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肩をすくめてみる。

一昨日くらいから、鼻声。へんなかんじ。そして、なんだこの湿度の高さは。霧の中で生きてるみたい。体の動きが鈍い。イノダコーヒーに行きたい。

4月に入って、なにか新しいことを始めようと思って、Xのアカウントを作った。まだ慣れない。仕組みがよく分からない。使い方が飲み込めてきたら、また報告しますね。

The best time for new beginnings is now🌸
お花見出来ましたかー??

この前、朝起きてお布団の中で、これからは決めつけないで生きていきたい、とふと思った。私はいつも、いろいろ決めつけすぎ。自分の首を絞めすぎ。視界を狭めすぎ。もっと自由に生きようぜっ。(誰)

例えばなんだろな、先週、髪をバッサリ切ったんだけど、切る前は私にショートヘアなんて似合うわけない、と決めつけてた。もーギリギリまでだいぶ悩んで、なんならね、髪を切ってもらっている最中も、似合わないんじゃないかと疑心暗鬼。でも、ふたを開けてみたら、意外や意外、あらあら、いいじゃない、って感じで。なあんだ、似合うんだ、と拍子抜けした。今までの人生、ほぼずっとお団子ヘア(=ロングヘア)で生きてきたから、私の生きる道はもう決定済み、と信じていたんだけど、そんなことはなかった。可能性は無限大。もうロングヘアに戻れない気がする。私のうだうだした気持ちも髪と一緒にバッサリサッパリいなくなったようです。頭も心も軽くなった。髪型を変えるってすごいな。恐るべし。

話が脱線しかかっているので、せっせと戻しましょう。

自分自身のことだけじゃなくて、気づいたら、自分がいる環境や周りにいる人のことを決めつけちゃってる気がする。○○だからしょうがない、とか、○○しなきゃないけない、とか、どうせ○○だから、とか、私はこうじゃない、ああじゃない、とか思い始めてるなぁ。先入観にとらわれている。頭でっかちでカチコチになってきてる。最近、ひしひしと感じるのよ。ま、自分の思考の癖に気づけたってことで、良しとする。

本のことにも当てはまる。本の表紙で決めつけたり、文学賞を受賞した作品を好きにならなくちゃいけないような気がしたり、インターネットで見かける赤の他人のレビューを気にしたり。

結局のところ、決めつけすぎというよりかは、人の目気にしすぎなのかな。私の中にある判断基準が、「人からどう見られるか」になってるから、最初から決めつけちゃうのかな。もうよくわかんなくなってきたよ。ははは。

人生がどの方向に転ぼうとも、じゃあこっち行ってみるか、くらいの余裕と冒険を楽しむ心が、結局欲しい。肩をすくめながら、さらっとユーモアを交えて、怒りも悲しみも寂しさも受け流したい。自分がコントロール出来ないことをさっさと手放せるようになりたい。許しちゃおう。認めちゃおう。受け入れちゃおう。頼っちゃおう。頑なに拒み続けるのは疲れるから。

技を受けきれるようになってみたい。打たれても打たれても苦悶の表情で耐えきるように、ニヤリとして手招きするように、素知らぬ顔で客席を振り向いて両手の平を天に向けて肩をすくめるように。

「完全版社会人大学人見知り学部卒業見込」若林正恭

若林正恭の言葉には何度も救われてきた。初めて読んだ中高生の時と、最近読み返した時とまた感じ方が違う。なんだかしっくりくる。年取ったな。


久々に、いや久々ってこともないか、つらつら日記を書くように真面目な雰囲気でnoteを書いたら、汗かいた。真面目は疲れるから、もうやめよ。ずっとふざけとこ。肩をすくめて、余裕なふりをしてみる。形から入ったっていいじゃない。


ここ数日ほどはね、この曲とプリマの香薫の歌が交互にね、頭の中をぐるぐる流れてるのよ。


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