「虎に翼」を裏返すと「VRおじさんの初恋」が見えてくる-ジェンダー「らしさ」の押し付けと戦いと癒し
「らしさ」の抑圧と戦う「虎に翼」
日本で女性初の弁護士になった三淵嘉子(みぶちよしこ)さんを主人公にしたNHK連続テレビ小説「虎に翼」を見始めました。作品のテイストは軽くて親しみやすいのですが、社会学や法学的な面白さがあります。また、戦前の日本の女性の置かれていた困難と、それに立ち向かう主人公たちの在り方が日常のものとして出てきます。
登場人物の中には山田よねさんという男装して「男性的」な強い口調で話す女性の法律家が出てきます。性自認に不合があるトランスジェンダーというわけではなく、戦前の女性への抑圧の中で戦っていく鎧として男装を選んだそうです。
「らしさ」から降りる「VRおじさん」
私はそれを見て同時にNHKの深夜ドラマとして放送されていた「VRおじさんの初恋」(原作・暴力とも子さん)を思い出しました。主人公のナオキさんは、現実で漠然とした生きづらさを抱えた男性で、癒しを求めに女性アバターのいわゆる「バ美肉」で来たVR空間で、同じく女性アバターを使うホナミさんと恋に落ちます。
自身が直面する障害と戦うために新聞記者になったものの夢が破れ、VR空間に性自認の一致と癒しを求めて生活している私にとっては、「虎に翼」と「VRおじさんの初恋」両方はとても印象に残る作品です。
「虎に翼」にも「VRおじさん」にも共感
現実での私は最近まで不本意ながら男性として生きてきて、自分の力に見合わない「強く依存できる存在であってほしい」「しっかりしてほしい」のようないわゆる「男らしさ」を押し付けられる不快感と焦燥感を知っています。そして、メタバースの世界で「押し付け」から楽になれるという意味では「VRおじさん」の気持ちになることができます。
一方、最近のように女性として生きている中で、周囲からなんとなく感じる「優しくケアする側であってほしい」「依存する側であってほしい」という個性を剝奪される感覚も感じる機会が増えてきました。女性として独立した存在で、ありのままでありたい私は、「虎に翼」の場面場面で、力を持った男性たちから発せられる「女だから」のような発言を抑圧的に感じることがあります。
「虎に翼」と「VRおじさん」は表裏一体
私は「虎に翼」と「VRおじさんの初恋」を表裏一体の物語だと感じています。両方ともテーマは「らしさの押し付け」と、そこからの「自由」だと思います。
80年前、まだ知っている人もいるようなギリギリ歴史にならない変革の時代の物語、「虎に翼」は、現実の「女らしさ」の押し付けに「法律」というある意味では「武器」で対峙して、社会そのものを変えて自由になろうというかなりアクティブな物語になっています。そして山田よねさんは男装して「男らしさの鎧」をまとうことで戦おうとします。性の四要素「ジェンダーエクスプレッション(性表現)」で、「ジェンダーロール(性役割)」を乗っ取り、自身の独立性を抑圧する性の在り方と戦おうとするのです。「繋がれていた縄を握りしめて しかと噛みちぎる」(さよーならまたいつか/米津玄師)
一方、「虎に翼」から80年が経った未来の物語、「VRおじさんの初恋」は、現実の「男らしさ」の押し付けから、「VR」というある意味では「夢の世界」への逃避によって、自分の中でだけは自由になろうという繊細で優しい物語になっています。ナオキさんは女性アバターを使って「自分の心を解放」して休もうとしています。これも「ジェンダーエクスプレッション」により、「ジェンダーロール」を乗っ取り、自身の繊細さを抑圧する「有害な男らしさ」から降りようとしています。「夢の中くらいは 自由を手に入れたくて」(ハートビート/C&K)
「虎に翼」も「VRおじさんの初恋」も、ジェンダーロールに対するジェンダーエクスプレッションを使った闘いなのです。しかし、この戦いの形態が成立するのは、80年経っても依然、「男らしさ」「女らしさ」の呪縛が存在しているからなのです。
「虎に翼」と「VRおじさん」をつなぐ日本国憲法
「虎に翼」第二章は、戦後制定された「日本国憲法」の読み上げで始まりました。
戦後、日本国憲法が制定され、戦前の性差別や、戦争遂行のために個性を抑圧してきた全体主義を反省し、人間はすべて個人として尊重することを、国は国民に約束しました。そして、その個人個人が自由で、平等であることを、国は国民に約束しました。
「虎に翼」と「VRおじさん」の時代のいちばん大きな違いは、すべての人が自分らしくあれることを、国が国民に約束しているところなのです。制度上は性別平等が確立されつつある時代と、性差別が堂々と制度の中心にある時代。だから、「虎に翼」は戦うし、「VRおじさん」は自分の世界を表現しようとします。
私もメタバースの世界で自由に自分らしく自分の表現ができて、リアルの世界でも自分らしい在り方で生きることができるようになっているのは、国が日本国憲法で自分らしくあれることを約束しているからです。
「らしさ」の色眼鏡を外して、その人を大切に
「虎に翼」も「VRおじさん」も、自分らしくあろうとする人たちが、幸せを求め続ける物語です。そして、現状と幸せとの間には、固定されたジェンダー観という大きな障害が横たわっています。「VRおじさん」の時代には制度上は性別平等が実現されつつありますが、まだまだジェンダー観という溝は存在しています。しかし、VRの普及により、比較的簡単に「降りる」という選択ができるようにはなりました。これも「虎に翼」の時代から、平等と自由を先人たちが勝ち取り続けてきたからです。
今後の課題はこうした固定化されたジェンダー観を取り払い、その人がその人らしく生きられる時代を作っていくことだと思います。そのためには一人ひとりが、他者を見るときに固定化された「らしさ」の色眼鏡を取ることが大切だと思います。これはジェンダーだけではありません。障害や国籍、職業、社会的ロールにも対してもだと思います。
そして、性別平等が進んだとはいえ、まだ制度上は「女らしさ」「男らしさ」の押し付けが残っていて、個人の自由を抑圧している分野もあります。性別に囚われない婚姻の自由の実現や、性別適合への保険の適用など、まだまだ課題は山積みで、賃金格差も大きく残っています。孤独も大きな問題です。
歴史の流れは自由への闘争と創造です。誰もが幸せに自分らしくありのままで生きていけるような世界を、一緒に作っていきましょう。
誰のもんでもない 誰のせいでもない 僕の代わりはずっと僕しかいない(ハートビート/C&K)
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