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会社は利益を追求する場所だということは、どうしてもっと伝えられないんだろう

自分が使っている言葉の定義を考えていたら、解のない問いにぶつかった。

会社とは 利益を追求することを目的に、人々が集まって作った集団のことを指す。

ビジネスってそういうことだ。
世の中に対してなんらかの価値を提供し、その対価として利益をいただく。

では利益とは何か、を調べてみるとこのように表される。

り えき [1] 【利益】
( 名 ) スル
① もうけ。得(とく)。収入から費用を引いた残り。利潤。 ⇔ 損失 「 -をあげる」 「 -金」
② 役に立つこと。ためになること。 「公共の-」 「知っておけばなんらかの-になる」 「国家を-する為めの経済策/社会百面相 魯庵」 → りやく(利益)

まあ要するに、お金を稼ぐことということだ。

でも、なぜだろう。
みな社会人になって、当たり前のように会社で働くのにも関わらず
利益追求の重要さに触れる機会はあまりないような気がしている。

例えば、こんな文言はよく目にするのではないだろうか。
利益が全てではない。お客様の笑顔のために仕事をする。

プロフェッショナルとか、そういう番組が結構好きで見ていたりするのだが
「利益追求のために仕事してます」という人を目にした覚えがない。

勿論、仕事って利益追求だけをしていくものではない。
そんなのはとても味気ない。

でも、「利益の追求が大事だ」という前提の元で「お客様への価値貢献」というものが成り立っているのだとするのであれば、そこまで織り込んでメディアや教育を通して伝えていけば良いのにと思うのだが、自分の人生を振り返った時にそういう機会はそんなに多くなかった気がしている。(自分で会社を立ち上げたりしたら話は別だと思うが、そんな機会が全員にあるとは思えない)

「利益追求も、利益という形に直接的に表れないものもどちらも大事である」ということをイマイチ心から理解しきれず社会に出た時に、
「なんのために仕事してるんだよ、ボランティアじゃねんだよ」ってなるのはちょっと構造的に横暴なんじゃないかと思ったりもする。
だって周り回ればそれも利益に返ってくるかもしれないじゃんね。
どっちかと言うと、世間ではその手の話の方が多いんだもの。
言う人が悪いわけでも、言われる人が悪いわけでもなくで、構造上の問題なのだと思っている。

悪どいことをしてお金を稼いでるのであればなかなか表に出しづらいと思うけれど、そうではなく正しい方向で利益を生み出しているのであればそれは素晴らしいことであり、「こんな利益追求ができるんだよ」と伝えることができるはずなのに。

私たちは学校でもお金の稼ぎ方、稼ぐことの重要性を学ばない。
これってなんだか不思議なことだなあと思う。

まあこれから利益というものの定義/価値が変わっていき、信頼とか共感を得ることの優先順位が上がっていくのかもしれないけれど・・

あるいはもう前提がひっくり返っていて、会社とは利益追求の場所ではなく、もっと違う定義を持っている場所なのかもしれない。

答えは自分の中でうまく出せてないのだけれど、いやいやこんな考え方があるのでは?という意見があれば教えて欲しい。


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