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愛ある裁き?

裁判員制度ができたとき

めちゃくちゃに違和感が湧き上がったのを覚えている

全く持って事情も何も知らない
ただ国民というだけでその場に駆り出され
人を裁く権限を一方的に押し付けられるなんて

よく言う倫理観なんていうものとわたしは無縁で生きてきた
よく言う…と表現したのには理由があって、人の決めた社会にどっぷり浸かりながらこれを倫理と言ってる社会や人が多すぎると感じてたから(いまは環境が変わったせいか無縁になったけれどこういう発信をしてるのがどういうわけか)

そして自分がずっと違和感を持ち続けてきたから

なんで人が人を裁くんだろうね

裁判もそうだけれどよくあるような不祥事だってなんだって
その裏ではみんな社会のルールに則って立派に?仕事してるわけ

人を裁く場所だったり、ルールを決めていく立場の人がルールを破るのはなぜ?

そしてひとたび不祥事なんてことが起こると手のひら返すように人が人を叩くのはなぜ?

人を裁く前に自分はどうなのかって
これでもかと教えられているのに
やり続ける末にこういうことが起こってる

そもそもルールを作ろうと決めた時点で人が人を支配しようとしてるし、その中で生きると決めた人が結局苦しむ

要するにみんな他人のことを信じられないんだよね
世の中をよくするためにルールがあると言う人がいるけれど、人を信じれないことが愛あるものだろうか

なにもこういう世界に生きる人だけではなく人が人を裁く場面なんて世の中に嫌と言うほどあります

誰かのことを
「普通さ、こうじゃない?」
だとか
「こんな行動するなんてありえないよねあの人」

とか
そんな風に思うこと、
また溜まり溜まって周りにアウトプットしてしまったりね

そのすべてが人を裁くということにみんな気づいているだろうか

喜び溢れる世界で生きていたら
そんなのとは無縁で生きられるのに

誰が誰を裁くでもなく
どんな人にも存在にも愛を

それが自分を愛することにもつながるって
信じれない人がいても

そういう人にもどんな存在にも
いつか愛が届く瞬間がありますように✨

土曜日の微睡むような瞬間にできた
この拙い文章を読んでくださるあなたに

まず裁きとは無縁の
愛が届けば良いなとそう祈ります

今日もみんなにありがとう

愛と感謝💖


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