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羊角の蛇神像 私の中学生日記⑪

開かれた世界 特別な子ども

たった1日の挫折で、もう二度と学校へ行けないことを悟った私は、それでも前向きだった。
児童相談所のケースワーカーの提案もあり、家から地域の学校へ通う以外の方法を模索することを考えるようになった。
具体的にはふたつの方法があった。

  1. 施設に入ってその地域の学校へ通う

  2. 学校付きの施設に入ってそこで全てを完結させる

2度の一時保護所の生活やキャンプを経て、私は不思議な万能感を覚えていた。地域の学校へ通うことや、母との暮らしで行き詰まるよりも、いろいろな方法があるのだ。
世界は開かれていた。
通常選ぶことのできない特別な選択肢によって、普通の子どもには経験のできないことや出会いを経験できる。
私は選ばれた子どもだった。

そんなわけのわからない、予測もできないことや環境を選択することは、普通の人からしたら信じられないかも知れない。
地元の学校でひどく虐められているとかの理由も無い。
しかし、行けないのだ。精神論ではないし物理的な障壁も無い。
もしかしたらそれは病理的なことが原因だったかも知れない。
あと、詳しいことは省略するが、やはり母とのふたりだけの暮らしはお互いにとってかなり厳しかった。

私はブラックコーヒーと、コーヒーに映る空が好きだ

学園へ行く

色々な施設を見学して、気に入った所があれば入所しようということになった。
不動産と一緒に転居先の部屋やモデルルームを見に行くような、子どもはなかなか経験できない特別待遇ではないか。

そうしてまずは、「施設の中に学校があって、施設内で全てが完結するタイプの施設」を見学した。
「施設から地域の学校へ通う」パターンは、できれば回避したかった。
施設に入っている子として普通の学校へ通うのはハードルが高くて不安だった。
小学生ならまだしも多感な中学生が、施設にいる友だちの事情を詮索するようなこともあるのではないか。
こんな風に書くと、そのタイプの普通の施設に入っている子や、かつて入っていた人に失礼だろうか。
そもそも、施設に入った子どもたちの多くは、選択の余地など無かったのではないだろうか。
生まれてすぐに乳児院に入り、そのまま児童施設に入るような子どももいるだろう。

家から車で数十分かかっただろうか。
初めて走る道路を進み、比較的新しい街並みを眺めていると、バス通りに面した門をくぐり、その広大な敷地へ車は滑り込んだ。
さすがは学校があるだけのことはある。私が知っている児童施設とは規模が全く違った。
私は期待に胸を膨らませた。

門から曲がりくねった広い坂道を100メートルほどのぼり、駐車場で私たちは車を降りた。
その横には本館と呼ばれる大きな建物があった。例の施設内学校のことであり、普通の学校の校舎を少し小さくしたような感じだった。
辺境の学舎にしてはさわやかな白い壁が、夏空に映えていた。

その日は運動会か何かの催しをしていたと思う。
外部の人も訪れて、何か賑やかな雰囲気だった。
それに合わせて私の見学も調整されたのかも知れない。

両側にいくつかの平屋が並ぶ中央がメインの通りのようだった。その平屋のひとつひとつに広い庭があり、遊具や畑が見えた。犬が吠える声が聴こえた。
田舎の家のような趣を持つそれらの家には、住む人たちの文化や価値観が漂っているように感じられた。施設と言うより、普通の家が集まった集落のような雰囲気だった。

敷地全体が山のような地形で、メイン通りのゆるやかな坂道と階段を登って、山の頂上を目指すように歩くと、私が元いた学校と同じ位のグラウンドが目の前に広がった。
グラウンドに入って右手前にホームベースがあり、外野スタンドに当たる方向にたくさんの木が植えられ、その向こうには山が見えた。
その辺りの果樹園や畑も見せてもらった。

人里離れた辺境の、子どもたちの楽園。
自然の中で遊び、作物を育てる、理想郷のような暮らし。

私はすっかり学園のことを気に入ったのだった。

数年前に陶芸教室で作ったリヴァイアサン的な生物
素焼きの状態

体の中のエンジン

私はこの学園への入所を希望した。
ケースワーカーはその後、何度か私にこんなことを言った。

「どうやろなぁと思ったんやけどな。君が『行きたい』って言うもんやからなぁ」

ケースワーカーには、私の気質をよく理解したうえで、もっとおすすめの施設(地域の学校へ通うタイプの)があったのだ。
実は私は高校でも施設に入るのだが、その時入ったのがケースワーカーおすすめの施設だった。
その施設ですごした日々のことはたぶん書くことは無い。
それがなぜなのかも書くことは無いだろう。
ひとつだけ言えるのは、そこでの日々は私の人生にとって重要な期間だと言うこと。

