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これからどのように生きるのか

空虚な中心があり、拠り所がいつの間にかなくなっている自分

システムに依存しすぎると人間はそのシステムに殺されることになる
自分の本音というものを捨てては迎合される建前を使う
そうやってペルソナを変え続けていくと、本来の自分をなぐり捨てて、必要なものを外から見繕って合わせていった。
当然、そんなものが自分に合うわけがなく、戸惑っていると移り変わりの早い流行りは次の風を吹かせている。
そんなことに嫌気がさしてか、戻ろうとすると本来の姿などとうの昔に捨ててしまい何が自分だかわからなくなる。

大切なことは何が大事なことなのかを考えることである。
生きている意味などはあるに越したことはないけど、本当にやりたいことがあればそんなものは考えている暇はない
人生は死ぬまでの暇つぶしとはよくいったもので

仕事というものも、自分がお金をもらわなくても楽しくてやってしまうものを仕事にすればいい。
その仕事がきっと人の役に立つはずだから
AIというものはこれからもっと様々なことを可能にしてくれるのだと思う
人間がやるよりもきっと成果はいいのだろう

では、人間には何が残るのだろうか
『僕』が考えるのは何かに向き合い続けることの姿勢であると考える
幸福、幸せというもののかたちはそれは数が少ないものでバリエーションというものは決まっている
そんな幸福を感じるためにも小恍惚というものを重ねる必要があると思う
小恍惚というのは本当に小さい喜びのことである。

AIはすぐにまた優れた成果を出してくれる。
しかし、そこに喜びはない。
例えば富士山を見に行こうとしてゆっくり電車に乗って富士山まで行って山を見ることと、写真で見るだけ、はたまたどこでもドアのようなものが開発されて3秒後には富士山にいけたとする。
前者と後者では徹底的な違いがある。
途中の風景が異なるのだ。

どちらが幸せかというと後者だったら仕事としてだったら良いことではあるが、旅行ということを考えるとしたら前者のほうがいいと考えます。
つまりはその過程に意味があり、その方法は見える風景が違ってくるということであります。
その風景を楽しむ、楽しみ方を作ることそういうことがこの人生において大切になってくるのではないかと考えます。


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