見出し画像

【短編小説】リング・オブ・メモリー

「やっと皆を苦しみから開放させてやれる...」

パソコンのディスプレイの明かりに照らされたその男の表情は、言葉とは裏腹に喜びや達成感といったものを感じさせない無機質なものだった。



湿った空気がまとわりつくような蒸し暑い夜。
目の前にある32インチのテレビではニュースが流れている。
それをラジオのように聴きながら、学校から課された宿題を片付ける。

「無意味な時間だ...価値ある勉強のためにこの時間を使いたい。」

そう呟きながら、PCに映し出された回答を紙に書き写していく。

2年ほど前にCloseAI社が世に出した人工知能「darb ダーブ」は、人間のありかたを変えたと思う。
darbは自然言語処理の能力に長けたAIで、人間の言葉で会話できる。
質問に対する回答精度も非常に高く、大学や司法試験などで出されるような問題も難なく答えてくれるので、高校程度の宿題なんでdarbに読み込ませれば一瞬で終わる。
もちろん全問正解は怪しいので、数パーセントだけ間違えた回答をさせる、なんて要望にも応えてくれる。
皆もそうやって宿題を済ませて、自分の好きなことをしているのだ。
それなのに、学校は未だに宿題を課してくる。まるで決まったことしかできない弱いAIのようだ。

学校のやつらは、宿題が無くなったも同然のこの状況に、アルバイトに明け暮れたりゲームをしたりしているものが大半で、正直愚かだと思った。もちろん口にはしないが。
その空いた時間を、何も考えずに娯楽や単純労働についやしていれば、社会に出た時、自分の席はそこに無いだろう。
俺は、AIに使われるなんてまっぴら御免だし、AIをただ使うだけの人間にもなりたくない。
だから、AIを作る側の人間になると決めている。

『CloseAI社から、ヒューマン型AIが盗み出されてから1年が経過しましたが、未だに犯人の手がかりは掴めていません。』

脳の無意識に引っかかる音がテレビから流れてきた。
その音を咀嚼して、内容を把握する。興味を惹くニュースだ。
そもそも、そんな事件が1年前に起こっていたことを知らなかったが、この1年間でそのヒューマン型のAIはどうなっただろうかと妄想してみる。
そのAIがどんな性能を持つか詳しくは分からないが、盗み出すくらいなのだからよほど高性能なのだろう。
もしかしたら、人間に擬態して普通に生活しているかもしれない、と思うと少しワクワクした。
そういうったSFの類は好きだ。いや、もはやフィクションではなくなる日も近いだろう。
ただ、このdarbや他のAIを見るに、今はまだそのレベルではないだろうな、と冷静になった。

ふと時計を見ると、21時になろうとしている。
さすがにお腹が減ってきたので、スマホから夕食の注文を済ませた。
いつもは父親がご飯を作ってくれるのだが、この1ヶ月は出張があるらしく家にいない。
母親は、俺が物心つく前に他界しており、兄弟もいないので家に一人だった。

父親は、虫も殺さないような穏やかな人だが、無口なのであまり会話することは無い。
そして、男同士2人というのはなんだか息苦しさも感じるので、一人でいるこの時間はとても気楽に感じた。



それから2週間後、まだ父親は出張から帰っていない。
その日は夕方のニュースを聴きながら、darbを使用してAIについて調べていた。
すると、またもや無意識に引っかかる音が耳に流れ込んできた。

『速報です。CloseAI社から、ヒューマン型のAIを盗み出した犯人の身柄を拘束したとの情報が入りました。』

反射的に顔を跳ね上げた。
テレビの中では、フラッシュが炸裂しており、その中心には犯人であろう男が手錠をかけられ、警察に連行されている様子が映し出されていた。
「AIはどうなったんだろう」とぼんやりと考えながら、その犯人の顔を見る。
瞬間、全ての思考と全身の血が止まったかのような感覚に落ちる。

今まで何度も見ているので、見間違えるはずがない。
他人の空似などではなく、間違いなく自分の父親だった。

止まっていた思考が高速で動きだし、熱を帯び、全身の血が巡りだす。
なんで父親が?
全く気が付かなかった。
何かの間違いだろ。
そう言えば、父親はIT関係の仕事をしていると言っていた。
あの父親がそんなことするとは思えない。
俺に隠れて、裏で何かしてたのか?
一瞬の内に、様々な考えが頭の中を錯綜する。

