かれる模倣のなかにオリジナリティが宿るのだと思います。

もう一つ、マリアさんへのインタビューを通じて教わったことがあります。

予期せぬ出来事がライフステージに影を落とす時。慌てずに、じっとやり過ごす。そのうちに再び光が差し込んで、試練を乗り越えた先で、一度は見送った道と繋がることがあるのかもしれません。

\ マリアさんにもっと聞きたい!/

Q. 製作フローは?
ひらめきは日々の暮らしの中で生まれ、アイディアをスケッチし、図面を起こします。そこから先は無我夢中で作業を続け、プロトタイプが整うと改善点を洗い出して一つひとつ丁寧に検証していきます。オブジェクトは目で見て楽しく、一方で、まわりと調和していなければなりません。

細かい部分まで妥協せず、大切に手がけた私の情熱が光となり、私の手を離れたあとも作品を通して輝いていることを願っています。自分の手でものづくりができることを愛し、感謝しています。

Q. ミニチュアで作ってみたい日本のアイテムはありますか?
日本の家具は線がすっきりとしていて、美しい木目が生かされている点がとても気に入っています。作りたい物がたくさんあります。

私は日本の職人技と、ものづくりに献身する職人たちの心持ちに感服しています。インスタグラムでも、日本のミニチュア作家たちをフォローしていますが、彼らは別格だと感じます。私自身がまったくの初心者に思えるほど、日本の作家たちの技術力は計り知れず、今までもこれからも静かに追いかけたい背中です。

Q. 新生活を迎える人にエールを!
勇気を出して、自分を信じてあげましょう。心の声に耳を傾けて、自分が心地良いと思うことを楽しんでください。仕事を好きになれると、人生の他のすべてのことも楽になります。

Instagram:@usami_suomi