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また老いて。

 しばらくnoteを書かないと、毎度この書き始めに困る自分がいる。今年もタンパク質を殺す気満々で夏が猛威を振るった。食欲が無くなって、冷たい物しか食べられない時期もあった。9月になって、まだ日中は暑いながらもすっかり夜は秋めいている。まぁ、しばらく書かなかったので今回は何か自分を思い返す雰囲気の文になるのでは無いかなぁと思う。

 8月、全く更新をしなかったこのnote。私という人間は7月末に大学のテストを受け、8月はバイトに勤しみ、誕生日を迎え、旅行に2回行き、浴衣を着て、花火を見て、それなりに夏を謳歌した。(残念なことにお笑いライブには行けなかった…)。何も無い日はひたすらごろごろして暇の幸せを眺めていた。

 大学のテスト。私は自分を苦しめるほど真面目な人間だ。大学生というものは、全く勉強をしない。授業もサボる。楽な方を選ぶ。人生の夏休みだとか言う人もいる。私はと言うと、無遅刻無欠席でテスト勉強もそれなりにした。とにかく『再履修』が嫌だから頑張った。毎日行って、ちゃんと出席して、ちゃんとやったのに、テストが悪いから単位貰えない⁉️は⁉️そんなの耐えられない‼️もう一度同じ授業を受けるなんてめんどくさくて耐えられない。そう、私の真面目の源は全て「めんどくさい」だ。
 「ここ休んじゃったからノート見せて欲しい」
 「今日しんどいので休みます」
そんな頼み事、連絡をするのはめんどくさい。だから、頼まないために学校に行き、連絡しないために学校に行った。今めんどくさいをやれば、次のめんどくさいは楽になる。楽をするために頑張っている。
 しかし、流石に頑張りの度が過ぎたように思ったのが今回のテストだった。どれだけ勉強しても安心感が得られない。めんどくさいが無くなる保証が感じられなかった。だからずっと勉強していた。しんどくても勉強した。次しんどくならないために。
 テストの手応えは、落としはしないだろう!程度だった。ひとまず安心して、私は夏休みを迎えた。しかし、成績を見るなり驚いた。明らかに良すぎるのだ。11科目あって最高評価が7個もあった。とりあえず努力が報われたことは嬉しかったのでそこらじゅうに自慢したのだが、大学の友達は落単していた。自慢するんじゃなかった()
 3回目のテストだというのに、気張りすぎた結果になった。もう少し肩の力抜いて良かったんだなと少々の疲れが来た。まぁ、3年生、4年生が楽になるならいいと思うので、この調子で大学は頑張ろうと思う。

 バイト。これは本当につまらない愚痴を零す醜い文になること間違いなし。なんなら次の「◇」まで飛ばして下さい。
 去年、19歳になってすぐにバイトを始めた。流石にまだやっていないのはまずいと思っての行動だった。そのまま1年同じバイトをやり続けた。鈍かった動きも機敏になり、褒めてくださる方は沢山居た。仲良くしてくださる方も沢山居た。そしたらその人たちみーーーんな人事異動で居なくなってしまった。
え⁉️何人かとかじゃなくて全員居なくなるの⁉️残ったのは苦手な人ばかり。店長さんも変わられて、元から居たちょっと怖い人になった。苦手な方達は同じ時間に集中してシフトが組まれているので、そこを避けてシフト希望を出していた。社員さんのポジションみたいなのが変わって、私が希望していた時間に苦手な方たちが入るようになるのは必然だった。
 私は自己肯定感が低い。高く持とうとしてはいるが根は低い。だから高校生から続けている子と比較して、しょうもない劣等感に苛まれたり、仕事の容量が悪いと勝手に思い込み、常に自分を責めている。よく言えば向上心があり、役立とうと努力を惜しまない自分にシビアな人間と言えるが、悪く言えばクソネガティブめんどくさ女だ。居なくなってしまった方たちは、ミスも「大丈夫だよ!😄」とか「次気をつければ大丈夫!😆」「全然出来てるよ!😄」「凄くできるようになったね!😆」とか言ってくれる神みたいな方々ばっかりだった。だから自己肯定感を保つことが出来ていた。しかし、現状の方たちは、普通に怒り口調で注意する。それが世間じゃ普通なのだろうが、めんどくさいを避けて優等生を演じてきた私には「怒られる」が「出来ない私」を「本当」にしてしまうのだった。
 それだけならまだ我慢できるのだが、どうにも新しい環境の人達は「尊敬できる人」ではない。忙しいと余裕がなくなって周りの雰囲気をピリつかせる人、自分だってポンコツのくせに目下の人たちのミスの揚げ足をとって注意するのだけめちゃくちゃ早い人、そんな人たちばーっかりなのだ。
 前まで居た人たちは、忙しくても周りに嫌な空気を出すどころか、気配りが出来て一点集中にならず周りの見えた行動のできる人や、常に笑顔で余裕をもっていてくれる人たちだった。この人たちとなら4年生まで働いてもいいかもなぁと思えたのだ。尊敬できる人。それは職場においてとても大事だ。私もなれるよう例え嫌な業務でも努力は惜しまない。私がそういうマインドだから、前まで居た人たちが理想的すぎたから、今私の目上の人達の不満が募って仕方がない。つまり、私が真面目すぎるのがよろしくないのだ。もっと楽観的にポジティブにテキトーにやれたらどれだけ楽かと、思い悩まされてしまうのだ。
 面白くない愚痴を面白くしようと自己分析を絡めたが、結局は「ウザイ‼️辞めたい‼️お前嫌いやねん‼️💢」が本音だ。