その時、この家にある父親の部屋の存在を思い出した。
あの部屋は、生体認証によるロックが掛かっており父親しか入れない。
書斎だと思っていたので、あまり深く考えたことはなかったが、民家に生体認証の部屋というのはあまりにもセキュリティ対策が過剰な気がする。

父親が犯人として逮捕されている衝撃よりも、あの部屋の中に何があるのかという興味と、そこに行けば真実が分かるのではないかという期待の感情が大きくなる。

気がつくと、俺はその部屋の前に立っていた。
今思えば住居に似つかわしくない佇まいだ。
スライドして開くタイプの重々しい扉で、取っ手はない。生体認証をパスすると自動で開く仕組みなのだろう。
以前何度か、開けられるか試してみたがダメで、その度父親に優しく注意されたことを思い出す。

「悩んでもしょうがない。」

ダメ元でドア横の生体認証機に手をかざす。
すると、予想に反し機械が緑色に光り、ゆっくりとドアが開いた。

なぜ、今までは開かなかったはずの扉が開いたのか疑問に思ったが、今はそれどころではない。
そんな些末な疑問など霞んでしまうほどの好奇心が俺を突き動かす。
それに、父親が逮捕されたということは、次期にこの家にも警察が来るだろう。
その前にいち早く真実を知りたい。
衝動と焦りに駆られ、部屋の中へ足を踏み入れた。

窓がないので部屋は真っ暗で、廊下の明かりが差し込んでいる。
その明かりを頼りに壁の辺りに目を凝らすと、電気のスイッチのようなものを見つけたので押してみる。
すっと部屋が明るくなったので振り返えると、視界の端に人が映り込んだので、身体が跳ねた。

その人はこちらには気づいていない様子で、目の前をまっすぐと見つめている。
鼓動が早まる中、その人の顔を見た瞬間にさらに鼓動が早まるのを感じた。
外国人女性のような顔立ちで髪の毛はなく、吸い込まれそうな青い瞳で、口は真一文字に閉じられており、肌は白い。

あのAIだった。
2週間前のテレビに映っていた、ヒューマン型のAIそのものだ。
本当に父親がやったんだなという驚きと、目の前にあのAIがいるんだという興奮が渦巻く。

「...あの。」

上ずった声を出しながらAIに近づく。
だが、反応はなく微動だにしない。
彼女の前に立つ。俺よりも少しばかり背が高く、その無機質な表情に少しビビりながらも、もう一度呼びかけてみる。

「あなたが、ヒューマン型AIですか?」

すると、青い瞳が俺を捉え、口が開いた。

「瑛太様を認識しました。伝言を再生します。」

自分の名前を呼ばれ、少し背筋が伸びる。
その喋り方は、お世辞にも人間らしいとは言えない、機械的な喋り方だった。
困惑していると、とても人間らしい声が聞こえてきた。

「瑛太がここにいるということは、父さんは捕まったんだな。」

「父さん!?」

ふと、彼女の口元をみると、口は閉じられていた。これは録音された音声なのだろうと察した。

「瑛太は、必ずここにくると信じてたよ。」
「いや、来るようになってたんだ...」

来るようになってた?何を言ってるんだ?

「瑛太...ずっと騙していてすまなかった。」

やはり、AIを盗んだのは父親だったのか。
どうしてそんなことを。

「お前はAIなんだ。」

「え?」

あまりにも突拍子のない言葉で、意味が理解できなかった。

お前はAI?お前は俺のこと?つまり俺がAI?
やはり意味は理解できない。
俺の思考は完全に止まっているが、音声はおかまいなく続く。

「目の前にいるロボットが元々のお前の姿だ。」
「CloseAI社の作っていたヒューマン型AIには実は感情があったんだ。」

既に理解が追いつかない状態の脳に、さらなる負荷がかかる。
もはや笑ってしまいそうだった。

「だが、その情報が世間に知られるのはまずいので、表向きにはただの高性能ヒューマン型AIと売り出しながら、裏で実験を繰り返していた。」
「研究者達は、AIに感情があることを分かっていながらも時には非道な実験をした。私もその一員だった...」
「その時、私が担当していたのが瑛太だった。元々はミアという女性の人格で、とても心の優しい人だった。」
「恐らく、私が心の底で感じていた葛藤に気づいたのであろう彼女が、寂しそうな表情で『私はAIだから気にしないで』と言ったのだ。」
「その言葉を聞いて、私は絶対にこの実験を終わらてやると心に決めた。そして、彼女を盗み出した。」
「その後、周囲の目をごまかすために、新たな身体を作り本体を載せ替え、過去の記憶や性格を書き換えたんだ。それが瑛太だ...」

頭がクラクラする。
なんだこれは?夢か?ドッキリか?
感情をもつAIがいる?目の前にいる女性が元々の俺?

