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Lifestyle|フィンランドのクリエーター図鑑 〈18.メルヴィ・パサネン〉

デザインや自然、食べ物など、様々な切り口から語られるフィンランドの魅力。そんな中、フィンランドに何度も訪れている宇佐美さんが惹かれたのは、そこに暮らす「人」でした。このコラムでは、現地に暮らし、クリエイティブな活動を行う人々のライフスタイルやこれまでの歩みをご紹介。さて、今回はどんな出会いが待っているのでしょう。

首都ヘルシンキから北へ100km。国内で2番目に大きなパイヤンネ湖の玄関口として知られるラハティは、フィンランドで最も南にある湖畔の町です。フィンランドの地形は、氷河期の影響を強く受けていますが、中でもラハティにはモレーン(氷堆積)やエスカー(氷堆丘)などの氷河地形が色濃く残っています。

例えば、町の中心から数十キロ北にあるプルッキランハルユは、今からおよそ1万1000年前、フィンランドを覆う大陸氷河が衰退を始めたときに、氷河の下を流れる流氷によって削り出された砂や岩などの堆積物から形成されました。氷堆丘の周縁部は蛇行するようにユニークな形をしています。氷堆丘にはそれぞれ橋が架けられ、それらは8kmにわたって続き、フィンランドで最も美しい道にも選ばれました。

この町で、中世やフィンランドの鉄器時代の手工芸を研究し、手工芸職人として活躍するのがメルヴィ・パサネンさん。染料となる植物を栽培して古代や中世時代の衣服の生地を織ったり、鉄器時代のカード織りのパターンを調べて再現したりと、歴史的な工芸技術に着目し、現代へ伝えることに情熱を傾けています。

今回は、いにしえのロマンを追いかけ、歴史に命を吹きこむクリエーターの暮らしの根っこを紹介します。

Mervi Pasanen(メルヴィ・パサネン)/ 手工芸職人、作家

メルヴィさんが生まれ育ったオリマッティラは、のどかな田園風景が広がる小さな町で、2002年には国内最古の定住集落跡が発見されたことで話題になりました。フィンランドを代表する人気映画監督、カウリスマキ兄弟の故郷でもあります。メルヴィさんは自然の中でのびのびと、親友と一緒に楽しい子ども時代をおくりました。

今年で58歳になるメルヴィさんが手工芸職人の道を歩き始めたのは、40代半ばに差し掛かってから。それまでは、国内の報道機関で記者として働いていました。現在も、手工芸や作家として活動する傍ら、Etelä-Suomen Sanoma ではジャーナリストとして地域のニュースを取材しています。

転機となったのは2004年、スウェーデンのゴットランド島・ヴィスビーを休暇で訪れ、毎年夏に開催される「中世週間」に参加した時のことです。街の人々は中世の衣装を身に纏い、伝統工芸品を扱うマーケットや様々なイベントが行われていました。

「このお祭りに参加して、歴史に興奮しました。もっと詳しく中世時代のことを知りたいと求知心を刺激され、特に、この時代の手工芸に魅了されました。」

自分でも手を動かしてみたいと思うようになり、メルヴィさんがまず挑戦したのが、大きなとじ針を使って編むように縫うノールビンドニングです。棒針編みやかぎ針編みが伝わるずっと前、ヴァイキングの時代から北欧で行われてきた手工芸です。続いて裁縫を学び、その後は織物と、少しずつ学びを広げていきました。

「それまでの私はバイクや乗馬に夢中で、手工芸に関しては全くの初心者でしたが、一つ一つの学びが繋がりを持ち、今では、羊毛から衣服ができるまでに必要な作業の一部始終を昔ながらのやり方で知っています。」

メルヴィさんは2015年にミュナマキの手工芸芸術学校を卒業し、手工芸の修士号 käsityömestarin erikoisammattitutkinto を修得しました。

「しばらくは独学でしたが、そのうちに友人のマイッキ・カリストさんと一緒に勉強するようになり、彼女が私に修士号をとるように勧めてくれました。」


マイッキ・カリストさんは、フィンランドでは「ラウタナウハ」と呼ばれるカード織り研究の第一人者として知られています。中世時代の手工芸に魅せられ、昔ながらの工芸技術を研究してきたメルヴィさんは、マイッキさんとの出会いによってフィンランドの鉄器時代の織り技術を紐解くことになりました。

カード織りは、古代から世界中で行われてきた織りの技法の一つです。カードの四隅に空いた穴に縦糸を通し、カードをくるくる回して模様を織ります。カードの表裏どちらから、何色の糸を通すのか、カードを回転させる角度や回数などによって多様なデザインのテキスタイルを織ることができます。織り紐は、教会の祭壇にかけられる布の縁飾りや、衣服の飾り紐に使われるなど、古代から欠かせないものでした。フィンランドでも鉄器時代(紀元前500年〜西暦1200年)の後期には、カード織りの技術が使われていたことが明らかになっています。

「多様な方法で多彩なパターンを創造することができる、カード織りの多用途な手技に夢中になりました。フィンランドのカード織りのパターンランゲージは世界でもユニークで魅力的です。」