 誕生日を迎え、20歳になった。
先月の28日に真の大人に昇格した。すかさず送られてきた税金のハガキに顔面蒼白。まだ学生めぅ🥺払えないめぅ🥺と、手続きをしなきゃいけないらしい。
 19歳になった時は、車の免許もない、クレカもない、銀行口座もない、バイトもしていない、という一文無しバンザイな状態だったが、今年は免許あり、クレカあり、口座あり、バイトありと目まぐるしい大成長を遂げていた。
 誕生日当日、18歳の時は祝福のメッセージに「🔞」をつける人がたくさんいたが、20歳だと「🥂🍻🍺🥃」とかのお酒の類の絵文字をつけてくる人がいっぱい居た。真面目な私は20年間一滴も酒を飲まなかった。なんなら20歳でもないのに飲んでいる人を軽蔑していた。そんな私が初めて飲んだのはほろよいで、他にもワインとか焼酎とかいろいろ飲んだのだが今のところほろよいが1番美味しいという結果になった。まだ子供の口だ。
 10代が終焉を迎えるというのは、意外にも呆気なく、ただ歳をとったという感覚だった。既に筋肉痛が1日遅れてくる体験をして危機を感じた。20歳まで長かった。しかし、30歳はあっという間なんだろうななんて思う。30歳の私は何をしているだろうか。どんな仕事に就いたんだろうか。何が好きなんだろうか。未だにコミュ障を拗らせて誰ともお付き合い出来ていなくて、焦ってもう独りでいいと防御を固めながら寂しがって居るのだろうか。この酷い文に憤りを感じられるような人間になっていて欲しい。

 そういえばというか、これもしょうもない愚痴になってしまうのだが、ちょっと困ったことがある。これもまた人付き合いの話なので、飛ばしてください。
 大学のゼミのLINEグループが出来た。私のゼミはもう本当にいつも葬式みたいに静かで、私としては「人との交流の発展がない」という憂いと「誰も気遣わなくてもいい」という楽さが拮抗している。正直このままではヤバいだろ…という程には静かだ。そんなゼミにいる活発で頭のいい子が全員と喋ってLINEのアカウントを集めてグループを作ってくれた。
 大学の人間関係といえば、私は過去3作、noteで激キモ激痛文章を綴っているのだが、それとはまた別の話だ。

 出来上がったLINEグループから勝手に追加してきた人がいる!!!!!!!!!

 いや、最初は別に「まぁ、クラスの人全員追加するタイプの人いるしね😗」と思い、会話も「よろしくー!」とかだったし、自己紹介とかもちょっと変わったことしよう感がある人だったので、いわゆる"そういう人"、だと思っていた。この人を今後Aくんとする。
 LINEグループが出来たのは6月の頭。出来上がってすぐ追加された。Aくんとは全くと言っていいほど喋ったことがなかった。一度ゼミの発表の順番決めでじゃんけんしたくらいしか接点が無かった。追加されてしばらくは何も無かった。
 私はそのゼミの発表順決めじゃんけんで班代表になりボロクソに負けた。頭がこんがらがり、Aくんの「俺グー出すからチョキ出して!」と言うあからさまな罠に引っかかりかけ(4人ジャンケンで、他の人がちゃんと分かっていてあいこになった)、その後普通に負けた。発表は班の人に負けてしまい申し訳ないということでトップバッターになった。
 私の発表当日、Aくんは教室に居なかった。普通に休みだった。全然接点のない人だし気にしていない。なのに翌週、授業が終わったあとにメッセージが来ていた。
 「◽️◾️の発表先週だったんだ!聞けなかったごめんね!」

