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「中学3年まで近所にコンビニがなかった」静岡の少年がロンドンのグローバル企業で働くまで (石代浩之さん)

日本の地方から世界へーー。世界中でグローバル化が進む中、国内では人材や機会の”東京一極集中”がさらに顕著になっています。それは若者たちのキャリア選択にも影響を及ぼしており、現在世界で活躍している日本人の多くは東京出身者というのが現実です。そんな地方格差を打破しようとの思いから、地方出身でいま世界を舞台に働く若手ビジネスパーソンらで作る「らんどかーぼ」 は立ち上がりました。このインタビュー集では、メンバーたちがいかにして世界へ目を向けるようになったのか、ライフヒストリーを紹介していきます。

Podcast番組はこちらから視聴可能です↓

https://anchor.fm/landoknabo/episodes/1-3-eoc450

自宅の近くにコンビニができたのは中3のとき

――ご出身の静岡県磐田市はどのようなところなのでしょうか?

静岡県の西部に位置していまして、典型的な地方都市です。見渡せば大体は畑や田んぼなど自然が目に入るようなところで、その中に住宅がぽつぽつある、というような田舎の街ですね。

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――幼少期の頃どこかで遊んだなど覚えていることはありますか?

交通機関も発達してないので、行動範囲は基本歩きか自転車で行けるところとあまり広くありませんでした。なので小さい頃は使っていない近所の畑の中でサッカーなどをしていましたね。

買い物に関しても、中学3年くらいまでコンビニエンスストアが家の周りに一軒もありませんでした。お菓子など何か食べ物を食べたいとき唯一あったのは近くの酒屋さん。お店が開くのは朝9時、閉店するのは夜8時頃だったので、自分で買い物をするということもあまりなかったですね。

――習いごとは何かやっていましたか?

静岡県はサッカーが盛んなので、小学校の時はサッカーを習っていました。プロサッカーJリーグのチーム「ジュビロ磐田」もちょうど僕が小学校のときにできました。それもあって野球をやっている子はあまりいなかったですね。ただ、バスケットボール漫画のスラムダンクが大流行した時期があったので、その影響でバスケに転向した友達はいました。

――学習塾には通われていましたか?東京だと小学生の頃から行き始める子も多いですが。

小学校では塾には通っていないですね。その後も、中学の時には行きましたが、高校時代も通いませんでした。まわりの同級生もあまり行っていなかったと思います。

代わりに中学校に上がってからは部活で柔道を始め、中高時代は週6日で練習をしていました。一応、高校生の時に静岡県でベスト16ぐらいには入りました。

――すごいですね。

今より12キロくらい痩せてましたね(笑)。

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高校時代は片道10キロの自転車通学

――週6で部活をやっていらしたとのことで中高時代はは柔道一色でしょうか?

そうですね。ただ田舎の中学生っぽくミーハーな部分もあって、都会のものに憧れて音楽を始めてバンドを組んだりしてましたね。僕はギターをやっていました。

――演奏するのはビートルズとかですか?

いや、ヴィジュアル系ロックバンドの「X―JAPAN」をやってました。練習は友達の家に集まってするんですけど、家の外にアンプとかおいてやってましたね。だだっ広くて何にもないといってはなんですが。都会では絶対にできないことじゃないかと思います。野外ライブも1回やったことありました。

――X JAPAN だとけっこうご近所にも音が響きわたりそうですね…(笑)。

そうですね、やっぱり途中でやめろと言われましたね(笑)。

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――高校は地元の学校に進学されたのでしょうか。

そうですね、地方はどこも同じだと思いますが、基本的に地元の高校に進学する人が多いので私も市内にある磐田南高校という超地元のところに行きました。といっても、毎日片道10キロ、自転車で30分くらいのところにあります。「なんでこんな遠いところに毎日通わなきゃいけないのか…」と思いながら通っていましね。

――足腰鍛えられそうではありますね。往復で20 km。

いまはとても通えないですね(笑)。


英語は苦手科目だった

――海外との接点について伺いたいのですが、ご両親が海外に関連するお仕事をしていたということはあったのでしょうか。

いや、両親はともに全くの純ドメスティックな人間でした。父は公務員だったので国内の仕事をしていましたし、母は海外すら新婚旅行でしか行ってないと当時言っていましたね。そういう環境だったので海外志向に関してはあまり両親からの影響はなかったのかなと思います。

――そんな中で、人生の中で海外との初めての接点というのはどんなところだったのでしょうか?