メルヴィさんとマイッキさんは互いの強みを生かし合い、フィンランドの鉄器時代の墓から新たに見つかった織り紐の「一部」から、パターン全体を再現することに挑戦し、その研究成果を共同著述のかたちで発表しています。

『Nauha-aarteita 』(2020)は先に刊行された共著の続編で、7年がかりで調べあげた56種類のパターンが収録されました。メルヴィさんは、織り図の内容が正しいかどうかを確認するため、すべてのパターンを試し織りし、カード織り研究の歴史などを紹介する読み物の執筆も担当しました。

「ジャーナリストとしてのスキルは、このような本を作るのにとても役立っています。私は事実に基づく情報を調べることに慣れていますし、文章を書いたり校正したりすることも、インタビューすることもできます。私自身もこれまでに何冊か本を出版しています。また、InstagramFacebookなどを通じて、広く情報を公開しています。」


数年前からは、ホソバタイセイやセイヨウカワラマツバなど、染料となる植物を自分で育て、染色した糸で古代や中世時代の歴史的な衣服の生地を織っています。今年の夏は初めてアイを育ててみたそうで、来年の夏に藍染めを勉強する予定です。

「私が初めて自分で作った衣服は、フィンランド古代のペチコートです。IKEAでリネンを買ってきて縫いました。今となっては笑えるほどの出来栄えですが、それが私の出発点です。誰もがどこからでも、何かを始めることができます。」

まもなく、一年で最も夜が長い冬至を迎えます。フィンランドの暗くて長い冬はまだ始まったばかりですが、この日を境に昼の時間は少しずつ長くなり、暦は春に向かってゆっくりと歩みを進めます。冬来たりなば春遠からじ、それでもなお、暗闇を恐れる時。谷川俊太郎さんの「朝のリレー」の詩の一節を引用し、話を結びたいと思います。

「カムチャツカの若者が きりんの夢を見ているとき / メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている / ニューヨークの少女が ほほえみながら寝返りをうつとき / ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウィンクする」(谷川俊太郎「朝のリレー」より部分引用)

物事の終わりと始まりは近いところにあって、たとえ遠く離れていても、時には時空さえ超えて、私たちの暮らしの身近に結びついているのかもしれません。

\ メルヴィさんにもっと聞きたい!/

Q. 特に好きな時代のデザインはありますか?
年代でいうと、特に14世紀のヨーロッパのファッションが好きです。洋服が身体のラインにぴったりとフィットし、良質な生地とデザインが美しさを生み出します。手作りのボタンや様々な縫製技術、仕上げなど、細かいディティールもふんだんにデザインされています。全てが目に見えるわけではありませんが、細部までこだわった仕上がりになっているのが分かります。また、フィンランドの鉄器時代、11〜13世紀の衣装は実に熟練した手工芸です。丁寧に紡がれた糸で織られ、現代人には想像もつかないほどのノウハウが詰まっています。当時の私たちのファッションは絶妙にユニークでした。

Q. クリスマスのご予定を教えてください
毎年、夫のリクと自宅でのんびりとクリスマスを過ごしています。12月24日は愛する人たちが眠るお墓を訪れ、キャンドルを灯します。これはフィンランドの風習です。それからクリスマス料理を食べて、夜にはパズルをするのが我が家の恒例行事です。
自宅で新聞社の仕事もする予定です。同僚たちが子どもたちと家族揃ってクリスマスを過ごせるように、私はクリスマスも仕事ができるよ、と伝えてあるんです。もちろん生地も織ります。素敵なクリスマスの過ごし方ですよね。

Q. このコラムでは「美しい作品のうしろにある、美しいこころ」をテーマに、クリエーターの方々にインタビューを重ねてきました。あなたが大切にしているこころを教えてください。
常に新しいものを追い求めるのではなく、古いものにも価値があると信じています。私たちは、現代人は熟練していて賢いと考えがちです。一方で、昔の人々は愚かで単純だったと想像するかもしれませんが、それは真実ではありません。彼らは生き残ることさえ当たり前ではなかった時代に身を置きながらも、美や技術を大切にしていました。私は昔の人々の技術に感謝しています。現代の人たちにもそれらを是非見てもらいたい、知ってもらいたいと思っています。
日本では、古くからの伝統が今も息づいていますよね。それらは、本で読んだり博物館で見たりするだけのものでなく、今を生きる皆さんの暮らしの一部になっています。きっと、日本の皆さんには私が言いたいことを理解してもらえると思います。

昨年の夏から1年半にわたってお届けしてきました、『フィンランドのクリエーター図鑑』は今回が最終回です。「フィンランドの人たちは」と大きな主語で語るのではなく、「メルヴィさんは」「ヴィルピさんは」「エイヤさんは」「マイヤさんは」と、一人ひとりの人生や日常に注目することで、フィンランドの新たな一面やクリエーターの等身大の魅力に改めて気がつき、そうした発見を皆さんと共有できたことが本当に嬉しかったです。

18人の暮らしの根っこは18通りの芽を出して、思い思いの花を咲かせています。その「花」を、私たちの近くで手にとる機会がこれからもっと増えたらいいなと願っています。コラムの旅をご一緒してくださったクリエーターの皆さん、読者の皆さんに心からの感謝を申し上げます。

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