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宮川香山と家族

🍵ようこそお越しくださいました🐉
さっそく目次からどうぞ。

今日のひとり言

先日、友人宅で、録画したNHK番組『グレーテルのかまど』を見ていたんです。

南仏プロバンスのクリスマス

豊かな自然が広がる、南仏プロバンス地方。この地ならではのクリスマススイーツが、13種類のスイーツやフルーツ、ナッツが集められた“13のデザート”。それぞれ一つずつ食べると、次の年に幸福が訪れると伝わる。フランスのクリスマスに欠かせないプロバンス地方の名産品、サントン人形も飾って。幸せを祈り、今も続く南仏のクリスマスの風景をひもとき、ヘンゼルは13のデザートに欠かせないパン、フーガス作りに挑戦!

NHK公式サイトより引用

このサントン人形、どうやら陶人形のようなんです。

番組で、「南フランスは良い粘土が取れる」とか(マルセイユやオーバーニュに良い土があるようです)、この工房は赤土なんだなあとか、テラコッタ位の温度で焼けるのかなとか、素焼きの状態で色を塗っているのかな?とか、ポロポロした土感にみえるから、彫刻より石膏型の方が適しているんだなあ。などなど情報が入ってきて、おかし作りそっちのけで私はサントン人形に興味が湧きました。

宮川香山と家族

今日の話題は、宮川香山のパーソナルな部分の話です。

宮川香山って、どういう人物だったと思いますか?

香山には、陶磁器師、実業家、師匠、夫、父、祖父……色々な顔があります。

先に私の小説を試し読みした友人は、こう感想しています。
「読む前はなんとなく、厳格で気難しい人なのかなってイメージしていたけど、違った」
宮川香山は、商売気質で一心不乱に陶を追究していて、かつ愛情深い人だったと伝わったようです。

香山について、父とよく眞葛窯を訪問していたという横浜出身の画家、
有馬生馬は、次のように語っています。


初代宮川香山

「香山翁はぴかぴか光るたちのはげ頭で、一見坊さんのようだったが、その眼光は鋭くはげ頭と光を競っていた。ちょっと近頃のピカソを見るようで、安心立命どころか、闘志満々、いまにも西京弁の毒舌が火を吹きそうであった。陶芸の衰微した当時、京の眞葛ヶ原から新開地横浜に出てきて、外人相手にどしどし多数の名作を産出し、日本陶器のため一人で気を吐いていた」

『中央公論記念特大号』1965年

とあります。

やっぱり過集中で毛根にきちゃったんですかね……
香山は家族や職人達に囲まれて、その身辺は賑やかだったといいます。

家人の談として、香山は床の中に倒れるまで仕事をしていたと伝え、酒も少しは嗜んでいたが胃腸を患ってからは一滴も口にせず、ただ、絵画だけは特に好んで時折絵筆を手にした。元気な内は、どんな晴れ着を着せても、家人が構わなければそのまま仕事場に出て土いじりをし、土の付いた手を晴れ着で拭くなど、仕事の他には何も考えない日常であった。

横浜貿易新報

……とのことです。とってもマイペースな人だったんですねえ。

香山の下で働く職人は、香山の事を、親しみをもってあだ名で呼び、規律には厳しいけれど待遇は良く自分達を可愛がってくれる香山翁を敬愛していたようです。

これらの文献から、愛される人物像が、みえてきますね。

🍵毎週木曜18時以降に更新しています。
🍵よろしければまた遊びに来てくださいね。


参考文献:
「横浜美術館叢書7 宮川香山と横浜真葛焼」著二階堂充 発行株式会社有隣堂2001年
「世界に愛されたやきもの―MAKUZU WARE眞葛焼 初代宮川香山作品集」著 山本博士 2010年
「初代宮川香山 眞葛焼」編著 山本博士 発行 宮川香山眞葛ミュージアム 2018年
「神業ニッポン 明治のやきもの 幻の横浜焼・東京焼」監修:荒川正明 2019年

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