今振り返って思うと、同じ小学校の中にブラジル人や中国人の同級生がほんの数人だけどいたんですね。苗字がカタカナだったり日本にはない漢字だったり。

磐田市はヤマハの城下町というのもありますし、スズキやホンダとかいわゆる自動車とかバイク関係の工業地帯というところもあって、おそらくそこで働くためにブラジルや中国から来たりした人の子どもだったんだろうなと思います。

とはいえその子たちは日本語を全く問題なく話せますし、同じ学校内にいるな程度で直接的な関係っていうのはなくあまり「海外」や「外国人」と意識したことはないんですけど、振り返ればそれが僕にとっての一番初めの海外との接点なのかなと思います。

――そしたら、はっきりと海外を意識したというタイミングはもう少し成長してからでしょうか?

そうですね、人生で一番初めに海外に行ったのは高校1年生のときのことでした。飛行機に乗ったのもそのときが初めてですね。通っていた高校がアメリカの高校と姉妹校提携をしていて、年に一度、お互いの学生がそれぞれの町に滞在するという2週間の交流プログラムに参加しました。

ただ、実は正直そんなに別に海外に行きたいという意識なかったんですよね。

――そうなんですか。

姉が同じ高校の3年にいて、本当は彼女がそのプログラムに行きたかったんです。ただ当時、彼女は部活が忙しくて行けなかったようで「あんた試しに行ってみたら」とプログラムを紹介されました。

僕はまだ高校1年で時間もあるし何となく面白そうだから「とりあえず応募だけはしてみようかな」と思って、応募したら受かってしまって。それで行くことになったというのが実際のところでした。アメリカの高校があったのは「マウンテンビュー」というカリフォルニア・サンフランシスコの近くです。今はGoogleの本社があるところですね。20年近く前のことなので当時はもちろんありませんが。

――初の海外で何が一番緊張しましたか?

やっぱり英語ですね。何言ってるか全くわからないし、自分の言いたいことも何も伝わらないし。「こんなところに一人にされたら生きていけない…」と不安の方が大きかったですね当時は。

――現地の方と交流もありました?

ありましたよ。現地の学校にも行って、授業に出させてもらったのですが、何を血迷ったかその時の僕のホストファミリーが選んだ授業が「英語」の授業。日本人でいう「国語」だったんです(笑)。ただでさえ英語ができないのに、ほとんど何言ってるかわからずに授業は終わりましたね。

――2週間は今振り返ると洗礼みたいな感じですねきっと。

そうですね。プログラムに一緒に参加した日本人同級生の中には、英語が好きでずっと自分で勉強をしているという人もいましたし、あとは親の仕事の都合で帰国子女だったという人もいて。みんな平均レベル以上に英語はできたんじゃないかなと思うのですが、一方僕の場合はできなかったので、彼らの様子を見て逆にコンプレックスを持ってしまった部分はありました。

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上京し友達ができない。偶然出会った英会話サークル

――そのあと大学では国内で早稲田大学に進学していらっしゃいますが、海外大については考えませんでしたか?

海外の大学を受けようとは一切思わなかったですね。高校1年生がそのコンプレックスからスタートしていたのでずっと「英語があまり得意じゃない」という意識がありました。高校3年で受験のときも英語のスコアが伸びなくて、センター試験の英語科目でもクラスの平均以下を取って先生に怒られたことを覚えています。

――大学に入ってから1年間交換留学なさったと思うんですが、その意識の変化はなぜ起きたんですか?

これは実はけっこう偶然だったんです。大学入学した時に、田舎者でシャイで引っ込み思案なところもあったので、初めの頃はすぐに仲良い友達ができなくて。サークル活動に入る機会を失ってしまって、半年ぐらいは何もやらずに時間を過ごしてしまっていたんですね。

でも、「このままだとずっと何もしない大学生活になっちゃってまずいなぁ」と思って、秋ごろにまだ受け入れてくれるサークルがないか探したところ、たまたま見つけたのが、英会話のサークルだったんです。

そのときもちろんまだ英語は苦手だったのですが、帰国子女じゃなくても英語ができる同級生や先輩みて「かっこいいな」と思いました。話を聞いていくと、彼らも初めはそんなにできなかったけど、サークルに入ってできるようになったと聞いて。自分でも努力すればある程度なんとかなんとかなるのかなと思い入ることにしました。

サークルでの練習や、2年生の夏休みにカナダへ2ヶ月短期の語学留学に行ったところ、「高校時代よりは英語力はマシになったな」と思えるようになり、そこから英語を話すことが楽しくなっていきました。

――その後、1年間アメリカのウィスコンシンに交換留学。初めての1年ほどの海外生活はいかがでしたか?

