見出し画像

ちょっとだけ前向きな言葉(191・192)

●たとえ人といる事が苦痛であっても拒んでいい時と悪い時くらいは見分けのつくようにすべきである。


 人間は社会的な生き物であり、他の人と関わることは一般的には豊かな経験や情報交換の機会になる。しかし、時には人との交流がストレスや不快感を引き起こすものだ。個人の性格や気分、エネルギーレベル、精神的な状態などによって同じ人と会う場合でさえ異なるものである。

 基本的にあまり考えないことだと思うが、能動的に人と接する場合でも拒むことができる権利はある。自己保護のため、自分が不快に感じる状況や人々から距離を置くこともまた重要なことだ。ただしすべての状況で人との交流を避けることはもはやその権利の乱用としか言いようがない。


人付き合いは「必要最低限」さえ心得ていればずっと気が楽になる。

 拒むべき時と悪い時との違いを上手に見分け、人との接し方を適切にコントロールする事で自分の負担も格段と減ることだと思う。たとえば、一時的な疲労やストレスが原因で人との交流を避けたいと感じる場合でも、それが継続的な孤立や社会的な孤独を引き起こす可能性がある場合は、その選択を再評価する必要がある。

 適切なバランスを見つけるためには、自己分析や自己理解力が求められる。自分自身のニーズや限界を認識し、自分にとって最善の利益を追求することも重要だ。また、他の人々との関係においても、相手の立場や感情を尊重することが必要である。あまり人との関わりを避けてばかりいるとせっかく相手は自分を頼りにしているのに裏切られたという気持ちが募ってしまい、結果として自分の望まない結果へ向かってしまうからだ。

 人との交流が苦痛であっても、自己の利益や健康を最優先に考えながら、拒むべき時と悪い時を見極めることは重要である。

●詩人は軽々しく絶望を口にはしない。望みを絶たれたら生きていけないと知っているから。


 詩人は言葉や表現を使って感情や思考を表現する芸術家だ。彼らの作品の特に叙情詩というものはしばしば内省的なテーマを扱い、喜びや悲しみ、愛や絶望などの感情を表現する。

 詩人が絶望を口にしないと言うのではなく、そうであるべきという方が本当は良いのかも知れない。しかし実際に絶望という言葉には敏感であることは間違いない。その理由は、詩人が望みを絶たれた場合に生きていけないということを言葉の意味からしっかりと理解しているからだ。詩人にとって、望みや希望は創造的なエネルギーや創作の源泉。絶望的な状況や感情に陥ると、詩人の内なる創造力や表現力が鈍る可能性がある。


絶望は極力口に出さないことが大事

 詩人はしばしば困難な状況や苦しみに直面することもあるが、それに対して希望や意味を見出そうともする。詩人は、絶望的な状況でも、内なる希望や光を言葉を通して見つけ、それにより希望を見いだす力を持っている。自己表現や創造活動を通じて、困難な状況に立ち向かう事ができるのだ。

 したがって、詩人が軽々しく絶望を口にしないのは彼らの創作活動や生きる意欲にとって重要な事だからだ。絶望的な感情や状況に直面した場合でも、詩人は希望や内なる意味を見つけ出すために努力し、それを詩や言葉によって表現する。その時絶望という言葉は必要がない■

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?