そして、学園で過ごした1.5年もまた、私の人生の中で、特別な意味を持つ日々となるのであった。

ケースワーカーや母と、再び学園に行くと、よく日焼けしたにこやかな男性を紹介された。
メガネの奥で優しく目を細めて、明るく挨拶をしてくれたその人は、小柄だが、体の中にエンジンが搭載されていて、常にそれが全開になっているような強烈なパワーを感じた。

これが、先日私に羊角の蛇神像を送ってくれた寮長先生との出会いの瞬間だった。

十景と魔犬

学園に10程ある中の、最も山に近い寮に入ることになった。
山に近い、というのは、物理的にも心理的にも言えることだった。

寮長先生は全寮長の中で、最も精力的な人で、この寮の寮生は、山を毎日駆け回る現代の忍者集団のような日々を送るのだった。

全寮長と言う言い方も面白くないので、今後寮長たちのことを「十景(じっけい)」と呼ぶことにする。
四皇とか七武海とか十本刀とかかっこいいよね。
勿論当時そういう呼び方をしていたわけではない。

十景のひとりである寮長先生は、まさに「山」を司る人だった。
山を毎日駆け回ることも含め、先生がいかに山を司っていたのかは追々伝えることとする。

ある事情があって、その寮には誰もいなかった。
みんな留守にしているというようなことを聞いた。

まず、寮に入って感じた色々を懐かしく思い出しながら綴りたい。

2匹の犬がいた。
玄関側の焼却炉のそばに、網目状の鉄の板(エキスパンドメタルと言う建築資材らしい)に囲まれた白い犬が「シロ」、庭に繋がれた毛の長い茶色の犬が「カササブロー」と言った。


私は動物が好きだったので、彼らの散歩を進んでした。

きょろきょろと落ち着きが無いが、カササブローは愛嬌のあるかわいい犬だった。
対してシロは、力が強く、しっかりとヒモを握り決して離さないようにと念を押された。

私がシロを連れて山道を散歩していると、他の寮の小学生の男の子が私たちを見上げて、「シロや…」と驚いていた。

あとから聞いた話だが、シロは学園の全ての人に恐れられている獰猛な犬だった。
頑丈なエキスパンドメタルの囲いの意味を知った。

いつのことだったか、シロが脱走したことがあった。
その時、庭で放していた雌鶏がシロに噛み殺されるのを間近に見た。
一瞬のできごとだった。
雌鶏だったものの弛緩した体がぐにゃぐにゃと動揺して静かに横たわった。

保母先生について

数々の逸話を持つ魔犬・シロだったが、私が3年生の時に、彼はひどく弱ってしまった

先生が、彼の寝床を快適にしようと思って敷いたおが屑を吸い込んでしまい、終始咳き込むようになってしまったのだ。
ゲオンゲオンと重い咳を繰り返すシロを見つめる先生が、後悔と憐れみを顔に滲ませているのを幾たびか見た。
シロには気の毒だが、先生のそういう表情を盗み見て、私は笑いを堪えたものだった。

体内にエンジンを持つ先生は、思いついたら誰にも止められない行動力の権化、ブルドーザーのような人だった。

十景は皆、奥さんと夫婦で寮を管理していた。
奥さんのことを私たちは保母先生と呼んでいた。
お茶を愛する、穏やかで厳しい人だった。
欧風の彫りの深い美人で、深い緑色の瞳が印象的だった。

「言い出したら止まらないもの〜」
「何を言っても無駄よぉ〜」
「もお〜、言わんこっちゃない」

寮長先生の行動に呆れた保母先生が、おっとりとした口調でそう咎めるのが面白かった。
私たちの前でも夫妻は構わず小さな口喧嘩をした。
8歳の時、両親が離婚した私は、先生たちの仲の良い様子を見るのが好きだった。

食後にいつも熱い日本茶を点ててくれたが、当時の私はそれを断っていた。
私の家にはお茶の時間が無かった。

私の妻はお茶の時間を愛する人で、今は私もお茶が好きだ。

あの頃、保母先生の点てたお茶を飲んでおけば良かったと今では後悔している。

寮には鶏がいた。うさぎもいた。
ちいさな動物王国で夜の国代表の私の戦いが始まろうとしていた。

羊角の蛇神像⑫へ続く

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