 「🙄???」(やりすぎ都市伝説のBGM)

 それからゼミで話しかけてくれればいいようなトーク内容を、9月現在に至るまで、スタンプで会話を強制終了させても続けてくる。夏休みでも突然「俺らのゼミだけ課題あるのなぁぜなぁぜ?」と送られてきてあまりの理解のできなさに一週間以上未読無視してしまった。良心が勝って返信したが、しなければ良かったのかもしれない...。そして接点はじゃんけんの時から変わっておらず、結局春学期中1回もAくんとは喋っていない。え、本当になんでなの?
 Aくんは私以外のゼミの人とは普通に喋っているのだ。え?私そんなに顔怖い?ブス?え?話しかけんなオーラ出てしまっている?え、そんなつもり🍆🍆🍆...えぇ?仕舞いには仲の良い友達と情報交換をするべきである履修登録の画面を喋ったことの無い人間に送り付けて「どう?」と聞いてきた。知らないよ...😨としか言いようがなくて唖然とした。いつもならこういう人は無視とか、縁を即切るのだが、今後3年間少ない人数のゼミで会う人なのでそういう訳にもいかない。
 あと怖かったのが、英語のクラスを言っていないのに知っていたり、ゼミで私は教職を取っていることを言っていないのに知っていた事だ。なんで⁉️どうしてそれで「◽️◾️も英語頭いいクラスなの?!」って聞けるの⁉️私からしたら「どこで知ったの😨」でしかないって...と、恐怖が芽生えてきた。
 そしてこのAくん、私が偶然一緒が多すぎて単純接触効果で勝手に気にしまくってnoteに書きまくってしまっている例のあの人と仲がよろしい感じなのだ。キャッキャして私の後ろの席で喋っている(そういえば、noteに書いたか忘れたが席替えで例のあの人は私と同じ班で前後の席になってしまった助けて)。私の情報実はあの人が流してる?!とか自意識過剰にも程がある妄想が捗って死にそうだ。
 メッセージを送り合うのは別に嫌いじゃない。むしろ好きだ。けど、LINEは他のSNSと違って実際に顔を知っていて、現実で喋る機会もある人とのやり取りだと思っている。だから、友達でもない、喋ったことも無いに等しい人からメッセージが来るのは凄く嫌だ。Aくんとは感覚のズレが生じているのだと思う。でもそれは言えない。仕方なく返信速度を落として返しているが、何も気付いていない感じで返信してくるので頭を抱えている。
 これもまぁ、簡単にまとめちゃえば「え⁉️なんで喋んないのにLINEばっか送ってくるの⁉️喋ってくれればいいじゃん😭なんなの⁉️⁉️」でしかない。おもんない...🙄

 2ヶ月分くらいの自分を振り返ってみた。いっぱいカッコつけた文章を書いたけれど、軸は全部「めんどくさい‼️」で出来ているなと思うのだった。そういえば、MBTIとかいう、性格診断をやった。私はISFP、冒険家の性格らしい。はへーって感じだった。
 そういえば、7月、8月は音楽を聴いていなかった。聴く時間がなかったというのが正確だが、新しい音楽と出会おうとするにはそれなりのモチベーションも必要なのだなぁと思った。あと、8月はM-1が始まったのでずっとそれのことばかり考えていた気がする。

 何を書こうにもまとまらなくなってきた。近況報告みたいなつまらないものをつらつら5000字書いていたらしい。ここまで読む人は居ないだろう。秋めく夜に少々哀愁の感情が芽生えるようだった。これから冬が来て、また年が暮れて、なんだかんだ変わらない1年が過ぎていくのだろう。その生活の中で、私は変わり、老い、いつか枯れ果てて死んでいく。どんな死に方をするかは分からない。でも来るその時、楽しい生だと振り返られるように、少しづつでも成長していく人間でありたいものだと思った。誰も葬儀に来てくれない人生になったら、それはそれで悲しくも面白いかもしれないが。なんて、めんどくさがり天邪鬼激痛女は寝転がりながらこんな文章を書いている。私という人間は、しぶとくゴキブリのように、死ぬまで生きると思う。


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