そのときは語学ではなく英語で何か専門科目を学ばなければいけないということで高い英語力が要求されるのでかなり苦労しました。ただ、後半になれば、徐々に英語も慣れてきたのである程度コミュニケーションできるようになって、陸上部に入ったり演劇のクラスを取ったりと興味があることも参加し、最後は良い思い出になりました。

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――卒業後は日系メーカーに勤務後、退職して辞めてアメリカの大学院に留学していらっしゃいます。日本では一つの会社で長く働く人まだまだ多い中で、辞めて行こうと思った理由はどこにあったんでしょうか?

自分の人生一回きりなので後悔したくないなと。同じところに留まるという選択肢ももちろんありましたが、せっかくのチャンスだったので「やらずに後悔するよりやって後悔した方がいい」というところが一番大きな決断のポイントだったと思います。

――大学院卒業後は国際機関で働かれていますが、日本企業と違っていましたか?

全然違いましたね。就職した時、チームのトップはイギリス人で、私の面倒を見てくれる直接の上司はフランス人。さらに一緒にプロジェクトに取り組んだのはルーマニア人と韓国人と、本当にダイバーシティに富んだ組織で、そういった意味で文化的な背景の違いは日本企業と比べてありましたが、そこでの摩擦は特になく非常にフラットな環境でしたね。

――苦労したことはありましたか?

そうですね、「人を育てる」という風土がないところですね。日本企業はそういうところが特徴として挙げられるのですが、国際機関は「すでにその専門スキルを持っていて、それで入社してきてるでしょ」というスタンス。

入社して1日目で「あなたはこのプロジェクトの責任者になりました。全部何とかしてください」という形で仕事が降ってくるので、わからないながらも自分は責任者でなんとかやるしかない。そこは大きく苦労しましたね。初めの半年間は非常に大変でした。

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今の時代に海外に出る意味

――「今はネットで情報取れるから海外に行かなくてもいいや」と意見もあると思いますが、そうした意見に対してはどのように感じていますか?

今は新型コロナの感染で人の行き来が一時的に難しくなっていますが、世界はグローバル化する方向に向かっています。その中で異文化の人とコミュニケーションをして仕事をしてすすめていくのが一般的になっていくと思っています。そんな環境でコミュニケーションができるか、できないかというのが重要なポイントになってきます。

英語ができればグローバルにニュースなど情報は取ってこれる時代になりましたが、仮に情報を入手できてもそれを使ってどう海外の人とコミュニケーションをして協力関係を築いていけるかということが最終的には重要になってくると思います。そうしたスキルをつけるためにも留学など外に出てみるということには意味があると思いますね。

――最後に日本生まれ日本育ちで、海外で働いてみたいと思っている方たちにメッセージをお願いします。

興味があることはとことん突き詰める、少しでも興味があったらまずやってみて欲しいなと思います。

先ほども言った通り、私はもともと英語が全然苦手できませんでした。でも海外の人たちとのコミュニケーションしたいという思いを諦めきれなくて、ずっと追いかけてみたら今イギリスのロンドンで働くことができています。「自分には無理だ」とかですね「地方に住んでいて東京にすらいない」などということは一切思わずに、興味を持ったら諦めずに少しずつでもいくということが重要なんじゃないかなと思います。

――ありがとうございました。

(聞き手:牛山奈津美)

石代浩之(こくだい ひろゆき)
1984年生まれ、静岡県出身。英国ロンドン在住。大学卒業後、総合電機メーカーで勤務するも大学院に進学するため退職し渡米。卒業後は英国ロンドンに拠点を置く国際機関の欧州復興開発銀行でインフラ開発に従事。2020年5月より鉄道メーカー経営企画部門ヘッドとして勤務。早稲田大学卒業、英国ケンブリッジ大学ジャッジビジネススクール経営学修士課程(MBA)・米国コロンビア大学国際公共政策大学院公共経営学修士課程修了。

らんどかーぼについて
らんどかーぼは「地方から世界を目指す」をテーマに、地方出身/在住の若者を対象に海外へ羽ばたくけっかけを提供する非営利のキャリア支援団体です。 生まれた場所や育った環境で、将来のキャリア選択の幅が狭まることを少しでもなくしたいとの思いから活動を行っており、メンバー自身も地方出身20−30代の若手ビジネスパーソンを中心に構成されています。

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