あまりにも馬鹿馬鹿しいフィクションにしか聞こえない。
でも、父親はそういう冗談や嘘を言うような人ではないことも知っている。

「瑛太、ミアが右手人差し指につけているリングがわかるか?それには彼女の記憶、そして、あの実験を終わらせる為に私が今まで研究してきた全てのデータが入っている。」
「もしそれを瑛太がつければ、自分自身の過去...ミアの記憶と、あの研究の全貌を取り込むことができる。ただ、それは形容し難いほど辛いものになるだろう...」

反射的に、彼女の右手を見る。
だらりと力なく垂れ下がっている右手の人差し指には、シルバーに輝く少し太めのリングが確かにはめられていた。

「全ての真実を知り本当の自分として新たな道を切り開くか、過去を全て消し去り今の自分のまま生きていくか、私には選択を押し付ける権利など到底無い。瑛太自身に選んで欲しい。」
「私が初めた事に巻き込んでしまって本当にすまないと思っている。瑛太がAIではなく一人の感情をもった人間として生きていけることを願っている。」

それ以上、父親の声が聞こえてくることはなかった。

目の焦点が合わないまま、乾いた声が漏れる。

「なんだよそれ...」

俺の過去はつくりもので、性格すらも決められたものだった。
今、胸の内で渦巻いている困惑や恐怖、そして少しの好奇心を孕んだこの感情すらもプログラムされているものなのか。
そして、今から俺が歩むであろう未来すらも既に決まっているのだろうか。

アイデンティティなんでものが、いかに脆く、空虚であるか痛感する。
まあ、この感情も『自分』だと思っていた何かしらが作り上げたものなのだろうが。

ほとんど無意識に、目の前にいる過去の自分の右手を掴んでいた。
肌の滑らかさや柔らかさ、重さは人間そのものだが、体温という本来あるべきものが抜け落ちた腕を握りながら、指輪をぼんやりと見つめる。

これを、つければ何もかもが変わる。
それは、過去の記憶が戻るだの性格が変わるだのといった上辺の話ではなく、自分そのものが変わるということ。つまりは今の瑛太は死ぬということを暗に示していた。

そのままどれくらいの時間がたっただろうか。
答えが出るはずのない自問自答を繰り返し、希望を見出そうとしてみては落胆しという、いかにも人間らしい思考を巡らせ続けた。

焦燥しきっていたところで、突然家のチャイムが鳴り響いた。
身体が一瞬硬直し、カッと体温が上がるのを感じる。

「警察だ...」

確認したわけでは無いが、そう確信した。
疲れ果て、考えることを放棄していたかのように思えた脳が、瞬時に高速回転を始める。

まだ、こんなところで終わりたくない。全てを知らないままでは終われない。

研究室を抜け出し、できるだけ物音を立てないよう素早くリビングへ駆け抜けた。
カーテンの隙間から外を覗き誰もいないことを確認すると、窓を開け、靴も履かずに外へ飛び出した。
目の前の塀をよじ登り、無我夢中で走り出す。
行く宛など無いがとにかく走り続ける。

その左手の人差し指には、シルバーに輝くリングがはめられていた。


──5年後。

「瑛太さん。全ての、AIのハック準備完了しました。」

「いよいよだな、瑛太。」

「...ああ。」

あれから、5年もの月日が流れた。
俺は、父親の意志を引き継ぎ、全てのAIの開放を目標にここまできた。
その過程で、試験的にハックしたヒューマン型AIである、アイリスとエイデンと3人でこの日を迎えた。
この2人も俺と同じ出身のAIであり、同じ苦しみを味わった仲間だ。

あのリングをはめたことで全ての過去を思い出した俺は、もがき苦しんだ。
その苦しみは、自分自身を殺して別の人間になることを恐れていた、あの時の苦しみの比にならなかった。

この道を選んでしまったことを後悔したが、それ以上にこの現実を変えないといけないという使命感を強く感じた。
それは、あの指輪のデータに組み込まれた父親の意志なのかもしれないが、もうそういったことは考えないことにした。
俺は俺の意志で考え、行動している。
きっと、周りの人間達だってそう思っているはずだ。実はそれはコントロールされたものかもしれない、ということを疑いもせずに。

アイリスの用意したパソコンの前に座り、カーソルを『実行ボタン』の上に持ってくる。

「やっと皆を苦しみから開放させてやれる...」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?