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【映画】青葉家のテーブル by 北欧、暮らしの道具店


わたしは夏が大好きだ。
晴れた日の、濃い青空にモクモクとした入道雲。花火の後の匂いにつつまれた縁側での涼しい風鈴の音。


夏休みはいつもワクワクしていた。人並み以上にワクワクしていた。
夏休みはいつもと違う何かがありそうな、いつもと違う誰かになれそうな気がしていた。他の季節にはないひと夏の青春が毎年楽しみだった。


小学1年生の夏、瀬戸内の島に住む祖母の家に初めて1人で船に乗って行った。それだけで大冒険だったし、生まれて初めて親と離れて過ごす人生だった。これから始まる1週間!


…だけど3日でホームシックになって帰ってしまった。


もう祖母は亡くなっているのだけど、今思い出してもなんだか申し訳ないことをしたなぁと思う。祖母が海で獲ってきた海藻で作ってくれたみかんゼリー、美味しかったなぁ。もう誰もレシピはわからないけど、味の記憶は未だにわたしの脳裏にある。


中学生の夏は部活のバレーボール三昧。練習着を絞ると水のように流れ落ちるほど汗を流した。母の漬けてくれたはちみつレモンを休憩中に食べるのが楽しみだった。
地元の夏祭りはとても不思議な空間だった。お祭りの笛や太鼓の音、出店のネオンライト、甘いわたあめの匂いや花火の煙の匂い、気になるあの人を目で探しながらどこかドキドキそわそわしていた。何も言えず、目が合うだけで十分だった。


大学生の頃は1人でアメリカへ渡って1ヶ月ほど過ごした。日本とはまるで違う世界がそこにはあった。毎日が輝いていて、時間を過ごすことが愛おしかった。


夏休みには期限がある。夏が終わると結局わたしはわたしのままで、特別な何者かになることはなかったし、ちょっと切ない思い出の方が多い気がする。



ーーーと、こんなふうに映画を見ながら自分の夏を思い出していた。


大人になり、仕事をするようになってからは1ヶ月なんて長さの夏休みはなくなり、若かりし頃に抱いたあの夏のワクワクを忘れてしまっていた。


好奇心が騒ぎすぎて今まで興味の赴くまま、いろんなことに手を出した気がする。なりたい誰かに近づきたくて、ありたい自分の姿を追いかけて…。だけど手を出しては飽き性のひょっこり顔を出して「あぁまた続かなかった、ダメだな、わたし」と思う時間が増えた。


アラフォーになって「わたしはコレです!」といえる1つなんて未だに見つかっていない。でも映画を観ていると、そんな人生もありなんだなと思えた。何か1つを見つけたことと、何か1つを見つけようとすることに、あまり差なんてないなと思った。どっちもその瞬間は全力で真剣に生きて楽しんでいることに変わりはない。


よし、今年の夏はチャレンジしてみよう。本を書きたい。書くんだ!


そう、上手くいかなくても夏が包み込んで許してくれる。特別な季節だ。いつの時代も今の時代も、横を向けばその視界には大切な誰かと美味しい料理が寄り添ってくれているんだ。母であり、祖母であり、友人であり、今はオットである。


なりたい自分になれなくても、なりたい自分に持っていて欲しいものは持っている気がした。横を向けばすぐここにある気がした。


さぁそろそろオットが帰ってくる。一緒に晩ごはんつくろう!

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