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台湾人になりたかった(4)鏡映しとの出会い

こんにちはMikiです。
前回までの記事はこちらから!
台湾人になりたかった(0)自己紹介
台湾人になりたかった(1)母に中文で話してと頼む
台湾人になりたかった(2)台湾短期留学
台湾人になりたかった(3)祖母の葬儀

  祖母の葬儀をきっかけに中文はできて当たり前でなくてはいけないと躍起になっていた頃、鏡映しのような存在「Y」と出会い、自分が何者なのか考えを深めていきます。

地球一周の船旅、Yとの出会い

  私は大学3年生を終えた後に、一年間休学していました。この休学中に地球一周の船旅に参加し、鏡映しのような存在、Yに出会います。

  ※ここで一度、時系列を整理しておきましょう。

大学1年生:台湾短期留学
大学3年生:忙しく過ごす
  4年生に上がる前に休学、実家で過ごし始める
  休学中の5月:特別な帰省、祖母が他界
6月:祖母の葬儀
9月〜12月:地球一周の船旅。Yと出会う。←今ココ


地球一周の船旅

  地球一周の船旅とは、乗客とスタッフ1000人ほどがクルーズ船に乗船し、約100日間かけて20数ヶ国を巡る船旅です。
  実は100日のうち70日は船の中で過ごすため、船内でのイベントも充実していました。イメージとしてはテレビの番組表のようなタイムテーブルがあって、文化祭のように船内のあちこちでいろいろなイベントが開催されている感じです。この船旅で私はYと出会います。
  Yは通訳スタッフ*として乗船しており、寄港地での通訳業務のかたわら、乗船者向けに中文教室というイベントを定期的に開催していました。

*スタッフといっても、私が参加した船旅ではスタッフと乗客の距離がとても近く、一緒に企画をすることも多くありました。※私はもちろん乗客としての乗船です。


鏡映しの存在Yの略歴

  Yは私と同い年で、台湾人の父と日本人の母がいます。生まれは日本ですが、幼少期からずっと台湾で育ったといいます。
  Yの母語は中文。日本語はペラペラです。台湾で日本人向けに通訳や中文の先生をしています。

  両親の生まれや育ちがちょうど反対。私たちが仲良くなるのは一瞬でした。親近感なんてもんじゃないですよもう!
  ありきたりな言葉ですが「え?運命なのでは??」と本気で思いました(笑)

  印象的なのは薬についてのエピソード。2人とも小さい頃に同じように表現を間違えて、同じように指摘を受けていました。

  日本語では「薬を飲む」と言いますよね。
そこで幼いは「薬=藥(yào)」「飲む=喝(hē)」と考え
「喝藥(hē yào)」と言いました。
台湾人の母は笑って、”確かにそうだね、でも中文では「吃藥(chī yào)」というのよ”と教えてくれました。

  次はYの番です。すでにお察しの方もいるかもしれませんね。
  中文では「吃藥(chī yào)」と言います
そこで幼いYは「吃(chī)=食べる」「藥=薬(yào)」
「薬を食べる」と言ったそうです。
案の定、Yの母(日本人)から「薬を飲む」であると教わったといいます。

  そう、まるでパラレルワールドに居たかのように、幼少期の経験がリンクするのです!

  Yは私の理想であり、ロールモデルでした。そんなYは、自分のことを日本人でもあるし台湾人でもあると言っていました。
  台湾人の父と日本人の母、日本生まれ台湾育ち、母語は中文日本語はペラペラ、こんなにも日本要素と台湾要素を持っている。

対して私はどうだろう?

  日本人の父、台湾人の母、日本育ち、母語は日本語、国籍も日本

台湾要素は?

  台湾人だと自信を持って言えるものが見当たらない。でも「日本人です」と言うと、なんだか自分の一部を見えなくしているみたいで変な感じがする。
  
  私はYと関わることで、自分の中の台湾要素に気付かされていきます。


Yと一緒に中文教室in地球一周の船旅

  地球一周の船旅で、乗客向けに中文教室という船内イベントを定期的に開催していたY。
  私は仲良くなった友だちを応援するつもりで「Yが頑張ってるし遠目で見ておこう」なんて生意気にも様子を伺っているだけで、参加する気はさらさらありませんでした。
  内容は初学者向けでしたし、YからもMikiには(簡単すぎて)必要ないよと言われていたからです。

  そんなある日、Yに「中文教室一緒にやってみない?」と誘われます。まさか中文を「教える」側になるなんて!

Yの作ってくれたスライドを2人で解説していくスタイル。


私の母語は日本語

  Yが私を誘ってくれた理由の一つに、私が日本語母語話者だからというのがありました。  乗客の多くが日本人で、この中文教室も主に日本人の乗客に向けたものだったからです。Yはいくら日本語ペラペラとはいえ非ネイティブ。細かいニュアンスやボキャブラリーは私に軍配が上がります。

そうだよ、私の母語って日本語じゃん

  そんな単純なことにやっと気がついたのです。
私の中文は第二言語。Yや母の中文は母語。差があって当然です。今まで自分の中文を母語話者たちと比べて「全然できない」「まだまだ足りない」と落ち込んでいたのです。

中文≠外国語

  あえて「第二外国語」ではなく「第二言語」としたのは、私にとっての中文は「外国語」ではないと思うようになったからです。
 中文を「教える」ようになって初めて、自分がかなり感覚的な判断をしていたことに気付かされました。

日本語母語話者には難しいとされる、
「小(xiǎo)」「少(shǎo)」の聞き分け、「就(jiù)」の使い方など…。
母語話者は絶対間違えないけど母語だから違いを説明するのは難しい、みたいなアレです。
※「就(jiù)」の使い方はいまだにうまく説明できませんし、中文の教科書を読んでもよくわかりません…
日本語で例えるなら、
「する」はサ行変格活用で、「させる」は使役形とよび、「させられる」は使役受身形だからこういう時に使いますetc…
…みたいな説明を読む感じに近いです。

  中文を話せるようになればなるほど、中文が”外国語”ではなく自分の言葉になればなるほど、私は自分の中の台湾要素を見つけてあげられたような、眠っていた自分を見つけたような、そんな感覚になっていきました。

  母が台湾人であるということ以外、私が台湾人だと示せるものは何もないと思っていました。

でも私には中文があった。 
言語習得がアイデンティティの獲得になるかもしれない
Yは私にそう気付かせてくれました。

  Yには本当に感謝しています。感謝してもしきれません。友だちなんて言葉じゃ足りない、まるで生き別れた双子のような特別な存在です。

ありがとう。謝謝你。
我很幸運遇到你。


中文を「教える」ということ

  Yと一緒に中文教室をしたことで自信がついた私は、のちに父から中文を教えてと頼まれます。地球一周の船旅が終わって就活や卒論に本腰を入れ始めた頃でした。
  精一杯頑張ろうと奮闘しますが、家族ゆえの葛藤が生まれてきてしまいます。

台湾人になりたかった(5)父の中文に続く


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