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横須賀美術館フライング

🍵横浜のやきもの、眞葛焼の普及活動noteにようこそ!
🍵いつもは木曜日に更新しております。
今日のトピックスは目次からご覧になれます🍭🍭🥰🍭🍭


今日のひとり言(眞葛普及の新アイデア)

眞葛焼普及の為に何が出来るかをずっと考えているのですが、明治工芸企画展の開催期間を間違えて、フライングで横須賀美術館に14日行ってきた時に、友人と海を眺めながら話した事がとてもナイスアイデアなので、ここに記録します。

板谷波山は映画になってるのに、
香山は映画にならないのずるいっ!!って思ったのですが、
アニメ化や漫画化をイメージして私が書いた青春小説は、
あくまでもオリジナルの主人公たちの人生が主軸で、
眞葛焼の現在と復興にフォーカスした物語です。つまり、初代香山が主人公の、伝記小説ではないのです。

香山翁の魅力を、若い人にも伝えるにはどうすればいいか……
香山個人にフォーカスしないのなら、よほどそのオリジナルの主人公に魅力があり、キャラを知る為に香山を調べたくなるものでないといけない。

私に筆力はありません。自覚があります。

そこで友人が、天才的なアイデアをくれました。
初代香山を、美少女にするのはどうかと。

香(カオル)ちゃんと称して、
「いっけなーい!!輸出輸出!!」
と遅刻する転校生のように登場させ、
高浮彫を批判した塩田真も美少女にして、
「香ちゃんの良さ分かってるの私だけなんだから。やめなよお高浮彫」
といきなり自宅ピンポンしてくるヤンデレにしたりと、ラブコメ調の漫画にすれば、若者の心を掴めるのではないか。
もちろん史実の部分は忠実に書き、
聖お兄さんみたいな愛情たっぷりなタッチで描く、と。

このアイデア、本当に最高じゃないですか?!
このアイデアをくれた友人とタッグを組み、
全力投球でこの漫画の制作に取り組もうと思います。

⚠️⚠️⚠️香山美少女化漫画⚠️⚠️⚠️
描きたい人いらっしゃいませんでしょうか?
眞葛焼普及本が、この世に一冊でも増えてほしいのです……💡

横須賀美術館所蔵資料で知った新情報

美術館に行ったら、必ず図書室に行くことをおススメします。そこにしかない資料が、必ずあるのです。

横須賀美術館には、常設展の谷内六郎関係の資料がたくさんありますが、近日公開される明治工芸展に向け、香山の資料もいくつか開架されていたので、初めて見かけた資料をコピーしてきました。

今まで私が調べて出てない情報を厳選してここに記入します。
つまり、かなりマニアックな情報ということなので、香山ファンなら知っておきたい、明日にでも話せる豆知識でございます!!

  • 初代と二代だけでほぼ70年の歴史を刻んでいる。

初代が眞葛焼を創業したのは明治4年。香山を支え眞葛の伸張に努めた二代香山半之助が没したのは昭和15年なので。

改めて計算するとすごく長いですね。
  • 初期眞葛焼の特色である高浮彫は、必ずしも海外への輸出のみを意図して生み出されたものではなかった。

というのも、明治10年と14年に開催された第1回・第2回内国勧業博覧会への香山の出品作を見てみると、そこにも高浮彫が使用されており、横浜という新天地に移住した香山が、他に類例のない独自の陶器を創出するという意欲のもとに、自信と誇りをもって内外にその評価を問おうとしたのだろう。

  • 磁器釉下彩への移行の大きな理由としては、いわゆる松方デフレ政策による国内の全般的な景気の後退、また、ほぼ時期を同じくして日本にも波及した欧米の不況による輸出不振によるものだった。

その影響は眞葛焼だけではなく、他の窯業地や陶磁器製造所も同様の不振に見舞われた。元来、初期の眞葛焼は、その装飾的な独自性が評価された、多くは室内の飾り物的な製品を主力としていたため、内外の景気後退はそうしたものの需要減に直結するものであり、ここに経営体としての眞葛焼は大幅な規模縮小を余儀なくされた。

  • 磁器釉薬開発は中国磁器の手さぐりの模倣から。明治22年、香山はパリ万博に「赤ボカシ花生」などを出品して金賞を受賞しているが、これはおそらく中国の桃花紅のようなもので、微量の銅分を含んだ釉薬を還元焼成することによって得られたものであると想像される。

釉薬について辿ってみると、明治20年代の半ばから30年代後半にかけては、例えば染付などの製品に施される透明釉はいうまでもなく、釉薬自体が赤や緑、黄などに呈色するものも多くみられるようになる。また、釉薬中の微量な金属部分が焼成温度や焼成時の窯中の雰囲気(酸化焼成か還元焼成かなど)、あるいは焼成後の冷却の具合などによって様々な釉調となる、いわゆる窯変釉や結晶釉などが30年代後半にはめにつくようになる。また、特殊なものとしては銀色に呈色する釉薬なども開発されていた。

発色条件のこんな具体的な説明文が見つかって嬉しいです!
「銀色に呈色」って、琅玕釉のことですよね?!
  • 明治36年の第5回内国勧業博覧会に出品した「青華磁雑嵌鴬宿梅深鉢」の作り方は?

深鉢の素地、透明釉の下に梅の樹と和歌をあしらっている。梅の幹と枝は濃淡のある青、また花弁の部分は代赭の吹絵による白抜きで表される一方、流麗な連綿体による和歌の部分は、和歌の文字を切り抜いて取り去ったあとの空隙に淡い赤紫に呈色する着色磁土を嵌入して焼き上げるという、まことに手の込んだ技法によるものであった。

これもかなり具体的な製作法の説明です。お勉強になりますね。
  • 明治40年に夫人に先立たれた香山は、同じ年に原因不明の大病を発し、その頃から次第に病みがちとなった。

明治42年5月には重い胃病を患い、ひどい出血吐瀉をも伴って一時は意識不明になることもあった。また、大正3年5月(香山73歳)にいたって、香山は原因不明の失明に見舞われ、それはほとんど三月にも及ぶものであった。

奥さんが亡くなった年から体調不良というのが、とても切ないです。
きっとずっと、心から支え合ってきたのでしょう。


🍵まだまだあるのですが、今日はこの辺で。
🍵香山翁が、妻を愛し支え合ってきた、と推察できる情報は、なんとも納得でした。

家族を愛し、弟子を愛し、広く陶磁を愛した男、宮川香山。
いとおしいのですよ、その人間性も、人間離れした技術も、すべて。
だから広めたい。誰にも忘れられたくないのです。


今回の参考資料:
ー世界を魅了したマクズ・ウェアー 眞葛 宮川香山展
2001年10月28日~12月24日 横浜美術館

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